Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

経済的格差が小さい社会へ

広田照幸先生の『教育』(岩波書店)が面白かった。

http://www.amazon.co.jp/%E6%95%99%E8%82%B2-%E6%80%9D%E8%80%83%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2-%E5%BA%83%E7%94%B0-%E7%85%A7%E5%B9%B8/dp/4000270079/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1318337871&sr=8-1

これからの教育を考える上で、僕らはどういう風に教育を考え、どのような方向に向けていけばよいか。

一つの提案がこちら。

脱・物質的価値観のライフスタイルを重視した社会に転換することと、経済成長よりも財や機会の配分の仕方にウェイトおく社会を作ること」(p.88)

われわれが考えなければならないのは、…経済的な豊かさとは別の基準をさがそうとしている人たちが、結果的に割を食ってしまうことにならない社会の構築の仕方である」(同)

この「経済的豊かさ」から脱却することは難しいし、またそういう価値観から自由になった人が後でしっぺ返し(貧困)を食らうことがないような社会、それを築くことは極めて難しい。

フリーターがいい例だ。90年代に流行ったフリーターだが、その当時、物質的豊かさを捨て、自由を謳歌した人たちが、今になってかなり厳しい状況下にあることを考えると、経済的豊かさの追求の否定は結構難しい。でも、だからこそ、そういう人でも貧しくならない社会を作らねばならない、と広田は考える。

経済的格差が小さい社会になれば、文化的な差異は<生>の多様さ、豊穣さを示すポジティブなものになるはずである

金、金、金という拝金主義を克服するためにも、そういう主義から離れていく人たちの経済的保障がしっかりとなされている社会、それは、どんな社会なのだろうか。まさか、共産主義ではないだろう。貧困~富裕をオーバーラップして考えれば、相対的に、貧困層の所得がそこそこあり、富裕層の資産がそれほど膨大でない社会、ということになるのだろうか。

この経済的格差が小さい社会をきちんと目指すことで、新たな教育のヴィジョンも示すことができる、と広田は考える。

「…経済成長によってではなく、財やチャンスの配分格差を小さくすることで<生>の安定を保障しようとする社会を前提とするならば、そこでは、現在の教育改革が描いている教育システムのデザインとは異なったものを構築することができる

と、提言し、様々な提言をしているが、その中で特に注目したいのは次の提言である。

まず、「出自の差異による機会の格差を小さくすることで、教育のアウトプットの差異を小さくし、それが資源の公平なアクセスを正当化する」という論理を認めた上で、「たとえば、『教育困難校』への支援の充実、学力保障への条件整備、困難(いじめ、不登校など)を抱えた子供に対象を限定して、公費による多様な学校種別の整備や学校選択を認めていくこと、引きこもりや非行少年の就労支援の強化、マイノリティー児童生徒のためのサポートの充実」(pp.91-92)などを強く求める。そして、こうした要求の理由として、次のように述べている。

こうした下に手厚い教育は、子供たちの社会への信頼や制度への信頼を作るから、社会秩序やセキュリティーの問題を緩和する機能も果たす」(p.92)。

広田の言う「下に手厚い教育」こそ、まさに今の教育に強く求められていることだと思うし、そうすることが、「経済的格差が小さい社会」を目指すための第一歩になるとは思う。

けれど、広田が言うのは、「機会の平等」であって、社会における財の配分格差を是正するところまではいかないと思うのは僕だけだろうか。

今の段階では、僕は、教育が「経済的格差が小さい社会づくり」に貢献できるとは思えない。政治や経済の問題だと思うからだ。

ただ、教育にできることはある。前々からこのブログでは主張していることだけど、徹底的な高校改革である。僕の提言はこうである。

高校全入時代であることを自覚し、高等学校教育を強化せよ。大学入試制度を廃止し、高等学校卒業検定試験を設けよ。高等学校卒業検定試験を合格した生徒には、大学進学の機会を等しく与え、同時に専門学校や短大の充実をもっと図れ。それから、大学入学の時期を19歳以上にし、高校卒業後1年~2年は大学進学できないようにせよ。そうすることで、一度高校を卒業した若者に猶予の時間を与えよ。学問がしたければ大学へ、職業訓練がしたければ専門学校や短大へ。そのまま就職してしまうのもよし。高等学校卒業検定試験に合格した者はいつでも大学に進学できるようにせよ。まずは『就職活動』と『学問』を分断し、学問を志す者だけに大学進学の道を与えよ。職業訓練については等しく皆に機会を与え、その費用は国が負担せよ(奨学金でも奨励金でもなんでもよい)。若者の雇用は日本全体の大きな課題である。親の財力が子の学力に直結している今、最も重要なことは優秀な人間をできるだけあらゆる方面から輩出することである。財力のない家庭の子どもでも、安心して教育が受けられるように、教育システムを再構築せよ!

僕も、広田のいう「経済的格差が小さい社会づくり」には賛成である。それに、「下に手厚い教育」というのにも賛成である。ならば、「待つことのできる教育システムづくり」が必須である。人間は生きていく中で、早かれ遅かれ、学問に目覚める時がくる。18歳で、横並びで、大学に進学するのが当たり前の時代だからこそ、そういう「悪しき慣例」は打破しなければならない。

己の無知を自覚し、己の使命を自覚した時に、学問することができる環境をまずもって構築しなければならない。学問をしたいという欲求が生まれる瞬間というのは、個人差がある。その個人差を可能な限り尊重すべきだと僕は思う。「学びたい」「学問したい」という欲求が出てくる時期というのは、人それぞれである。そういう欲求が出た時こそ、本当に学問を学ぶ時期だと思う。そういう時期まで、待てる教育システムがどうしても必要なのである。例えば、18歳からフリーターで自由に生きていた者が20代後半~30代になって「医師になって社会に貢献したい」と思うようになったとき、それがストレートにそう慣れるリクルート機能を学校にもたせたい。

敷衍すれば、横並びで学校を卒業する現行の教育システムを解体してこそ、個々それぞれの学生の学びが出来上がると僕は確信している。

例えばだけど、18歳でとりあえず高校を卒業して、数年間フリーターで働き、己の無知さや無教養さを知り、その後で大学や短大に進学する。そうすれば、学校での学びも切実なものになるだろうし、無駄に学費をかけないで済むことになる。サロン化する大学というのもなくなるだろうし、ホンキの学びが展開されることになるだろう。

高等学校全入時代だからこそ、もっと高等学校教育を充実させて、ひとまず高等学校で基本的な勉強が終わることが望ましい。高等学校までの基礎的な勉強をきちんとクリアしているという状況をまずもって生み出したいところである。

それ+αで、「下に手厚い教育」をきちんとしていけば、生まれによる所得格差や文化格差はより弱いものになるのではないだろうか。

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