Nonsection Radical

撮影と本の空間

8月16日 足元

2022年08月16日 | Weblog
仕事先でもコロナ感染者が出始め、いよいよかと。
自覚症状があるにもかかわらず日当欲しさに出てくる馬鹿者がいるので、そんな奴は叩き出せと息巻く。

少し時間があったので、ふた昔以前に「ニュータウン」と称された山を切り開いて作られた集合住宅群を歩いてみた。
な〜んにもない。
生活臭さえも感じられない。
”ニュータウン”と称されるところの考え方として、駅周辺に生活必需品の店を集めて、住宅群には自動販売機さえも置かない”分離”がある。
確かに入居する人たちにとって、住まいの周辺にごちゃごちゃしたものを置かずにスッキリと暮らしたいという考え方があった。
それがオシャレに思えた時もあったのだ。
その結果が現在。
年老いて足腰が弱り、あるいは自動車を手放す年齢になって、子供たちはそれぞれ別の場所に住まいを構え、何をするにもいちいち駅まで出かけないと用がなさない、コンビニさえもない「静かな住宅街」が出来上がった。
駅に行くにも、元々が山だったので登り降りがキツく、距離も徒歩ではウンザリするほど。
そういう街を歩きながら、元々望んではいなかっただろうが、ここには文化も何も生まれなかったよなと、そんなことよりそもそも多くの日本人は文化なんて洒落たものなど望んでいなかったよな、テレビが、そして今だとネットが文化だと満足しているんだしなとツラツラ考えた。
写真を撮るつもりで来たのだが、そんな状況では撮るものもなく、久しぶりの歩行訓練だけとなった。

撮影用にシフトレンズを持ち出したのだが、一眼にこの手のレンズの組み合わせは、仕方ないとはいえ重量オーバーだよなと感じた。
マイクロフォーサーズにでも小型のシフトレンズがあれば理想的なのだが、超広角を1本とコンデジの組み合わせぐらいが現実的なのだなと感じた。
コメント
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