Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【悪口の貧困】と【悪口封じ】

【悪口の解釈学-悪い言葉が使えなくなってしまった結果としての悪口】

現在の教育の問題を考える上で、悪口が問題というよりはむしろ、悪口が消えていることの方が問題であるように思うのだ。悪口を真面目に考えてみると、【悪口】には実は非常に人間の存在の根源にかかわる肯定的な意味が潜んでいるのではないか、と思うようになってきた。こうした問題を考える上で、「現在の若者はどんな悪口を使っているのか」、また、「かつてはどんな悪口が使われていたのか」、ということについて考えてみるのも無意味ではないだろう。

そんなこんなで、先週、自分の講義の中で【悪口】について少し議論をした。最近の若者はどんな悪口を使っているのか。また、相手を罵倒するときにどんな悪口を吐き捨てるのか。学生たちに聞いてみた。そうしたら、主に、次の四つの「悪口」が出てきた。

①うざい(例:オマエ、マジ、ウゼエ!!⇒「死ね」がつく場合もある)
②きもい(例:やだぁ!超キモイんだけど・・・)
③むかつく(例:アイツマジムカツクゥ~~~)⇒①と③を併用すること多し
④死ね(あるいは「氏ね」)(例:○×男、マジ死ねって感じ)

また、それ以外にも、【バカ】や【アホ】も出てきたが、イマドキの若者はそれほど多用してなくて、特に際立ったのが以上の四つだった。面白いことに、イマドキの子どもたちも、うちの学生と同様に、うざい、きもい、むかつく、死ねをよく使っている。この四つは、まさに現在の若者の悪口を象徴する「悪い言語」と言えるだろう。(教育学的問題としては、いつからどこで「悪口」は学ばれるのだろうか?というのがある)

この四つの言葉の特徴は、非常に【直接的】であり、【相手を攻撃するのではなく、自分の感情を表現している】という点である。もちろん言葉を使っている以上、本当の意味で直接的ではないのだが、かなり生々しい部分に近い言葉であるという意味で直接的で生々しいのである。

①の「うざい」は、「うざったい」という俗語の省略形であり、「ごちゃごちゃしていて煩わしいさま」をいう。また、「憂さ」(つらいこと)や、「憂さ晴らし」という言葉とも関連しているとも言えなくもない。本来は、「鬱陶しい」という言葉の方言(東京多摩地区)だったという説もある。この言葉は、周りからごちゃごちゃ言われることに対して抱く感情・感覚の言語化されたもの、と考えてよさそうだ
②の「きもい」
も、①と同様、「きもちわるい」という自分の感情や心境を言い表す言葉と考えてよいだろう。この場合、相手そのもののことを「きもちわるい」と言い当てているわけでもなく、自分の「きもちわるい」という感情を言い当てているので、相手を攻撃する言葉として使用されているわけではない。
③の「むかつく」は、文字通り、「むかむかする」、「吐き気をもよおす」という自分自身の感覚を表現する言葉であり、一見相手を罵倒する言葉のようにみえて、実は自分の感覚の言語化を行っているに過ぎない。
④の「しね」は、かなり直接的であり、これ以上の発展がないほど究極な表現であるものの、「死んでくれ」というこちら側の勝手な願望を言い表しているに過ぎず、相手を攻撃する悪口になっていない。

以上、①~④を反省してみると、近年の悪口は、「相手への攻撃・誹謗」の要素を含んでおらず、むしろ、「自分自身の感情・感覚の端的な表出」にしかなっていない、ということに気付く。しかも、自分のダイレクトで直接的な感情・感覚を表現しているだけで、なんの知恵もなんのひねりも含蓄もない。

だが、本来、「悪口」は、相手のことを攻撃し、誹謗する言葉でなければならないし、また、悪い言葉でなければならないはず。「クソ」っていうのは、まさに「うんち」のことであり、相手=うんちというラベリングの要素を含んでいる。また、アホ(阿呆)も、「愚かである」という意味をもっており、相手=愚か者というラベリングを行っている。バカの馬鹿は当て字であり、サンスクリット語(moha)に由来している。意味は、「おろかなこと」、「取るに足らないつまらないこと」という意味であり、これも、相手=おろか、つまらない、というラベリングになっている。

悪口は、相手への攻撃でなければならず、また、相手を悪い存在に喩えることである。例えば、「ピーマン!」というのは、「自分が嫌いなもの」、「中身がなく、からっぽであること」を意味している悪口であり、相手の攻撃という要素と、比喩というレトリックを使用しているのである。・・・「なす(おたんこなす=語源は「小さなちんちん(江戸時代)」)」は、辞書的には、「とんま」、「おたんちん」と同義語であり、「とんま」は、のろま、まぬけという意味であり、「おたんちん」は、まぬけという意味である。「のろま(鈍間)」は、のろい=どんかん=気が利かないという感じの言葉だ。また、「まぬけ(間抜け)」は、「間が抜けたこと」、「することなすことにぬかりがあるさま」という意味である。また、「クソ」は、他の語(他の存在)を卑しめ、ののしる言葉であるという(ポイントは、他の存在を卑めているという点)。また、「たわけもの」(先祖から受け継いだ土地を売りさばいてしまうならず者)や、「どざえもん(土左衛門)=水死体」といった言葉も強烈だ。

このように「悪口」を考えてみると、かつての悪口は、相手を攻撃する言葉、相手の弱い部分を下げずむ言葉であった、ということが分かってくる。特に、身体的に目立つところは、すべて悪口となっていた。「はげ」、「ちび」、「でぶ」、「ぶす・ぶおとこ」、「ぱんち」、「絶壁アタマ」、「出っ歯」、「ちんちくりん(チビと同義)」、「オタンコナス」などなど(こうした言葉は、現在、使用禁止されている、とでもいうような雰囲気は定着している)。また、「オマエのかーちゃんデ~ベ~ソ!」っていうのも、自分ではないが、母親がデベソだと言っている悪口である。また、身体ではなく、目立った職業がそのまま悪口になる場合もあった。「ちんどんや」という悪口だ。ちんどんやそれ自体は、TVのない時代の重要な広告代理の仕事であった。が、なぜだが、どういうわけか、悪口になったのだ。

また、先ほどの「ピーマン」のように、自分の嫌いな食べ物や動物などをそのまま使用する悪口もある。「バカにんじん」、「なす(どてなす)」、「チキン(英語)」、「もやし(もやしやろう)」、「ゴミ」、「さる(メガネザル)」、「ゴリラ(豚ゴリラ)」、「毛虫(ゲジゲジ)」、「ゴキブリ」、「カバ」、「ネズミ」、「ハイエナ」などなど。*僕はよく「タコ」という言葉を使うが、これは、本来、「禿げ頭」という意味の悪口だった。

(*ブラックジャックに出てくるピノ子の「あっちょんぷりけー!」のように、わけ分からない言葉の吐き捨てというのも、ある意味で「悪口」に該当するのではないだろうか)

以上のように、実は、悪口は無数に存在しているものなのである。だが、それにもかかわらず、今の若者は、なんのひねりも、なんのメタファーもないストレートな悪口しか使えていない。「きもい」、「むかつく」、「うざい」、「死ね」・・・ なんの意味もなく、なんの攻撃性もなく、ただ自分の感情・感覚を伝えるだけの言葉、悪口、からまわり。

今の悪口は、根本的に、悪口を語る側、つまり「私」が強く入り込んでいる。そして、暗黙裡に「私」が主語になってしまっているのではないだろうか。だが、本来的には、悪口は、悪口が語られる側、つまり「相手」、「他者」を主語にした悪口であった。「オマエは馬鹿(=無知)だ」、「オマエはチビだ」、「オマエはクソだ」、こういう二人称的なものが悪口であった。だが、現在の悪口は、「(私が)オマエむかつく」、「(どこがどうキモイのか言わないまま)私にとって相手はキモイ」、「うざい(と私は思う)」、「○×、死ね(と私は願望する)」という一人称的な悪口のみとなってしまっている(*この場合、日常的な言語使用で「私」が入っていても入っていなくてもどちらでも構わない)

ここでポイントとなるのは、最近の悪口が、言う側にとっては一番具体的であって、言われる側にとっては一番抽象的である、ということだ。伝統的な悪口は、言う側にとっても言われる側にとっても、互いに具体的であり、互いに抽象的であった。「バカ」や「とんま」は、あんまりそれ以上深く考えることができないような言葉であった。だが、「むかつく」、「きもい」などは、何がどうむかついているのか、何がどうきもいのか、ということを話してもらわなければよく分からない。。。

こうした変化の背景として、一般的には、「言葉がとぼしくなった」ということが原因にある、と考えられている。「言葉を知らない」=言葉が貧困になった、と。だが、そうではなく、それ以上に、実は大人が、子どもや子どもを取り巻く環境から、そういう豊かな悪口を奪い取ってきたことにその原因があるのではないか、そう思うのだ。「相手を傷つける言葉はダメ」という「やさしい」思想が流布してしまい、あれもダメ、これもダメとなっていき、最後に残ったのは、自分の感情・感覚だけだった・・・ってな感じで(cf.「やさしさの精神病理」by大平先生)。本来、相手を攻撃するはずの数々の悪口は、時代の流れと共に、どんどん禁止されていき、最後にはもう相手を攻撃する言葉がなくなり、自分の感情・感覚を訴えることしかできなくなったのではないか。

とすると、最大の犠牲者は誰か。最大の不幸とは何か、がうっすらと見えてくるのではないだろうか。悪口を言われるのはとても悲しいし、傷つく。けれど、悪口がなくなってしまうことはそれ以上に不幸であり、恐ろしいことなのではないか

コメント一覧

kei
なまちゃさん

これまたレアな記事にコメントを~~♪ありがとうございます。

ブサイクってあんまりつかわなかったなあ~~ 女の子の悪口なのかなあ~~

僕は桑名の野田で、ば~か、あ~ほ、し~ね、くそ、はげ、などなど叫んでいました(笑)

身体的なところをつくっていうのは、どうもポイントのような気がするんですよね。相手をののしるときに、ののしりやすいっていうか。。。

今の社会って、そういう悪口に寛容じゃないっていうか。。。繊細になってますよね。。。

まだまだうちらは若いですぞ!!!とりゃ!!(ふぅ~=じじい・・・)そういえば、じじい!っていう悪口もありましたね~~
なまちゃ
なんか考えちゃったー★ワラ
最近の子は、表現が乏しい気がする★ あまり多くを語れない★的な。
うちは、悪口として1番使うのは「アホ、ボケ」かなぁワラ 後は「デブ、ハゲ、ブサイク」とか身体的な所をつく★ て事は、昔の人間やなっ★フフフ
kei
おじちゃんさん

こんにちわ。(先月も例会いけずじまいですみません。。本当に恐縮です・・・)

ご指摘ありがとうございました。「はたしてそうでしょうか?」という問いの投げ方が喜博先生みたいで、ちょっとどきりとしました。

ご指摘を聴いて、文章を書き直してみました。たしかに「むかつく」などの使用状況を見ると、「オマエマジムカツク」って言ってますよね。けれど、その言葉の背後には、つよい「一人称」が潜んでいるとは思います。本来は、どこがどうムカツクのかを言うのが悪口であったはずだと思うのですが・・・

日常的言語使用と反省的言語使用はちゃんと両方見ないといけないですよね。。ご指摘ありがとうございました!!
おじちゃん
2人称とも言えないのでは・・・
久しぶりに書き込みします。現代の悪口、2人称になっているという指摘、はたしてそうでしょうか?「お前はうざい奴だ」「お前はむかつく奴だ」「お前はきもい奴だ」「お前は死んだほうがいい奴だ」という意味で使っているとも考えられますが…。語源から出なく、若者が使用しているシチュエーションや、使用されている状況から考察するほうがいいように感じました。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「教育と保育と福祉」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事