結構前に書いたものですが…
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恋愛論は、現代思想の中心である! 緊急の課題である!
恋愛論なくして、現代論はありえない!
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そう思っている僕ですが、すごい有力な本が出ていました☆
『愛するということ-「自分」を、そして「われわれ」を』
著者は、なんとデリダのお弟子さんのフランス人で、ベルナール・スティルレールという人物です。
デリダ以後の哲学者として、注目されている哲学者の一人だそうです。
この本は、かなり強烈です。現代社会を踏まえた上での意見表明書なので、かなりの説得力があります。2003年に書かれたものですが、すでに、今の「保守思想」の萌芽もこの本で確認できます。
(僕的に)この本のポイントは、これまで否定的にしか使われなかった「ナルシシズム」を、ある種(意図的・戦略的に)よきこととして語っている点にあります。ナルシシズムは、基本的には、伝統的な恋愛論では批判の対象でしかなかったのですが、これを敢えて、肯定的に捉えようとしているんですね。
スティグレールによれば、現代という時代は、「『私』を愛し、『われわれ』を愛し、そして、『われわれ』の中で生きる『私』を愛するという人間にとって根本的に必要なナルシシズムが頓挫する時代」(p.26)なんだそうです。
彼に言わせれば、、、
ナルシシズムは、「人間にとって根本的に必要なもの」だということなのでしょう。フロム的な「エゴイズム=利己主義」という意味とはかなり違っているようにも思えますが・・・ スティグレールは、根本的に「ナルシシズムの能力が構造的に剥奪されていること」を警告しています。<「私」の「私らしさ」が消える>、とさえ言います(p.28)。「私」を見失い、そして、「私」を愛せない人が増えている、というのは、僕自身もすごく強く実感することであります。
僕自身は、(ある種健全な)ナルシシズムの塊みたいなものですが、たくさんの若者に触れている身としては、「みんな大丈夫か?」、と心配になるほどに、自分を愛していないのです。自分勝手・自分本位という意味では、エゴイズムであふれかえっている恐れはあります。
エゴイズムが蔓延している一方で、ナルシシズムが剥奪されている?!
スティグレール、いいこといっぱい言ってます。
現代日本を考える上でも、結構参考になるような…
「技術のシステムが変化するとき、既成の社会システムとのあいだでずれが生じ、不安定な状態が引き起こされます… ややもすれば激しい争乱として現れます。しかし… この混乱の過程が、『私』のナルシシズム的なポテンシャルエネルギーの破壊によって生じる個体化の衰退と組み合わされるとき、…社会における調整の狂いは限界に至るのです」(p.32)。
スティグレールは、「個体化の衰退」を懸念しているようです。
「ナルシシズムの頓挫」とセットになっている概念です。
「文化産業にコントロールされることで、暦と地図のシステムは今や形骸化しつつあります。そしてその結果、先に述べた本源的なナルシシズムが破壊されていき、個体化が阻まれてしまうのです。暦と地図のシステムは、計算可能性を超えた何ものかに関わるものです」(p.45)
かなり独特な言い回しだけれど、スティグレールはどうもこのナルシシズムと個体化の危機をやはり強く意識しているようです。
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最後に、9.11のことに触れ、「悪」について、こう述べています。
「悪とは何よりもまず、悪を告発するだけで思考しなくなることであり、『われわれ』というものの未来を憂えるような「われわれ」を「われわれ」が諦めてしまうこと、批判やあらたなものの創出、すなわち取り組んで闘うことを「われわれ」が放棄してしまうことなのです」。
これは、今の日本においても、よく当てはまる指摘じゃないかな、と思います。
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どうして、保守主義が世界的にこんなにも広がってしまったのだろう!?
そのことを考える上で、とても参考になる本のように思います。
この本では、「われわれ」の分断の話がたびたび出てきます。
日本でも、どんどん「われわれ」が分断されつつあるように思います。
(ネット上では、常に、そういう分断が無数に行われています)
これからの時代を考える上で、非常に示唆的な本であります。