実は
私が若い頃
やくざやさんの家でお手伝いさんをしていた
3年もしていた
もちろん暴力抗争とは無縁の
ふつうの、といったら誤弊があるが
昔は土建屋さんといったら
ほとんどがや~さんだった!
そんな部類
社長は親分と呼ばれていて
役所でも大きな顔で
美味しい仕事は全部とってきていた
それがや~さんと言わしめることのひとつだろうけど
毎月上納金を何十万円もどこかに送金していた
多分そんなお金が
今神戸なんかをゆるがしている
や~さんの懐に入っていたのかもしれない
もちろんお手伝いさんごときで
詳しく知ることはない世界だったので
本当の所親分がどれほどの力があったのかは分からないが
お正月には子弟とよばれるや~さんが
ひっきりなしに挨拶にみえた
皆さん奥様連れで
顔は強面だけど優しい人が多かったように思う
姐さんと呼ばれていた親分の奥さんに
ロクな躾もされてなかった私は
厳しく躾けられた
掃除機のかけ方
電話のとり方
出入り業者との接し方
なぜに私が
や~さん家のお手伝いさんになったのか
母の連れ合いとの関係からになるんだけどね~
決して楽しい事ではなかった
でも長い人生でこれほど意義のあった年月は他にない。