寒くなるといつも風邪をひいている事になっている。
今年もさっそく何度目かの風邪をひいて、肩が肩こりで、頭が頭痛で、耳が耳鳴りとオンパレードの症状が出た。
昨日木枯らしが紋次郎した大阪であったが、今日は夕方に富士フィルムフォトサロンに「LIFE ~父の眼差し、娘の視線~」を見に行ってきた。
原発、東京電力というのは、いわば日本のシステムの根幹であると思った。
原発廃止の声もある世の中で、廃止をするという事は、日本のシステムを変革する事も覚悟の上での考えなのだろうかと思いもした。
原発の、日本のシステムを変えるというのは、我々の現在の生活のシステムを変える事にもつながると思うのだ。
その生活のシステムとは「土着性」だ。
地方に公共事業を振り分けるというのは、その土地に住む人に仕事を与え、生活の基盤を築き、土着性を高める事である。
農林水産業にいそしむ人々に、現金収入の道を与え、孫子の代まで「家業」を継いでいくように出来るシステムだ。
それを土地の人は望み、中央はそれを与えて、それが日本のシステムとしてやってきた。
たとえ都会に出て生活を始めた人も、多くが「田舎」に足跡を残し、「故郷」として生活のシステムに組み込まれているので、「盆」や「正月」に「帰省」するのだ。
しかし、現在の中央の政治、経済のシステムを変革するという事は、どうしても地方の生活のシステムをも変えてしまう事になるのだ。
人々は仕事のあるところへ生活を移動し、それをずっと繰り返していく事になるだろう。
移動する場所は都会だけとは限らない。
それぞれの手に持つ技術によって渡り歩いていく事が必要になるかもしれない。
つまり「故郷」の喪失だ。
知った顔ばかりの共同体から、知らない顔ばかりの共同体での生活を繰り返さなければならない。
共同体への依存体質から、自己を確立した積極的生活参加へ生き方を変えなければならないのだ。
自己の確立こそが、現在の日本型システムの変革の姿であるから、システムを変えるには避けられない道筋だ。
もし、現在のままの共同体システムを維持しながら、原発を廃止、東電の仕事の進め方を変え、霞ヶ関のシステムを変えようと思っても無理だ。
それは徳川体制が崩れた時に、人々の生き方も変えざるを得なかったのと同様だ。
そういう結果が待ち受けている事の覚悟を持って、はたして現在のシステムを変えようとしているのか。
そんなことを考えながら女川の街の写真と、そこに住んで、そして現在も住んでいる人々のポートレートを見たわけである。
写真展は明日2時まで。
和歌山市雑賀崎 Part1
今年もさっそく何度目かの風邪をひいて、肩が肩こりで、頭が頭痛で、耳が耳鳴りとオンパレードの症状が出た。
昨日木枯らしが紋次郎した大阪であったが、今日は夕方に富士フィルムフォトサロンに「LIFE ~父の眼差し、娘の視線~」を見に行ってきた。
原発、東京電力というのは、いわば日本のシステムの根幹であると思った。
原発廃止の声もある世の中で、廃止をするという事は、日本のシステムを変革する事も覚悟の上での考えなのだろうかと思いもした。
原発の、日本のシステムを変えるというのは、我々の現在の生活のシステムを変える事にもつながると思うのだ。
その生活のシステムとは「土着性」だ。
地方に公共事業を振り分けるというのは、その土地に住む人に仕事を与え、生活の基盤を築き、土着性を高める事である。
農林水産業にいそしむ人々に、現金収入の道を与え、孫子の代まで「家業」を継いでいくように出来るシステムだ。
それを土地の人は望み、中央はそれを与えて、それが日本のシステムとしてやってきた。
たとえ都会に出て生活を始めた人も、多くが「田舎」に足跡を残し、「故郷」として生活のシステムに組み込まれているので、「盆」や「正月」に「帰省」するのだ。
しかし、現在の中央の政治、経済のシステムを変革するという事は、どうしても地方の生活のシステムをも変えてしまう事になるのだ。
人々は仕事のあるところへ生活を移動し、それをずっと繰り返していく事になるだろう。
移動する場所は都会だけとは限らない。
それぞれの手に持つ技術によって渡り歩いていく事が必要になるかもしれない。
つまり「故郷」の喪失だ。
知った顔ばかりの共同体から、知らない顔ばかりの共同体での生活を繰り返さなければならない。
共同体への依存体質から、自己を確立した積極的生活参加へ生き方を変えなければならないのだ。
自己の確立こそが、現在の日本型システムの変革の姿であるから、システムを変えるには避けられない道筋だ。
もし、現在のままの共同体システムを維持しながら、原発を廃止、東電の仕事の進め方を変え、霞ヶ関のシステムを変えようと思っても無理だ。
それは徳川体制が崩れた時に、人々の生き方も変えざるを得なかったのと同様だ。
そういう結果が待ち受けている事の覚悟を持って、はたして現在のシステムを変えようとしているのか。
そんなことを考えながら女川の街の写真と、そこに住んで、そして現在も住んでいる人々のポートレートを見たわけである。
写真展は明日2時まで。
和歌山市雑賀崎 Part1