Nonsection Radical

撮影と本の空間

8月18日 考察などは

2022年08月18日 | Weblog
興味を持っている写真とか美術に対する「考察」には一歩引いた気持ちがある。
発せられるそれが鑑賞する人に向けてのものか、”同業”に対してのものか混在しているからだ。
鑑賞者に対してのそれは、作品を理解する手助けになる一方、”見方”を固定する恐れもある。
このように見るのが正しいとされるその先に思考の膨らみを持つことができるかが見る楽しさにつながる面もあるからだ。
他方、”同業”つまり同じ行為を行なう者向けに発せられるそれには、作品を作る「参考」としてのテキストという面があり、「自分なら・・・」という制作への手助けとされる。
案外これらが一緒くたにされて、発する方も受け取る方も何のためかを考えずに発するケースが見受けられる。
そこに撮り方への影響があらわれ、表面上をなぞった「作品」がコピーのように生まれてくる。
多くが表面を真似ただけの流行りものであるのだが、当人らには意識はない。
これが嫌なの。
意識した一線の元に行なわれないと”勘違い”の原因になると思うのだ。
で、それを差し置いても「そんな事どうでもいいじゃないか」と思って写真を撮っている。
だって撮影の瞬間には様々な事をいっぱい考えてるんだから、それで十分じゃないかと思うのだ。
そんな事よりも日頃大切なのは、もっと楽しんだり喜んだりする事だと思う。
その”感性”を持ち続けられる事が思考を柔軟にし豊かにするはずだから。

電車待ちのターミナルビルの書店で購入。
あなたのことが知りたくて 小説集 韓国・フェミニズム・日本 河出文庫
そして単行本をすでに購入し積読されていたことを帰宅後知る。 orz
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