Nonsection Radical

撮影と本の空間

8月12日 無関心

2022年08月12日 | Weblog
今「タイワニーズ 故郷喪失者の物語」 野嶋剛 小学館 という本を読み続けている(かなり時間がかかっているので)。
「在日台湾人のファミリーヒストリー」と紹介されるが、日本でお馴染みの”台湾出身者”の家族の歴史をさかのぼり、日本と台湾との関係を考える内容。
100年(以上)にわたって、というか開国以来日本がしでかした東アジアでのおこないが、現在においても尾を引きずっているんだけど、それはアジアの国の個人にも、その家族一族郎党にまで影響が及び、現在においても「やられた側の歴史」として受け継がれていると言える。
その事について「やった側」はほとんど無関心で記憶も受け継がれる事もない。
この無関心さが今でもわだかまりの原因の一つとなっているのだろうな。
なんて事を考えていてふと、「そういえばコロナは風邪だとかPCR不要などとsnsで言ってる人って、感染した人に対して思いやったりいたわりの言葉をかけたりしないよなぁ。」と思い立つ。
先日感染した姉一家も快方へ向かっているのだが、どうしても後遺症なのか呼吸器系の具合がよろしくないらしい。
もちろん軽症で済んではいるのだがこんなものだ。
sns上でもそういう発言は多い。
が、そこに優しい言葉をかけてねえよなぁ。
無視か独自のワクチン有害説とか自分の言いたい事だけ言いぱなし。
同じだよなあと本を読んでいて思った次第。
これじゃあ相手がはいそうですかと思うわけないよなと思うが、そもそもそんなに相手の事など考えていないよなぁと。
だから信用できないんだなぁと。
政治家でも他人に対して無関心で想像力が働かずに不用意な言葉を発する輩が増えたけど、これじゃあまとまるものもまとまりはしないよなと思う。
そういう国になってしまったというより、そういう国だったんだろうなスタート地点で。
まあここで古臭い言われ続けた言葉で言うと、他人の事(特に下の者に)など気にしない立場の人間の振る舞いが家父長制度の家長たるものの振る舞いそのもの(だってそうそう優れた家長がいるわけもないのだから)だよなぁと続けたいのだが、そうは今は言わない。でも関係しそうだよなぁ。誰か調べてくれないかなぁ。
どうであっても、他人の事など無関心で思いやる言葉も形の上でさえ持ち合わせていない人たちが、100年の歴史を作ってきた結果が現在の形であるのは間違いない。
そうやって人の恨みや悲しみは受け継がれていくのだから他人のシマを荒らしちゃいけないんだよな。
それが今のウクライナの人の記憶や気持ちであったりするんだよね。
そこんとこずいぶん多くの自称わけ知り言論人は無視して正悪の話をしているんだけど、やっぱり思いやりの言葉なんか聞こえてこないんだよなぁ。
やっぱ無関心なんだろうね自分以外には
コメント
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