Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【第三日曜日の会】第一回 17人でスタート!

今日から始まった【第三日曜日の会】。

第一回は、総勢16人の卒業生が集結した。最初、5,6人くらいかなぁ~と思っていたのだが、予想以上に集まってくれて、かなりビックリだった&嬉しかった。集まった卒業生も非常に様々。保育園、幼稚園、学童保育、乳児院、大学進学などなど、バリエーションはかなり豊富だった。キャストに不十分さは感じられない。さて、どんな会になることか。まあ、やっていくうちにカラーも出てくることだろう(他力本願?!)。僕としては、マニアな会になればそれでOKかな、と思っているが・・・

今回、行った実践検討は以下の三つ。

①現保育士(保育園勤務:二年目)の実践記録の検討
②某幼稚園のオペレッタの最先端を観る(ビデオ観賞)
③現保育士(こども園:一年目)の実践報告(口頭発表)

この三つの実践検討だけで、3時間半。中身の濃い検討会となった。

①は、今年、私立から公立に移動した保育士先生(二年目)の一年目の実践記録を読む、というものだった。「ぎゃー」と発する1歳児の「奇声」に対してどう取り組むか、という内容だった。テーマ的には、一歳児の集団活動の可能性(奇声から遊びへと向かわせる)をさぐる、というものだったが、日曜日の会では、さらにつっこんだ議論が展開された。報告者のSさんは、「奇声」をあげる一歳児に対して、ことばによる指導を行っていた。だが、Sさんは、それでは「奇声」をやめない、ということに気づき、限界を感じ始める。あるとき、ふと思い立って、「オオカミが来るぞ~」と言って、1歳児に迫っていった。そうしたら、ただ単に奇声をあげていた子どもたちは、オオカミを怖がって、押入れの中に隠れ始める。もちろん、奇声をあげることを忘れ、必死に、オオカミさんに食べられないように!と息を潜めた。そんな内容の報告だった。

この発表に対して、最初、①走り回ることを禁止している園ではどうやって対応したらよいか、②子どもに対する説明による奇声の抑制はどこまで可能か、という質問が出た。だが、これは場当たり的な問いなので、議論の発展は乏しい(どうしたらいい、とか、こうしたらいいというHow to的な質問は役に立ちそうで実はあまり参考にならない!)。そこで、③こどもはなぜ人間の言葉による働きかけには応じないが、オオカミによる働きかけには敏感に応じるのか?、という問いを投げかけた。「子どもの意味世界」に目を向けようと思った。奇声をあげるだけの一歳児であっても、「オオカミ」を恐れて、押入れで息を潜めて見つからないようにすることはできるのである。「オオカミ」(総じて「動物・生物」)に、いかなる力があるのか、そういう議論へとシフトしていった。特に、子どもにとって動物や昆虫は人間以上に身近な存在で、親しい間柄なのである。アリに過剰に反応を示す子どもは多くいる、という意見も出された。

②では、或る意味、実践を極めた幼稚園のオペレッタ実践の映像をみんなで観た。4歳児による20分以上のオペレッタ。とても見よう見まねで真似できるようなものじゃない。この映像について、参加者からは、「すごい」、「ビックリ」、「或る意味、気味悪い」、「真似できない」、「どうやったらこんなことできるのか」、「これを嫌がる子どもにどう対応したのか」、「自分が親だったらきっと泣いてしまう」、といった意見が出された。参加者たちは、少なからず、良くも悪くも強く反応していた。こういう極端に極めた保育を見ることも悪いことではないだろう。(この真似をするかどうかは別として、どのような表現活動を創造していくのか。これは初等教育・保育の大きな課題であろう)

③は、まさに新しく保育の世界に飛び立った新米保育士Oさんの実践報告となった。「私の園は、今年開園されたばかりの新しい園。そして、新しい子どもたちが園にやってくる。最初の一日目は、親がそばにいたので、泣いたりぐずったりはしなかった。でも、次の日(二日目)、朝親が子どもを園に連れてきて、親が帰ろうとすると、ものすごい勢いで泣き始める。抱っこしても、おもちゃをみせても全然だめ。三日目も四日目もダメ。何をしても泣いてしまう。けれど、一週間が経ち、二週目になると、少し泣き方が変わってくる。抱っこをすると泣き止む。笑うこともできるようになる。おもちゃを見せると、それに関心を示す。二週目の最後になると、園ではおとなしい子が、お母さんを見るなり泣き出す場面も出てくる。今後、その子らにとって園がどのような場所なのか、観ていきたい」、そんな話をしてくれた。今後、Oさんの園児への見方がどのように変わっていくのか、連載っぽく報告してくれることとなりそうだ。

さて、【第三日曜日の会】、どうなることか。僕も迷い迷いに舵取りをしていきたいと思う。「分かっていることが分からなくなる」、「当たり前のことを問い直してみる」、そういう体験を引き出す場にしたいと思う。中には、わざわざ東北から来てくれた卒業生もいた。一年ぶりくらいに再会した卒業生もいた。みんな、学生時代とは違い、それぞれ自分の職場で、一人、孤独に仕事に励んでいる。でも、一人じゃ、やっぱり心細いし、自分のやっていることがどうなのか見えにくくなる。是非この会を利用して、自分の実践を不断に問い直していってもらいたい。

*来月も、第三日曜日(PM13:00~)に行います。コアな卒業生・在校生・関係者のみなさんは是非来てみてくださいませ♪

コメント一覧

kei
emuさん

おお、ブログではとっても久しぶりでございます。近況報告ありがとうです。

まだまだ緊張感は強くあるのかな?? でも、コメントを読ませていただく限り、手ごたえがある感じですね。

「しゅきくない」、重たい言葉だけど、それをしっかり受け止めて前向きに考えているemuさんにちょっと感動でした。

是非第三日曜日の会にも来てください。みんなの発表を聞くといい刺激になりますよ~~毎月第三日曜日は学校へ行こう!ってことで。。。

よろしくです。

お仕事、無理しないで、焦らずじっくりやっていってね!!ガンバレ先生!
emu
お久しぶりです。学生のときは先生にとってもお世話になりました。
久しぶりにブログを見て先生変わってないなぁと思いました!笑
先生私のこと覚えていますか?学生の時よくこのブログにお邪魔させていただきました。
私は今幼稚園で3歳児30名クラスの担任をしています。入園式から本当に毎日が壮絶で大変ですが充実しています。
そして私がどんなに無力か思い知らされています。
子どもたちの行動には1つ1つきちんと思いがあり気づいてあげなくてはいけない、気持ちを読み取ってあげなければいけないのに、毎日30人の1人1人の気持ちを汲み取るのは私には出来ません。
配布物の制作、毎日の日案、保育室の装飾、毎日やることが多すぎて最初のころは子どもたちと全力で向き合うことができませんでした。

これではいけないと感じたのは自分のクラスの子どもの一言です。
「ようちえんしゅき。せんせいしゅきくない」
大きな槍が心臓を突いたように胸が痛かったのを忘れません。


どうすれば子どもたちとの間に出来た溝を埋められるのか悩んで悩んで悩みました。未だに悩んでいます。
今はまず全員子どもの名前を出欠確認以外で一日5回は呼ぶようにしています。呼ぶからには何か小さなことでもいいからその子だけに用事を作り会話をしています。
もうひとつ子どもたちを誉めるときはギュっと抱きしめるようにしています。
これを続けたら溝が埋められるかはわかりません。でも私が前よりも自分のクラスの子をかわいくて仕方がないと思い始めたのは確かです。


kei
nadeshokoさん

はい!とっても面白いですよ。卒業して、社会に出ていて、わざわざ勉強しにくるんですから、そりゃ面白い会になりますよ(面白くて、みんな真剣!!)

ただでも忙しいのに、学びに来てくれる学生はホントすごいと思います(面と向かっては言いませんが~)

nadeshikoさんもいつか是非♪
nadeshiko
おもしろそう!
http://nadeshiko-blog.269g.net/
コアな卒業生・在校生・関係者のみなさんじゃないから見に行けないけど、おもしろそうなことされてますね!

また報告してください。興味深いです。
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