Nonsection Radical

撮影と本の空間

ノーテクは難しい

2011年05月26日 | Weblog
一部つぶやきを聴いた人は知っているだろうけど、現在あるプロジェクトを開始しようとしつつある段階に入ろうとしている(つまりまだ始めていない)。
その初期段階を今日のお昼休みに始めたのだが、数々の問題を発見し、その対応策を考えると、当初予定していたスタイルとはまったく異なる状態になる事がわかった。
つまり「想定外」という事だ。
目標としていたのは「軽薄短小」であったのに、実際には「重厚長大」になり、爽やかな好青年のsatoboが苦みばしった渋いダンディなsatoboというぐらいのイメージの違いが出来てしまった。
この違いは軽薄短小と短小包茎の違いぐらい違う。
またたいしたテクニックなどないので、一つ一つ試行錯誤しながら反省しているのだけど、やっぱりプロは上手いなと今になってわかってくる始末だ。
なんの事だかわからないけど、もうしばらくしたらお知らせ出来るかもしれない。

それとは別件で、6月には結婚式をビデオ撮影するので、13年使用のカメラの「調整」に忙しい。
ハレーション対策をしっかりしようと、レンズをマスキングしたり、音対策に外付けマイクをつけたりと、これも重厚長大に向かいつつある。



画素数も32万だったりして映りもしょぼいのだけど、コンパクトなカッコ良さは昔のソニーの良さである。
コメント (2)
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写真は横、ビデオは縦

2011年05月26日 | Weblog
ビデオの16:9って縦横比は横に広がり過ぎじゃないのかと思う。
十分パノラマサイズだ。
テレビ画面の比率もブラウン管の4:3から液晶の16:9になっている。
液晶テレビに買い換えるにあたり、従来より大きな画面サイズをお求めになる方がと販売員から説明もされた。
説明によると16:9サイズになると、横長なので「対角長」で画面サイズを考えると上下が従来のより小さくなってしまうからだとか(わけわからん)。
つまり最近よく言われる「35ミリサイズ換算で」というのは簡単に言うと横幅相当ということなのだ(わけわからん)。

実際に撮影してみるとわかるけど、写真を撮影する場合に重要となるのは横がどれくらい写るかという事。
横幅でどの範囲が写されるのかを気にする。
というのも、従来の写真のフォーマット(規格みたいなもの)は縦横比で5:4とかデジカメで4:3とかせいぜい3:2とか、そんなに横長でないので、横を決めれば縦は結構そのまま決まってしまう構図となっていたのだ。
どういう事かというと、写真の対象となるものは不思議と写して気持ちいい縦横比率というのは決まっているようで、何かを写し取ろうと思った時、従来のフォーマットだとスッポリ切り取れる事が多いんですよ、個人的に。
横をどれだけ写すとすると、縦はそこそこ思った通りに写される。タテモノで言えば、横が入りきるだけの構図にすると不思議と縦も入るのです。

何日か前の画像ですが、横を決めれば縦も自然と決まるんですよ。
ところが16:9という縦横比になると、あまりにも横が広すぎて、タテモノを屋根まで入れると横に余分な空間が出来てしまうという感じになってしまうんです。
逆に言うと、横を基準に決めると上下が切れてしまう事になる。

16:9という比率は、それぐらい従来の感覚をぶち壊してしまうインパクトがあるのです。
で、テーマに戻りますと、フィルム撮影の写真はレンズの焦点距離の選択は画面の横がどれくらい写るかを基準に決めている。
それが当てはまるのはsatoboの場合、35ミリ版から8x10までのサイズです。
ただしブローニーの12x6となるとさすがに、今日話した16:9以上になるので上下が大切になってきますが。
一方ビデオでは現在16:9の画面比率が中心ですので(satoboのビデカメはいまだに4:3ですが)、どれだけ横に写るかを基準にすると上下が切れてしまう可能性がある。
だから写したいものの上下が収まるように考えて、左右の余分な部分は上手くごまかす手法が必要となって来るのです。
それぐらい16:9というのは横に無駄に広すぎるのです。
世の中の被写体は16:9で出来ていないのです。

というわけで(どんなわけで?)、最近のビデオカメラでレンズが何ミリ相当という表示があっても、何ミリ相当なのは横幅であって、縦はもっと狭いという事を強く言いたいわけなのです。
同じ何ミリ相当でも、古いカメラでは写っていた甍の波(いらかのなみ)が、最近のビデカメではちょん切れてしまうのですよ。
マニアックな話になるけど、16:9で何ミリ相当と説明があっても、実際には縦は何ミリ相当になるかの説明はなくて、参考になるのは従来の縦横比のスタンダードモードでの焦点距離から換算して何ミリ相当だと想像するしかないのです。
すごいマニアックなsatoboの写真日記にはふさわしくない内容でしょ。
でもなぜこんな事を書いているのかというと、ソニーのビデオカメラ(略称ビデカメ)で広角側焦点距離が約26ミリという「超広角」のレンズがついているのだけど、さっきも言ったけど、広く映るのは左右の横幅だけで、上下となると30ミリかそれ以上にしか映らない事がわかったからだ。
昔ながらのビデオで撮影すると26ミリ相当ならしっかり地面も屋根瓦も映っていたのに、16:9ビデオだと屋根が欠けてしまう。
16:9には定数を掛け合わせて換算しないと屋根は映らない(や~ね)。
つまり約26ミリ相当という広角レンズのはずが、実際の画像は思ったほどでもなく、上下を切れずに映すにはワイドコンバータレンズ(略称ワイコン)が以前よりまして必要となっているという事なのです。

だから何なんだ?というのは、satoboにAKB48の渡辺麻友と麻木久仁子のどちらを取るんだという「愚問」と同様の質問である。
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震災の影響

2011年05月24日 | Weblog
会社帰りに某ヨドバシカメラへ行き、ちょいとしたものを買おうかと展示品を触ると、すかさず「ご説明を」とジョシが近寄ってくる。
愛いやつじゃ苦しゅうない近う寄れ、と側にはべらせる。
最初から「買うよ」と言うと、俄然対応が違う。
社員ではなく派遣なのだろう。ノルマもあるのだろう。家には年老いた両親と幼い子供、失業した亭主がおなかをすかせて待っている(かもしれない)。
これと、これと、とカタログを指差しながら言うと、「ちょっと待ってください。在庫がないかもしれません」と調べに行く。
「あいにく在庫を切らせています」と地震による工場被災で入荷が滞っている事を説明する。
入荷までに2,3週間かかるかもしれない。たぶん他の店舗にもないだろう。さてどうしましょう?
じゃぁやめる、と言うとガックリと肩を落とし、「非常に残念です」とうなだれる。
「でもバッテリーチャージャーがなければ、バッテリーを買っても充電出来ないもんね」と言うと、納得するより仕方ない。
じゃあまた来るわ、というと、次回もご指名をというので、出勤日を訊いて店を出る。

帰宅後ネットで調べるとやはりどこも在庫がない。
ところが、ネット直営ストアを見ると、在庫があるとの表示。
木曜日に配達(予定)。
予定という不確定要素に危惧しながらもポチッと。
しばらくすると出荷予定日が決まり、木曜着。
明日もう一度某ヨドバシへ行って、指名(同伴なし)。
もちろんブツを手に入れた事は、ごく自然に自慢し「どや!」。
お店が終わったあとは、どこかで食事をしてそのあとは・・・

嗚呼、大阪の妄想の火は燃える。
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雑誌1年周期

2011年05月23日 | Weblog
何かモノゴトを知りたいと思ったら、その手の雑誌を1年間読めばイイ。
1年読めばだいたいの事がわかり、この後は繰り返しの記事となる。
新しい情報を知りたい時だけ、時々買えばすむようになる。

現在、ビデオカメラ雑誌を買いだした。
ビデオカメラにはプロ機材というジャンルがある。
カメラもレンズもフォーマットもアマチュアとは違う。
その違う世界を同じ雑誌の中で扱っているのが面白い。
まあアマチュアの憧れの世界というものだ。
とはいっても、国産のカメラがメインなのは、そういう商流だからなのか。

面白いのはプロ用という事で、非常に高価な機材も当然という世界がまだ生き残っているのだ。
「スチール」の世界では、一桁低い価格でも「高い」と不満の声を当然のように上げる。
まあ、価格.なんとかになるとどちらも同じようなものだが、雑誌の世界という事で。

まだ読み始めたばかりの初心者なので「業界」の事はわからないが、1年読めばだいたいの事はわかるだろう。
そうすればsatoboもにわか事情通となれるのだ。
その時には相談に乗ります(笑)。
何年読んでもパソコンの事はわからないけど・・・
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浮気していたら・・・

2011年05月22日 | Weblog
ビデオ撮影ばかりに心を囚われていたらデジカメ画像のストックがなくなっていた。
デジカメを見ると、まだ転送していない画像がたくさんあった。
それを転送して加工したのが今日からの画像。
4月ぐらいの画像だ。
季節感のないものを撮影しているからあまり関係ない。
場所も関係ない。
何も関係ない。
意味のない写真。
語るものが何もない写真。
そういうのが理想とする写真だ。
純粋写真。
思想も物語性も記録性も何もない写真。
そういう写真を撮りたい。
そういう写真を純愛と呼ぶのだろうか。
浮気をしていても純愛写真なんだろうか。
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