先月、また緊急下の母親にかかわる報道がありました。
娘殺害容疑で母親再逮捕、静岡 「出産ばれるのが嫌だった」
静岡県警は12日、出産して間もない娘を殺害したとして、殺人の疑いで住所不定、無職長辺ゆきの容疑者(20)=死体遺棄罪で起訴=を再逮捕した。
再逮捕容疑は5月16日、当時住んでいた静岡県沼津市柳町の自宅で、女児を出産後、窒息死させた疑い。「友人や親に出産したことがばれるのが嫌だった」と容疑を認めている。
5月19日、沼津市大塚の海岸で不法投棄されたごみの中からタオルでくるまれた女児の遺体が見つかり、県警は翌20日、死体遺棄容疑で母親の長辺容疑者を逮捕した。
今回の「事件」では、20歳と若い母親でした。
職業は「無職」となっています。
が、しかし、産経新聞の報道では、少し違う情報となっています。
生後まもない女児の遺体を海岸に捨てる 20歳の母を起訴 静岡
僕はここでゴシップ記事を書きたいわけではないので、これ以上追求しない。
(*さらに、ここでは、本人か分からないけど、画像まで出ている…)
産経新聞では、先月の20日に既に、速報として、次のような記事を書いている。
沼津市の乳児死体遺棄、20歳の女を逮捕 「親にばれるのが嫌だった」
この問題に長いこと関わってきて分かってきたことがあります。
それは、上の文章にもありますが、緊急下の女性は、数回、産婦人科を訪れている、ということです。けれど、その後、ばったり行かなくなる。そういう「パターン」がありそうです。
その際、産婦人科(産院)は、何の助言や支援も行っていない、ということもうっすら見えてきました。「中絶相談」には乗ります。けれど、中絶可能な時期を過ぎて、かつ、誰にも相談できずに、産むことをためらっている女性に対する相談は(ほぼ)ないように思います。長辺さんも、2度検診を受けた、と書いてあります。この頃に、おそらく、「妊娠葛藤」に苦しんでいたんだと思います。
このケースも、助けることが可能だったものだと思います。
日本の問題としては、望まない妊娠に苦しむ女性を支援するシステムがないんです。産婦人科医に支援を要請することは難しいです。医療機関と妊婦の間に立つ専門的な支援者が必要なのです。
「悩まなくてよいのです。あなたは悪くありません。中絶がたとえ不可能でも、別の選択肢はいくつもあります。あなたはそれを選ぶことができます。私たちも協力します。あなたはまず出産に専念してください。あなたの妊娠のことは一切秘密にします。他言はいたしません。医療機関とのやり取りも私たちが行います。当然、医療機関にあなたの個人情報は伝えません。…」
このように、医療機関と妊婦の間に立って、相談、同伴の支援を行う専門家がいない、このことこそ、日本の問題なんだと思います。赤ちゃんポストは「最終手段」です。その前に、まずは「妊娠葛藤相談」なのです。
長辺さんは、20歳の女性でした。「子ども」とは言いませんが、まだまだ大人0歳。日々、これくらいの年齢の女性を相手にしていますが、本当に幼いです。アラフォーの僕から見れば、まともな理性的な判断を的確にできるほど、成熟していません。感情的ですし、気分に流されますし、お金も経験もありませんし、まだまだ「一人立ち」するには程遠い年齢です。親への精神的な依存度(同調・反発どちらも含め)も高いです。だからこそ、親に妊娠を打ち明けるのもとても厳しいことなのです。
彼女を罵倒するコメントも多々見受けられますが、リアルな20歳を毎日のように見ている自分からすれば、「とても責められない」、と思うわけです。もちろん「責任」は付きまといます。20歳=成人ですから。けれど、彼女一人を責めるというのは、それこそ、あまりにも「大人げないこと」だと思うのです。
それより、最も嘆かなければいけないのは、こうした「母子」を救えないこの国のシステム(あるいは支援制度)です。あるいは、そういう制度設計を全く考えていない為政者たちです。
遺棄したり、殺害したり、虐待したりする母親を責めても、無意味です。なぜなら、彼女たち自身が苦しんでいる当の要支援者だからです。かといって、産婦人科医等、医療従事者を責めることも難しいです。なぜなら、彼らは、妊娠~出産を医療的に支える専門家たちだからです。彼らは、妊娠葛藤の専門家ではありません。児童相談所を責めることもできません。妊婦が問題だからです。地方自治体を責めることも難しいです。地方自治体は常に色んなサービスを提供していますし、そのことを自治体ニュース等で掲示しています(その情報が行き届かないという問題はありますが、それは自治体の責任を超えています)。
つまり、誰も責められないんです。ここが、この国の「盲点」になっています。
僕らは、誰もが、母親の胎内で10か月ほどの時間を過ごして、生まれてきています。だから、妊婦というのは、無条件で尊いわけです。そんな妊娠も、全ての人が順風満帆にいく、というわけではありません。妊婦という存在は尊いですが、絶望下にあり、孤立無援で、誰にも祝福されない「妊娠」というのもあるのです。今回の彼女は、まさにそういう女性だったと思います。
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それでも、この国は、孤立無援の緊急下の妊婦に対して何らかの支援を行おうとはしていません。というよりも、ずっと僕が問題にしてきた「問題性」を理解していません。繰り返しになりますが、妊婦も人間です。色んな状況の妊婦がいるのです。「妊婦だから、子どもを大切にしろ」というのは、「暴力」以外の何ものでもありません。
そもそも、日本の多くの人が、「女性なら、子どもがかわいいと思うはず」、という誤った観念をもっているように思います。
最後に、上の彼女を非難する意見を引用しておきたいと思います。一般の女性(母親)の意見です。
「子どもがいる人からしたら本当にありえない話だよね? どうしてこんな事を平気でやれるんか不思議すぎる。10ヶ月もお腹で育てた赤ちゃんが可愛いと思わなかったのかな?何で、産むまで育てといてこゆ結果になるんだろう…お腹に命が宿るって事わ奇跡的な事なのに…世の中にわ宿したくても宿せない人だっているのに。10ヶ月もお腹で育てたんなら産んでちゃんと育てようとしたんぢゃないの?なのに、産んどいてバレたくなかったとか、なら産むなよって話~。産んで動かなかったら、病院行けよ! まず、自宅で産むって…親わ気づかなかったのかい!! そこが不思議だよね…」
これが、ある意味で、世の中の意見だと思います。「まっとうな意見」だとも思います。けれど、この意見は、「ごく普通の生活」という幸せな立場にある人間の意見です。
10ヶ月間もお中で育てた赤ちゃんが可愛いと思わなかったのかな?、とありますが、もし相手がまっとうな人間でなかったら、もし相手が消えてしまったら、もし相手がDV男だったら、もし家族全員にその妊娠に反対したら、もし相手に妻子がいたら…。・・・色んな状況があるわけです。苦しい状況で、呑気に、「可愛い」なんて思えると思いますか?
しかも、こういう事件が起こるたびに、「赤ちゃんが欲しくてもできない人もいる」、という常套句が使われますが、これもおかしい。全く別次元の問題なのに、「こういう人もいるのに、どうしてそういうことするかな」、と非難するわけです。「不妊」の問題も深刻ですが、「妊娠葛藤」もまた深刻な問題なのです。しかし、それに女性自身も気づけない。
長辺さんは、遺体を遺棄しているので、刑も長くなると思います。20歳にして、(しかも妊娠は女性だけでできるものでもないのに)重い十字架を背負って生きていくことになります。
この事件で、彼女を非難して終わらせてはいけないと思います。これからもそういう女性がでてきます。児童遺棄や児童殺害は人類の歴史の中で常に繰り返されている悲劇です。個人の問題ではなく、社会全体の問題であり、人類の課題であります。
まずは、「妊娠葛藤相談」の制度設計を具体的に考えていく必要があるのかな、と、今思っています。これは、喫緊の課題です。全国に、妊娠葛藤相談所を設置して、妊娠葛藤についてきちんと学んだ支援員を配置すべきだろう、と思います。そして、それをきちんと世の中に認知させていく必要があるだろう、と。
全ての子どもが安全に、祝福されて生まれることができるように。それは、皆の希望でもあります。
まだまだ、僕も頑張らなきゃな、、、汗