先日、ある講義でこんな問いを立てた。
「好きな人としか結婚しないか、それとも、妥協でもいいから結婚はしたいか」
と。
そうしたら、「好きな人としか結婚しない」が44票で、「妥協でも結婚したい」が12票だった。
結婚したい気持ちは若者(女子たち)にもある。でも、「好きな人じゃないと結婚したいとは思わない」という考え方もかなり強くあることが窺える。
約20年前に学生たちに聴いたときは、まだ「妥協でもなんでいいから結婚はしたい」という人が多かった。10年前に同じことを聞いたら、だいたい半々だった。
2022年の今、若い女子たちの多くが「好きな人じゃなければ結婚はしなくてよい」と考えている、としたら、それはいったいどういうことなのか。
この数年間で、「恋愛」の考え方が(悪い方向で)激変しているように思う。
ってことで、
恋愛交差点18-クリスマス編-
をお届けいたします!
>前回の恋愛交差点17はこちら!
>恋愛交差点番外編はこちら!
この記事を書こうと思ったきっかけとなった記事があります。
>「若者の恋愛離れ」は本当か≫"クリぼっち商戦"拡大…背景に「恋愛至上主義」からの目覚め?
この記事を読んで、「それは違うだろ…」って思ったので、反論してみたいと思います。
この記事では、おひとりさま時代における「クリぼっち商戦」という新たなトレンドを示しながら、今の若者たちの恋愛観についてこのように論じています。
20代では男性のおよそ7割、女性ではおよそ5割が「配偶者、恋人はいない」と回答。また、「これまでのデートした人数」について「ゼロ」と答えた人が20代の独身男性では、およそ4割に上ることが分かったのだ。…
18歳から34歳の未婚の男女(7826人)を対象に行われた国立社会保険・人口問題研究所の調査によると、「一生結婚するつもりはない」と答えた人の割合は、男性で17.3%、女性で14.6%と、男女共に過去最高となったことが分かった…。
荒川氏「もてる人はもてまくるわけだから、『1人の女性と結婚しなくてもいいじゃん』となっちゃう」「すると、弱者の中から強者に変わる人が生まれなくなる。ずっと同じ人間がもてまくる」「1980年代は"恋愛至上主義"時代だった。至る所で『恋愛こそが最高のものである』と」「一人で食事している様子を皆がSNSに上げるようになり、『自分だけじゃないんだ』と安心感を持つようになった」…
一つ目の文で、今の20代の半数~半数以上が配偶者または恋人がいない、と指摘し、二つ目の文章で、一生結婚する気がないと答える若者の数が過去最高だとされ、最後に(なんか怪しそうな?!)独身生活者研究者の荒川和久さんのコメントが紹介されている。
この記事の中で、最も僕が反論したくなったのは、この一文である。
「荒川氏が指摘するのは、「全員が恋愛している」と錯覚してしまうような、かつての「恋愛至上主義」からの“目覚め”だ」
恋愛至上主義からの目覚め?!
僕は直感的に、「は?! 違うだろ?! 恋愛至上主義の加速化だろ?!」って思ったんです。
なぜ今の20代の多くが配偶者や恋人がいないのか。どうして一生結婚しないと言い切る若者が増えているのか。
80年代の恋愛至上主義が消えてなくなったから、ではなく、その恋愛至上主義が強まっているから、恋愛にこだわり、恋愛を高級なものにしているから、誰もが恋愛できなくなっているのではないか。
しかも、今の恋愛至上主義は、かなり強烈な「ルッキズム」にも基づいてきているように思う。
推し活をしている若者が多い。推しのほとんどが「イケメン」である。イケメンであることが、恋愛においてかなり重要なファクターになってきている。イケメンと付き合えないなら、わざわざルックスのよくない(つまりイケメンじゃない)人と付き合う必要もない、と考えている若者が増えてきているだけではないのか。
男性たちも同じだ。ネット社会に入り、24時間365日ネット上で「美人」や「かわいい子」の画像や動画を好きなだけ見られるようになった。テレビ時代よりもはるかに、「美人」や「かわいい子」を自由に眺めることができるようになった。だから、そういう美人やかわいい子以外と付き合うくらいなら、一人でいた方が楽だ、ということになる。
ネットフリックス等のおかげで、恋愛ドラマや恋愛映画も好きな時に好きなだけ見られるようになった。今でも、人気映画は「恋愛もの」だ。若者たちが恋愛至上主義から目覚めているようには思えない。むしろ、「恋愛へのこだわり」が強すぎるような気がしてならない。
僕は昔からよく、こう若者たちに言ってきた。
「とりあえずこの人となら付き合えると思ったら、そういう人を10人くらい探して、とりあえず告白してみよう。そうすれば、1人くらいは必ずOKしてくれる。それで、万事OK!」
人のことなんて、長年付き合ってみなければ分かるわけがない。付き合ってからじゃないと分からないこともいっぱいある。いや、付き合うとか付き合わないとかってぶっちゃけどうでもいい。結婚しているかしていないかは重要だけど(苦笑)、彼氏がいるとか、彼女がいるとかって、何の問題でもないのだ。独身時代は「自由の身」なのだから。
しかし、今の若者たちは、そういう気持ちにはなれないようだ。ある若者がこう言っていた。
「自分が本当に好きだなと思う人以外の人と結婚するくらいなら、シェアハウスに入って仲間と一緒に暮らしたい」
このシェアハウスという言葉が出てくること自体、「イマドキ」だなぁって思ってしまう(僕はおっさんです💦)。
この言葉が示すように、「自分が本当に好き」と思う気持ちにとらわれているのではないか?!
そういう考えの子たちに、じゃ、「自分が本当に好き」というときの基準は何か?、と問うと、答えは一つだ。
「胸のドキドキ感💖」
この「恋愛交差点シリーズ」でも問題にしている「トキメキ感」「ドキドキ感」であった。
胸のドキドキを感じない相手と付き合ったり、結婚するくらいなら、おひとりさまの方がいい、と考えているのだ。このドキドキ感が生まれる相手以外の人とは結婚したくない、とも聴こえる。
故に、「恋愛至上主義」は終わったのではなく、加速しているのだ、と言いたいのだ。
今の時代、「胸のドキドキはないけど、まあまあ、自分の身の丈にあった相手だから、付き合っておくか」、というふうにはなりにくい、ということだ。
その傾向は、上のデータからすれば、男性の方が強まっていると言えるかもしれない。もともと男性の方が「ルッキズム」に支配されてきた。「見た目のきれいな女性」「見た目のかわいい女性」に執着してきた。大学の学園祭でも「ミスコン」が毎年行われ、女性の美醜を競い合ってきた。
ただ、K-POP全盛の今、男性もまた「美しさ」が求められるようになってきた。ヴィジュアル系時代よりもよりナチュラルなメイクをした男性たちが芸能界やエンタメ界に次々に登場している。ジャニーズ時代よりもはるかに「美」へのこだわりが強くなってきている。
今、若い女子たちに人気のINIのPVを見ると、中年のおっさんでも「お美しいわ💛」って思ってしまう。
これだけ美しい男性に憧れてしまうと、そこらへんの冴えない男子たちには興味さえもてなくなるだろう。かつてのBUCK-TICKやX JAPANのメンバーたちは、「ありえない世界のありえない人たち」という感覚がまだあった。「カッコいいけど、私たちとは違う世界の人」という感覚?!
でも、今の時代、クールで綺麗でオシャレでカッコいい男子たちが(ネット上に)数えきれないくらいに存在している。それは、女子たちも同じで、どのメンバーもとてつもなく美しくかわいい子たちばかりが揃ったアイドルグループも多数存在している(もとの顔がいいかどうかではなく、そういうことを強く意識しているかどうか)。
…
今起こっているのは、「恋愛至上主義」からの離脱ではなく、その加速化ではないか。
学生たちに「お見合いやアプリでの結婚はありかなしか」と問うと、ほとんどの人が「NO」だった。自分が好きじゃない相手と結婚することは「まっぴらごめんだ」、という判断だ。(ただ、アプリでの出会いから胸のドキドキが生まれたら、それはそれでOKらしい…)
更に、ある若い子はこう言っていた。
「今の時代、女性も一人で生きやすくなった。仕事もできるようになった。いつ結婚するかも自由だし、選択肢もいっぱい増えた。好きなことも自由にできる。結婚するメリットを何も感じない」
と。
権力をもつ世のおっさん連中(政治家や官僚たち)は今、顔を真っ青にして「少子化対策」をあれこれと(無駄に)考え、様々な試みを行っている。
でも、若者たちの声やトレンドを考えると、そのどれもが的外れで、昭和時代の価値観で今の少子化を考えていることが分る。
若者たちもまだ、「結婚そのもの」を求めていないわけではない。結婚して子どもをもちたいという気持ちが消えてなくなったわけでもない。ただ、「好きでもない人と無理に(無駄に)結婚する気はない」、と思い抱いているのだ。
…
では、どうしたらいいのか。
ここで、僕なりの処方箋を示しておきたい。
①ネット上で出会うことを期待するのをやめて、男女みんなが旅に出よ!(旅先で出会う人間関係は、一度きりだし、恋愛に発展しやすい。海外の若者たちは実によく旅をしており、多数の出逢いに溢れている)
②そのためにも、若者たちが旅に出やすいよう、「長期休暇」を自由に取れるよう、職場は全面的に配慮せよ!(夏休みやお盆の休暇ではなく、1年間を通じて「最低でも2週間程度の長期休暇」をいつでも取れるようにする。恋心が芽生えるためには、それくらいの長期休暇が必要だ)
③学校教育やメディアを通じて、「旅の仕方」や「旅行の簡単な手順」や「プランニング」などの方法についてしっかり伝達せよ!(今の子たちは、Z世代=スマホ世代なので、アナログな旅の方法を知っていない)
④18歳総進学主義を本気で壊す努力をせよ。そして、大学生の平均年齢を吊り上げよ。そうすることで、25~30歳くらいの男女の恋愛は確実に盛り上がるだろう。数年社会で働いた若者たちは、勉学にも真面目に励むし、また「ガキの恋愛」はとっくにすませているはずなので、「地に足のついた恋愛」を育むことができる。今の大学生の年齢だと、ガキの恋愛の延長線でしかなく、「できちゃった婚」の温床になっている。
⑤ホントに真面目に「コミュニケーション能力」を高める教育をせよ! 「自分から話しかける勇気」「相手に関心をもつ知性」「嫌われているように見えても引かない大胆さ」「自分が好きなものを好きと言える素直さ」「相手と会話をするために必要なテクニックや技」…。そういう教育が本当になさ過ぎる。「コミュ力」といった世俗的で低レベルな力ではない。「この人のことを知りたい!」「この人と関わりたい!」という強い思いや、そう思った時の立ち振る舞いを教えるべきだ。だいたい大人たちも手本にならない。日本のおっさん・おばさんたちもまた、コミュニケーション能力が低いからだ。見せかけの・社会規範的なコミュニケーション能力ではない。「我と汝」(マルティン・ブーバー)を目指すような能力だ。
…
冒頭の話に戻ろう。
「クリぼっち商戦」が活気づいている。もはや「クリぼっち」はネガティブな言葉ではなくなりつつある。むしろ「クリぼっちをどうやって楽しもうか」というふうになりつつある。
とあるラーメン屋さんでは、「クリぼっち限定ラーメン」なんかも出している(しかもそれがすごく美味しそうなのだ!)。
これはこれで、面白い流れではある。
だけれども、、、
本当にこのまま「おひとりさま」ばかりの社会になっていいのか。一人で生きていく道が本当によいのか。「自分が好きな人としか結婚しない」というトレンドをそのまま見過ごしてよいのか。どうしたら、「好きな人と結婚したい」という若者の要請に応えることができるのか。
僕は20歳くらいの時に、とある先生に痛烈に教えてもらったことがある。
「kei君、人間というのは、一人では生きられない、一人で生きることはできない、というだけではなく、そもそも誰も一人では生きていないんだよ。それに気づけるかどうかが大事なんだ」。
この先生ははるか昔に亡くなってしまったけど、この言葉が脳裏に焼き付いている。
「人間はそもそも一人で生きていない」。
この立場からすれば、「おひとりさま」なんていう言葉は幻想にすぎない、ということになる。クリぼっちという言葉も、嘘になる。ひとりぼっちのクリスマスにラーメンを食べるにしても、その作ってくれる人、そのラーメンのためにかかわってくれた業者さん、生産者さん、製麺所の人etcたくさんの人がそこにかかわっている。決して「ぼっち」ではない。
そういう事実(間主観的な事実)に気づかなければ、きっとこの今の状況(少子化や晩婚・非婚化)を改善することはできないだろう。
また、50代が近づいてきている今、改めて思う。
20代の頃は「自分ひとりでもなんとかなる」と思っていても、40代を過ぎると、「やはり、ひとりで生きていくのは、かなり厳しい」、と。
40代を過ぎると、本当に身体のあちこちが壊れ始める。突然倒れることも本当にある。いきなり大きな事故に遭遇したり、大病を患ったりして、これまでの仕事ができなくなることもある。経済的にも、心理的にも追い詰められる時が来る。(実存的危機、あるいは、限界状況は必ず来る)
しかし、40代になってからそのことに気づいても遅いのだ。もちろんうんとお金を持っている人や美貌に恵まれている人ならどうにでもなる…かもしれない。けれど、普通に真面目に静かに暮らす人にとっては、40代以降の恋愛や結婚はとてつもなくハードルが高い。実感として、本当にハードルが高い…。
やはり、まだ元気で、身体的に生き生きとした20代~30代のうちに、そのことに気づいてもらいたいのだ。
神谷美恵子さんも、若者の仕事は、①職業の選択、②恋すること、③配偶者の選択だと規定していた。この三つは、若い時にいっぱい悩んで、いっぱい考えて、いっぱいそのための努力をしてほしいのだ。
われわれ大人たちが若者たちのために真剣に考えなければいけないのは、まさにそのことだと思う。①についてはよくやっている、いや、やり過ぎている気がする。しかし、②と③については、ずっと放置してきていないか?!
20代~30代の若者たちに、②と③の支援をどれだけしているだろうか。
20代~30代の若者たちに、恋を探したり、どこかにでかけたり、のんびりと人生を考える余裕や時間をどれだけ与えているだろうか。大学に行かせることだけが「モラトリアム期間」ではないはずだ。
恋をするには、恋愛をするには、それなりの時間と(経済的・心理的な)余裕が絶対に必要だ。
「恋愛休暇」というのがあってもいいかもしれない。そんな名前を付けなくても、20代~30代の若者たちに、「仕事はいいから、どこかに行ってこい」といえる環境がすべての勤務先にあれば…、と。
若者たちこそ、もっともっと(「社会(職場や地域)」にではなく)「世界(見知らぬ土地)」に目を向けてほしい。
世界中には、数えきれないくらいの男女がいる。出会いも、自分の生きる態度次第で、いくらでも生じることが可能である。出会いの数が多ければ多いほど、「好きだ」と思える相手に出会う確率も高くなる。
誰もが安心して(出産…の前に)恋愛できる環境をどう整えるか。
これこそがまさに日本の喫緊の課題ではないのか(こども家庭支援の前に、まずは「よい家庭」を皆が築けるための支援をすべきではないのか!、とも)。
それをアプリ業者や結婚仲介所に丸投げするのではなく、行政や政治家や教育者や大学関係者こそ、この問題に真面目に取り組むべきなのだ。
*冒頭に出てきた荒川さんも実は同じような問題意識をもっている方でした!💦
…
クリスマスはもともと、「大切な人たちと静かに愛のある時間を過ごす」ということを目指している。それは欧米でも同じだ。80年代、日本では、その「大切な人」が「恋人」に置き換わり、「恋人と過ごす日」となっただけだ。本当に大切な人は、最も身近にいる人たちだ。
家族にせよ、恋人にせよ、はたまた「神様」にせよ、「本当に大切な誰かと共に過ごす日」であることには変わりない。(そんな大切な誰かのいない子どもたちのためにプレゼントを届けたのがサンタクロースでしたよね…)
まぁ、でも、クリぼっち商戦もまた、「大切な誰かと共に過ごす」ための一つの戦略ということになるかもしれないな…(いいか悪いかは別にして…)。
あ、サンタクロースってことか…Σ(・□・;)
Merry Xmas!
Frohe Weihnachten!!