毎日、はっきりしない天候です。
暑くなるかと思うと・・・
3月頃の気候ですとテレビの天気予報が!!
先日の、ウォーキングの資料を書いてみました。
古い歴史があるのに気づかされます。
[久留里の歴史」
戦国時代の初期、安房か進出してきた里見義堯が浦田の峰に城を築いた
その後、里見氏と小田原北条との間で久留里、国府台、鎌倉、三舟山で
壮烈な合戦が行われた。
江戸時代で大須賀氏が三万石の大名として久留里城に入城。
土屋家三代、黒田家九代が城主となり、明治維新を迎え、
久留里は城下町として栄えた。
明治中期に上総堀り井戸が開発され、
2008年に平成の名水100選に選ばれた。
名水を使った酒蔵元があり、数年前から名産として淡水魚のホンモロコが養殖されている。
[ガイド内容]
○久留里城周辺=約1時間
○城下町(町並み)=2時間
○JR久留里駅→久留里城=約2㎞
○JR久留里駅→土屋家五輪塔=約1.5㎞
○午前10時~午後3時(原則的に3名以上)
○申込は予約=2週間前(原則)
○予約先・連絡先=久留里観光交流センター
(☎・Fax、0439-27-2875)
※国道410号線、高速道路木更津東(下車)
※JR内房線→久留里線(木更津ー久留里)
[交通機関・主な時刻表]
JR久留里駅
下り 上り
9:56 14:22
10:51 15:26
千葉・鴨川(カビーナ号・久留里駅前)
下り 上り
10:02 13:18
11:42 15:28
鴨川~浜松・東京(アクシー号・久留里駅前)
下り 上り
10:24 14:36
10:59 15:36
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関東で最大級の土屋家五輪塔
曹洞宗・円覚寺境内にある。
高さ4㍍級の五輪塔が、3基あり、
関東でも最大級。
土屋家初代の忠直、2代利直、忠直の奥方の供養塔。
忠直は徳川家康に見出され、2万石の大名として
久留里城主となる。
江戸時代の偉人・新井白石居宅跡
久留里小学校付近にあり、白石が青年期の3年間在住。
白石は徳川6代、7代将軍に仕え、将軍に儒教を教え、法律を作り
江戸時代の偉人と言われる。自叙伝「折りたく紫の記」は有名。
黒田家の祈願所 円如寺
真言宗智山派。応永2年(1395)久留里市場字山王前に開基されたが、
元亀2年(1571)に現在の小市部に移転した。
その後久留里城主・黒田家の祈願所となる。
街中に点在の上総掘り井戸
明治中期、上総地方で開発された。
足場を設置し、地下300~700㍍掘ると、
きれいな水に達し、自噴する。街中に点在し、平成の水100選に
「生きた水・久留里」として指定された。
里見氏ゆかりの加勢観音堂
浄土宗・正源寺境内にある。戦国大名の
里見義堯が小田原北条と何回も壮烈な合戦を行った。
ある時夢枕に観音様が現れ、必勝のお告げがあり、その通りの
作戦で勝利を収め、加勢観音と名づけた。
久留里城主 黒田家九代の直養の墓
相同宗・真勝寺境内にある。久留里城主・
黒田家九代目の直養は、江戸時代から明治時代を経て、
大正8年に死去。久留里地区発展に尽力。
黒田家八代目までの墓は埼玉県飯能市の能仁寺の高台にある。
久留里神社
別名「細田妙見」と言い、治安元年(1021)平忠常が創建。
建久3年、源頼朝が東頼胤に命じて、社殿を修理させた。
明治以降久留里神社と改名された。
妙長寺
日蓮宗。久留里城主・黒田家初代直純の姫「於栄」、「於多勢」や側室、
5代直方の姫「多喜子」が眠っている。この他、家老など久留里藩士の
墓が多くある。
神明社
祭神は天照大神。寛文元年(1661)伊勢神宮より御神鏡を拝受して久留里城主・
土屋氏が本社を創建した。当時流行の疫病退散を祈願した。
下町 浮戸神社
本尊は不動明王。寛正5年(1464)高谷延命寺(現袖ヶ浦市)の
別院として建立。明治初期に焼失したが、本尊は無事。
後に浮戸神社として再建された。
怒田大日堂
本尊は大日如来。その昔怒田に大蛇がいて村人を襲っていた。
法性房という僧が大日様を安置したところ、大蛇の姿が消えた。
お堂の大蛇の置物がある。
久留里の大井戸
江戸時代前期に掘られた堀り井戸。久留里新町にあり、
深さ約3㍍で、城下町の生活用水として利用された。
久留里城主・土屋公から助成金が贈られた。
以上
また、ゆっくり行きたいですね。