Nonsection Radical

撮影と本の空間

オトナの言動

2016年06月15日 | Weblog
なんかやんなっちゃうねぇ。
いろいろすったもんだすることがニュースになっているけど、だからと言ってその結果・・・ってのも”オトナの事情”ばかりが噂されて・・・
ここにコドモに対するオトナの見せる顔ってのが全然考慮されていないんだけど、そこんとこどう思ってんだろうね。
コドモ達に顔向けできないようなセコイこととか、みっともないこととか、ハズカシイこととかイッパイ晒しているよなぁ。
ハズカシイよなぁ。
そうやってオトナっていうのは、偉くもないし、賢くもないし、夢があるわけでもないしと「情操教育」をしているのかもしれないけれどね。
オトナになるのって大変で、自分には不安がイッパイある世界だなぁと、オトナになるのを躊躇するコドモ達をなくして、オトナってバカじゃん、こんなオトナなら自分でもなれるなぁとハードルを低くする高度な作戦なのかもしれない。
でも、オトナってヤダなぁと思わせるだけになるかもしれないのだ。



川越市駅前
埼玉県川越市六軒町1丁目
撮影 2016年3月31日 木曜日 16時20分
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ブログサービス不調

2016年06月14日 | Weblog
今日はブログサービスのメンテナンスだったけど、こういうメンテというのは往々にして不具合を招くもので、やはりというかずっとアクセス不能が続いた。
それでもこういうサービスが無料で維持されているのはありがたいことです。



本川越駅前
埼玉県川越市新富町1丁目
撮影 2016年3月31日 木曜日 16時10分
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電池電池電池

2016年06月13日 | Weblog
もう最近はなんでもすぐに電池電池電池とバッテリー残量を気にしなくてはならない事ばかり。
ケータイだタブレットだカメラだと気を許せばすぐに充電の”警告”が表示される。
電池切れになると単なるゴミにしかならないんだから、渋々従わざるを得ない。
便利な世の中なのか?
便利なんだろうなぁ。
でも気に入らねえ(笑)
今じゃスマホがパソコンの代わりというか、携帯型小型コンピュータがスマホなんだろうけど、それだってなんやかんやと多機能を使えばすぐに電池切れになる。
充電できないようなところへは長期間行けないし、もし壊れたらなんて考えるとバックアップをどうするかと心配になる。
たとえばデジカメができて、これでたくさんのフィルムを持って歩かなくてもすむと便利さばかりが”誇張”されたが、その代わりというか、その代償に予備の電池の事を心配し、「データ」のバックアップを考えと、結局必需品が他へシフトしただけと言える。
フィルム時代のマニュアルカメラだったら(自動巻上げとかオートフォーカスとか自動露出のないカメラね=時代錯誤)、撮影中に電池の心配などした事はない。
読書だって新聞だって紙で困る事などなかった。
社会インフラが不便さを補っていて、それで不十分なところは諦めるという”合意”があったのだ。
でも今では、すべてが自己インフラにされて、個人的不便も社会的不便もすべて自分でどうにかしないといけない「自己責任」になってしまった。
これで得をするのは誰なんだろう。
そんなバカバカしい事を考えるのも、電池の持ちが悪いからなんだよ。
充電ばっかりに気を使っていられるか!



川越中央通り商店街
埼玉県川越市中原町1丁目,新富町1丁目
撮影 2016年3月31日 木曜日 16時00分
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時代考証

2016年06月12日 | Weblog
なんて言ったら時代劇のことだけかと思うだろうか。
オッサンだから当然のごとく昔の映画や音楽や本を好むんだけど、今日小沢健二を聴いていて(笑)、この”内容”って現在の若者に伝わるんだろうかと思ってしまった。
小沢を聴きながら読んでいたのが安部公房で(笑)、さらに疑問は深くなるばかり。
自分が安部公房を読んでも、今じゃあ通用しないよなぁと思う話も結構あったりするのは、シーンが想像できないんだね。
音楽や映像、文章なんかで現代性のあるものって、その時点での現代性であって、時代が過ぎると現代性の空気というのが違ってきてしまうわけだな。
その当時の現代性を知っているのなら「思い出す」ということもできようが、全く肌に感覚がないものをどうやって受け入れるのか、結構問題が深いと思う。
カローラツーとか言われたってわかんないし、バラックって言われてもなぁ(笑)。
そうなると作品が出された当時の「現代性」を知らなければ、何がいいんだかわからないという事にもなるわけだ。
吉行淳之介や永井荷風の小説を読んでいても「実感」が伴わないのはそういう事だと思うし、小津安二郎の映画を懐かしい姿と思うのも当時とは絶対に違う感覚だし、小沢健二のチャラい歌声に今のナウなヤングが何を感じるかもわからないと言える。
”そういうもの”を今味わうという事には、そういう厄介なことがつきまとうんだろうけど、そうしないと本当の良さってわからないんだろうな。
もちろん「再発見」という形で楽しむという事もできるけど、ディスコでフィーバーしている姿を見ても、再発見どころか「何バカな事をしてたんダァ?」と思うのがせいぜいだろう。
でもその時代には確かにそうする事に意味を感じていたのだから、そこで簡単に乖離させるのではなく、現在へと続く時代の流れというものを知って欲しいと思うんだよねぇ。
でないと、いつも「なんであんなことしてたんだぁ?でなんで今こんな風になってんだぁ?」って答えが出ない気がする。



川越名店街 2
埼玉県川越市仲町,連雀町
撮影 2016年3月31日 木曜日 15時45分
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金欠

2016年06月11日 | Weblog
予想を上回る勢いで各種請求が送られてくる。
おいおいなんでこんなにぃ?と思う金額が書かれていて、冗談じゃぁネエよって思ってしまうが、これも浮世の定めと諦めて、いかに乗り切るかという事を考える。
クルマは廃車にしてしまったので、各種手続きも行なったし、これからはもっとシンプルにと思っているのだけれど、シンプルな生活も困難になる程、お金というものは取られていくのだなぁと実感するのは遅すぎるのか。
とこういう事を考えるようになるというのは、やっぱり”現役”から外れているという事なんだろうな。
だからそれに早くカラダを合わせるようにして、ジジイらしく大人しく生きていくというのが最善の道なんだろうな。
ここで、いやいやまだまだ頑張るぞなんて考えるのは無駄なあがきで、さっさと方向転換する方が楽なんだよな。
そこでこれまでの”こだわり”なんかを捨ててしまうことに躊躇しないことが重要なんだと思うんだよ。
よくよく考えればこだわることなんか実は持っていないんだよね。
あると思うものにこだわるから余計なことを考えてしまい、”守り”に入るんだよ。
守るものなどオッサンにはない、ということを自覚するのであった。



仲町商店街 2
埼玉県川越市仲町,松江町2丁目
撮影 2016年3月31日 木曜日 15時15分
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