Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

今週の週刊ポストは必読! 下村さんのこと、国歌のこと。

http://www.weeklypost.com/120406jp/index.html

現在、発売されている「週刊ポスト」が面白いです。

まず、杉山春さんの「ふたつのネグレクト-大阪二児遺棄殺人事件」は、是非とも読んでおきたい渾身のレポだと思います。

このブログでも、下村さんのことについて触れてきました。この杉山さんは、下村さんのことを徹底的に調べている方で、裁判の傍聴もしっかりしている人です。この人のツイッターのつぶやきもとても面白く、注目したい人です。

これまでの報道では明らかにされてこなかった下村さんの背景がとてもよく分かると思います。読んでいて、とても胸が痛くなりました。

ただ、この記事を読んで、「やはり、どういう事情であれ、彼女がしてしまったこと自体は、決して許されるわけではないな」とも思いました。杉山さんがとても共感的に書いている分、どこかしっくりこない感じが出てきました。

それと同時に、この事件は、ある意味で、「教育の失敗」を描いていると思います。彼女の過去は、たしかに壮絶だったと思いますが、壮絶な過去をもっている人は、彼女以外にもたくさんいます。壮絶な過去をもちながら、自暴自棄にならずに、正しい判断ができれば、このようなことにはならなかった。

問題解決能力という言葉があるけれど、まさにその能力が発揮されていなかった。彼女自身、人の手を借りてもいいから、叫ぶべきであった。Noと言えるチャンスはあったはず。そういう能力を、彼女は教育されなかった。「教育される」というのは、あまりいい言葉ではないけれど、文字通り、「学校で学んだこと」という意味で考えれば、学校で、彼女は、生きる力を学べなかった。教えてもらえなった? 学びから逃避した? どっちでもいいですが、「教育」で最も大切なリテラシー、人に言語で何かを伝える能力が習得されなかった。

杉山さんのレポでは、下村さんは、離婚調停のさなかに、「私には育てられない」と家族に伝えていたそうです。けれど、彼女の浮気によって離婚の話が浮上していたため、負い目もあり、結局は、育てられないのに、二人の子どもを引き取る結果になってしまったそうです。この時に、もっと議論できていれば…(けれど、相手方の対話能力も問われてくるわけですが…)

それに、子育ての壁にぶつかり、四面楚歌状態であることを彼女が自覚し、危機意識をもてば、そして、「何とかしないとまずい」と思い、問題解決のために動き始めれば、色々な可能性が見出せたはずです。けれど、それをしないで、逃避してしまった。

きっと、色々な時期に、この危機を回避するチャンスがあったはずです。けれど、そのために動くことができなかった。それは、彼女の責任というよりは、どのように問題解決すればよいか、そのためにどう自分が動けばよいか、教えてもらえなかったこと、そういう能力が教育されなかったことに、根深い原因があるように思います。

この事件に僕がこだわるのは、この事件が、「教育とは何をすることなのか」ということを教えてくれる事件だからだということにようやく気付きました。

教育されなかった人間は、どのような行動に出るのか。教育されない人間は、何ができないのか。それを教えてくれているように思います。

***

それから、もう一つ。

この号では、世界の国歌の歌詞が紹介されています。その歌詞の中身がとにかく凄い。過激。超民族主義的。

まぁ、国歌ですからね。そうなんでしょうけど。

ちなみに、イタリアの国歌の歌詞は、、、

イタリアの兄弟よ、イタリアは今目覚めた
シピオの兜(かぶと)を頭に戴き
勝利は何処にあらん
主が創りたもうたローマの僕(しもべ)
我がイタリア その美しい髪を捧げよ
さあ隊列を組め、我等は死をも恐れない
イタリアが呼んでいる、そうだ!

http://www.worldfolksong.com/anthem/lyrics/italy.htm

凄い歌詞だと思いません??

国歌を学校で強制して歌わせている国って、どれだけあるんでしょうね? 

http://www.din.or.jp/~okidentt/gaikokunorei.htm

「公務員なんだから、国歌を歌え。そして、子どもに歌わせろ」って、基本的なところで、どうなんでしょうね? 国歌を歌わなければならない理由ってあるんでしょうかね? 僕は、基本的に国歌のリズムや音やサウンドが好きなので、何にも考えないで歌いますが、歌詞の意味を考えると、どの国の歌も、歌いたくないですね。。。汗

この記事はとても読みごたえがありました。

***

それから、mixiでも取り上げられていましたが、国歌に続いて、仰げば尊しバッシングの記事も興味深かったです。ちょっとドンビキ、呆れてしまいましたが、そんなこともあるんだなぁ、と。

久々に、面白い記事満載って感じだったので、ご紹介しました。

今週号の「週刊ポスト」、読みごたえ抜群です!!

コメント一覧

kei
nogaさん

コメントと解説、ありがとうございました。

仰げば尊しのみならず、歌の歌詞も一つ一つ分析していくと、そこから日本の思想が見えてくるかもしれませんね。

考えさせられました!
noga
hierarchy
イギリス映画の ‘チップス先生さようなら’・(Googbye, Mr. Chips) ・を見た。彼は立派な先生で学内から尊敬されていたが、学生から見た師の ‘恩’ といった主題にはならなかった。
‘仰げば尊し’ は1884年(明治17年)に発表されたアメリカの歌 (Song for the close of school) の替え歌で、「身を立て、名をあげ、やよ励めよ」、の歌詞は、一部に批判されているという。
日本語には敬語があり、人間平等の精神が根付かない。だから、上から下への利益供与はオンであるが、下から上への利益供与はオンにはならない。こうした相対的な判断の欠けた恩賜や恩給の言葉も戦後は消えてなくなったが、恩師はどうやら残っているようである。
学恩を受け、あるいはお世話になった師を、素朴に感謝で想いつつ、努力して、社会に貢献せよ、そして驕らずにさらに精進せよ、ということで、実に真っ当な歌詞であると思っている人も多数いるが、世俗の上下にとらわれた考え方である。
このような我が民族の序列観には問題があるが、今も昔も変わらない。’仰げば尊し’ は、旋律ではなく歌詞の内容を改善する必要がある。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

我が国は ‘下の者ほど割が悪い’ という身分格式の社会である。
つまり、身分 (地位) により格式 (待遇) の定まる社会である。
礼儀作法は、序列差法である。
このような序列秩序を保たないと社会はやっていけない事情がある。
身分の上下にこだわらなくてはいけない。’人間は生まれながらにして平等である’ という精神は受け入れられ難い。
だから、自己の地位の向上が渇望され、向上心が生まれる。

‘、、、、名誉ある地位を占めたいと思う’。( We desire to occupy an honored place …. ). こうした心意気は新憲法の前文にも表われている。
言葉づかい (階称) のある日本語では、こうした発想法 (mentality) を変えることは難しい。
我が国は、外国の優れた点だけを取るいわゆる ‘パクリ文化の国’ であるが、哲学だけはついに取れなかった。



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