Nonsection Radical

撮影と本の空間

12月1日 不器用だから

2022年12月01日 | Weblog
しばらく仕組みづくりをし続けてるが進まない。
不器用だから流れの仕組みを作っていないと途中で止まってしまい、多くがそこで終わってしまう。
そうやって大判写真撮影も止まっているし、インスタント写真部会もだ。
撮影してからのあとの流れを何とか作ろうしているのだが、少ない時間と予算でああもやろうこうもしようと案を練るが進まない。
そこでエイやっと部分的に進めると永遠に仕組みは出来上がらない。
困ったものなのだ。
何もしていないわけじゃないんだ。
重々承知乃介なのだ。
でもできないんだよなぁ。

年明けから年金と労働の二本立て生活で時間を作ろうと思っているのだが、現状は労働者不足でとても労働時間を減らすことなど望めない。
世間にはとても現役世代では務まらない低賃金過酷労働な職種があるのだ。
最近は、若者が年寄りを捨てる日が近づいて来たと感じる。
この国では年寄りの世話は低賃金でするものだと国で働く連中が決めたので、介護とか看護、医療などを低賃金長時間で若者が働く状況が続いて来たが、これはすべてそういうシステムを作って若者を仕向けた制度だからである。
だが、昨今のコンビニをみてもそうだが、仕事にあぶれても対人関係の仕事などとてもペイが合わないからと若者は仕事に選ばない。
だから最近は外国人店員も増えているのだが、言われているようにすでに日本は外国人にとって高賃金の国ではなくなっているので、日本に出稼ぎに来る外国人が増えることはない。賃金以外の待遇も非常に悪いし。
次に来るのが、文句ばかり多い扱いづらい老人の世話など割に合わないからと若者が就労を拒否する時代だ。
特に介護医療など入ってくるお金が決まっているサービスは労働賃金を上げることも叶わない。かといって保険料を上げることもできない。
そうなると若い働き手がいなくなるサービスが増えるだろう。
そこに入ってくるのが満足な年金をもらえない老人たちである。
生きるために年金をもらいながら働き続けるのだ。低賃金で。
家庭版老老介護から公的老老介護の時代が来るのだ。
介護だけではない。医療もその他サービスも老老の時代が来るのだ。
そして若者は自分のために働き続け歳を取っていくのである。
コメント
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