Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

Repeated Tragedy... また救えなかった母子

先月、また緊急下の母親にかかわる報道がありました


娘殺害容疑で母親再逮捕、静岡 「出産ばれるのが嫌だった」

 静岡県警は12日、出産して間もない娘を殺害したとして、殺人の疑いで住所不定、無職長辺ゆきの容疑者(20)=死体遺棄罪で起訴=を再逮捕した。

 再逮捕容疑は5月16日、当時住んでいた静岡県沼津市柳町の自宅で、女児を出産後、窒息死させた疑い。「友人や親に出産したことがばれるのが嫌だった」と容疑を認めている。

 5月19日、沼津市大塚の海岸で不法投棄されたごみの中からタオルでくるまれた女児の遺体が見つかり、県警は翌20日、死体遺棄容疑で母親の長辺容疑者を逮捕した。

引用元


今回の「事件」では、20歳と若い母親でした。

職業は「無職」となっています。

が、しかし、産経新聞の報道では、少し違う情報となっています。


生後まもない女児の遺体を海岸に捨てる 20歳の母を起訴 静岡

2014.6.9 19:46 死体遺棄

 静岡地検沼津支部は9日、出産後に死亡した女児の遺体を海岸に捨てたとして、死体遺棄罪で同県沼津市柳町、風俗店従業員長辺ゆきの容疑者(20)を起訴した。

 起訴状などによると、長辺被告は5月16日ごろ、自宅で出産後、死亡した女児を19日ごろに同市大塚の海岸に運び、タオルなどに包んで遺棄したとしている。

 19日朝、海岸でごみ拾いをしていた男性が遺体を見つけ、静岡県警が20日、死体遺棄容疑で長辺被告を逮捕した。県警は女児が死亡した経緯を引き続き調べている。

引用元


僕はここでゴシップ記事を書きたいわけではないので、これ以上追求しない。

(*さらに、ここでは、本人か分からないけど、画像まで出ている…)

産経新聞では、先月の20日に既に、速報として、次のような記事を書いている。


沼津市の乳児死体遺棄、20歳の女を逮捕 「親にばれるのが嫌だった」

2014.5.20 09:35 死体遺棄

 静岡県警は20日、生後間もない女児の遺体を捨てたとして、死体遺棄の疑いで母親の同市柳町、店員、長辺ゆきの容疑者(20)を逮捕した。長辺容疑者は「親や友達にばれるのが嫌だった」と容疑を認めているという。

 逮捕容疑は19日午前0時半ごろ、同市大塚の海岸に女児の遺体を遺棄したとされる。

 県警などによると、長辺容疑者は4月初旬に同市内の産院に通院し、2回ほど検診を受けた後来なくなっていたという。5月19日に報道で事件を知った市保健センターの職員が自宅を訪れた際には、「病院に救急搬送されて産んだが、死産だった」と説明。不審に思った職員が県警に連絡していた。長辺容疑者は同居人の男性と2人暮らしで、自宅で出産したとみられる。

引用元


この問題に長いこと関わってきて分かってきたことがあります。

それは、上の文章にもありますが、緊急下の女性は、数回、産婦人科を訪れている、ということです。けれど、その後、ばったり行かなくなる。そういう「パターン」がありそうです。

その際、産婦人科(産院)は、何の助言や支援も行っていない、ということもうっすら見えてきました。「中絶相談」には乗ります。けれど、中絶可能な時期を過ぎて、かつ、誰にも相談できずに、産むことをためらっている女性に対する相談は(ほぼ)ないように思います。長辺さんも、2度検診を受けた、と書いてあります。この頃に、おそらく、「妊娠葛藤」に苦しんでいたんだと思います。

このケースも、助けることが可能だったものだと思います。

日本の問題としては、望まない妊娠に苦しむ女性を支援するシステムがないんです。産婦人科医に支援を要請することは難しいです。医療機関と妊婦の間に立つ専門的な支援者が必要なのです。

「悩まなくてよいのです。あなたは悪くありません。中絶がたとえ不可能でも、別の選択肢はいくつもあります。あなたはそれを選ぶことができます。私たちも協力します。あなたはまず出産に専念してください。あなたの妊娠のことは一切秘密にします。他言はいたしません。医療機関とのやり取りも私たちが行います。当然、医療機関にあなたの個人情報は伝えません。…」

このように、医療機関と妊婦の間に立って、相談、同伴の支援を行う専門家がいない、このことこそ、日本の問題なんだと思います。赤ちゃんポストは「最終手段」です。その前に、まずは「妊娠葛藤相談」なのです。

長辺さんは、20歳の女性でした。「子ども」とは言いませんが、まだまだ大人0歳。日々、これくらいの年齢の女性を相手にしていますが、本当に幼いです。アラフォーの僕から見れば、まともな理性的な判断を的確にできるほど、成熟していません。感情的ですし、気分に流されますし、お金も経験もありませんし、まだまだ「一人立ち」するには程遠い年齢です。親への精神的な依存度(同調・反発どちらも含め)も高いです。だからこそ、親に妊娠を打ち明けるのもとても厳しいことなのです。

彼女を罵倒するコメントも多々見受けられますが、リアルな20歳を毎日のように見ている自分からすれば、「とても責められない」、と思うわけです。もちろん「責任」は付きまといます。20歳=成人ですから。けれど、彼女一人を責めるというのは、それこそ、あまりにも「大人げないこと」だと思うのです。

それより、最も嘆かなければいけないのは、こうした「母子」を救えないこの国のシステム(あるいは支援制度)です。あるいは、そういう制度設計を全く考えていない為政者たちです。

遺棄したり、殺害したり、虐待したりする母親を責めても、無意味です。なぜなら、彼女たち自身が苦しんでいる当の要支援者だからです。かといって、産婦人科医等、医療従事者を責めることも難しいです。なぜなら、彼らは、妊娠~出産を医療的に支える専門家たちだからです。彼らは、妊娠葛藤の専門家ではありません。児童相談所を責めることもできません。妊婦が問題だからです。地方自治体を責めることも難しいです。地方自治体は常に色んなサービスを提供していますし、そのことを自治体ニュース等で掲示しています(その情報が行き届かないという問題はありますが、それは自治体の責任を超えています)。

つまり、誰も責められないんです。ここが、この国の「盲点」になっています。

僕らは、誰もが、母親の胎内で10か月ほどの時間を過ごして、生まれてきています。だから、妊婦というのは、無条件で尊いわけです。そんな妊娠も、全ての人が順風満帆にいく、というわけではありません。妊婦という存在は尊いですが、絶望下にあり、孤立無援で、誰にも祝福されない「妊娠」というのもあるのです。今回の彼女は、まさにそういう女性だったと思います。

***

それでも、この国は、孤立無援の緊急下の妊婦に対して何らかの支援を行おうとはしていません。というよりも、ずっと僕が問題にしてきた「問題性」を理解していません。繰り返しになりますが、妊婦も人間です。色んな状況の妊婦がいるのです。「妊婦だから、子どもを大切にしろ」というのは、「暴力」以外の何ものでもありません。

そもそも、日本の多くの人が、「女性なら、子どもがかわいいと思うはず」、という誤った観念をもっているように思います。

最後に、上の彼女を非難する意見を引用しておきたいと思います。一般の女性(母親)の意見です。

子どもがいる人からしたら本当にありえない話だよね? どうしてこんな事を平気でやれるんか不思議すぎる。10ヶ月もお腹で育てた赤ちゃんが可愛いと思わなかったのかな?何で、産むまで育てといてこゆ結果になるんだろう…お腹に命が宿るって事わ奇跡的な事なのに…世の中にわ宿したくても宿せない人だっているのに。10ヶ月もお腹で育てたんなら産んでちゃんと育てようとしたんぢゃないの?なのに、産んどいてバレたくなかったとか、なら産むなよって話~。産んで動かなかったら、病院行けよ! まず、自宅で産むって…親わ気づかなかったのかい!! そこが不思議だよね…」

これが、ある意味で、世の中の意見だと思います。「まっとうな意見」だとも思います。けれど、この意見は、「ごく普通の生活」という幸せな立場にある人間の意見です。

10ヶ月間もお中で育てた赤ちゃんが可愛いと思わなかったのかな?、とありますが、もし相手がまっとうな人間でなかったら、もし相手が消えてしまったら、もし相手がDV男だったら、もし家族全員にその妊娠に反対したら、もし相手に妻子がいたら…。・・・色んな状況があるわけです。苦しい状況で、呑気に、「可愛い」なんて思えると思いますか? 

しかも、こういう事件が起こるたびに、「赤ちゃんが欲しくてもできない人もいる」、という常套句が使われますが、これもおかしい。全く別次元の問題なのに、「こういう人もいるのに、どうしてそういうことするかな」、と非難するわけです。「不妊」の問題も深刻ですが、「妊娠葛藤」もまた深刻な問題なのです。しかし、それに女性自身も気づけない。

長辺さんは、遺体を遺棄しているので、刑も長くなると思います。20歳にして、(しかも妊娠は女性だけでできるものでもないのに)重い十字架を背負って生きていくことになります。

この事件で、彼女を非難して終わらせてはいけないと思います。これからもそういう女性がでてきます。児童遺棄や児童殺害は人類の歴史の中で常に繰り返されている悲劇です。個人の問題ではなく、社会全体の問題であり、人類の課題であります。

まずは、「妊娠葛藤相談」の制度設計を具体的に考えていく必要があるのかな、と、今思っています。これは、喫緊の課題です。全国に、妊娠葛藤相談所を設置して、妊娠葛藤についてきちんと学んだ支援員を配置すべきだろう、と思います。そして、それをきちんと世の中に認知させていく必要があるだろう、と。

全ての子どもが安全に、祝福されて生まれることができるように。それは、皆の希望でもあります。

 

まだまだ、僕も頑張らなきゃな、、、汗

コメント一覧

kei
qpさん

お返事遅れてすみませんでした。もう、ブログの記事さえ、全然書けない状態が続いていまして(たまった記事の数を数えることすら嫌になるくらいに)

お返事ありがとうございます。

「片方の苦しみを聞く耳をお持ちなら、もう他方の苦しみも聞くことができるのでは」という言葉に、胸がズキッときました。「確かに…」って。

もっと色々とご意見を聴く必要があるな、とも思いました。

色々と僕も書きたいことがありますが、まずはqpさんのご意見に耳を傾けて、色々と考えていきたいと思います。

それと、一つ。日本の「こうのとりのゆりかご」は、ドイツの匿名での母子支援の一部を切り取ったもので、他に色んな手を考えています。ただ、色々と法律的な問題もあって、踏み込めていないのが現状です。(匿名出産をご存知ですか?)

まだまだ、これからです。

僕が一番求めているのは、ただ一つでして。

全ての父母子が、幸せに生きていけるようになることです。僕は離婚問題も同時並行で常に考えています。離婚の問題もすごい深いです。

子どもにとって一番最善の環境を守るために、大人が知恵を絞りだす努力を続ける。それしか、道はないと思いますから。
qp
20才は十分に大人です
どうやら、ブログ主さんには手放された人間の苦しみや実際的な苦労は伝わらないようです。
>「出自」の問題に接続すると思います。
この文章を読んでそう思いました。

ポストの賛成者達は、将来、ポストに預けられた子ども達自身の口から訴えられてからしか、自分たちがどんなひどいことをしたかを思うことができないのでしょう。もっとも、全くの一人で生きている人間には、ささやかにある社会とのつながりを失う危険を思うと、その苦しみさえ世間に訴えることはせず、一人で我慢してしまいそうです。

子ども側の苦しみや忍耐を思うと、望まない妊娠をした女性の苦しみは、それほどのものではない。あえて言いますが。世の中には他にも様々な苦労があります。望まない妊娠にしても、今は制度が整っています。それを思うと「相談したくない」というのは、その人の倫理の欠如の問題です。全く違う事件では中高生でも、人を一人死なせれば相当にたたかれます。それを思うと20才は十分に大人です。18才で選挙権をという話もあります。

子どもの命を救いたいなら、その女性自身が助けを求める必要があります。それは赤ちゃんポストではなく、出産そのものを手伝ってもらえる施設に。赤ちゃんポストでは、出産という実際的な危険があり、子どもの命は救われません。亡くなる子が減らなかったという現実の重さを正確に受け止められてはいかがでしょうか。

望まない妊娠の恐怖はよく分かりますが、それは女性なら最初から分かっていること。自分でコントロールできることです。ただの生理現象でしかない妊娠出産を美化しすぎているし、口を聞けない立場の人間の権利を無視しすぎている。大人のいいように制度を作りすぎです。代理出産の問題では、それがくっきり見えてきたようですが。今の社会はあまりにも親側の権利を認めすぎている。そして権利だけを認め、義務を果たさないことを問題にしない。

自分の痛みを主張するなら、他人の痛みも認めなくてはならない。自分の痛みから逃れたいなら、子どもの痛みにも耳を傾けて、子ども側の苦しみにも配慮しなくては不誠実です。赤ちゃんの命を救わなかったのに、まだでも赤ちゃんの命を口実にして自分の主張を通そうとすることは悪だと、私は考えます。

Dr.keiさん、私の怒りは私のものでしかありませんが、それでも社会のどこかにはポストに対して永久になくなることのない怒りや憎しみを抱えている人たちがいることは、認めていただければと思います。
片方の苦しみを聞く耳をお持ちなら、もう他方の苦しみも聞くことができるのではと思っています。
kei
お返事遅れてごめんなさい。

貴重なご意見ありがとうございます。この問題を語るときには、色んな側面から考える必要がありますよね。

qpさんのご意見は、特に「出自」の問題に接続すると思います。親を知ることの辛さや親が分からない辛さなど。子どもからの問題というのは、そういうことですよね?

今、欧州にいるのですが、こちらの人も、色々と考えて実践をしています。「答え」はありません。ただ、誰もが「赤ちゃんの命を守りたい」と思ってやっています。

批判も大切ですが、「どうやったら遺棄する親や虐待する親を助けられるのか」、ということを一緒に考えていければ、と思います。qpさんも是非、その方向で提言して頂きたい、と思うのです。(すごい勉強されていることは伝わってきました)

また、この問題は、ごく一部の少数派(遺棄する親等=「犯罪者」と烙印される人たち)をどうやって支援するか、という問題です。これは、成熟社会の共通課題です。

これからも何かありましたら、是非ご意見をいただけると幸いです。
qp
お返事ありがとうございました
お返事ありがとうございました。
私が子どもの立場から反対する理由は、私の子どもの頃の施設での経験からです。ネットですので詳しいことは書けませんが、乳児院や複数の児童養護施設と実家を数年ずつ行き来して育ちました。複数の児相や施設やで色んな境遇の子と生活していて、中にはかなり激しい虐待を受けたらしい子や、名前を呼んではいけない子もいました。もう数十年前ではありますが。

そんな中で一番心に傷を受けていると、他の子とは別格だと感じていた子が、ある日、親が分からない子だと偶然知ってしまいました。その施設にいる間、私はその子の苦しみを見続けることになりました。赤ちゃんポストに賛成する人を見ていると、あの苦しみがあることを世間は知っているのか?という思いになります。あんな傷を人に与えるやり方は、人を救ったといえるものではないと私は思っているのです。世間は赤ちゃんポストというと赤ちゃんを想像するようですが、私は子どもの苦しみや一人の人間の一生の間の辛さを思います。

特別養子縁組にしても、その後の人生がどうなっているかまでは誰も教えてはくれません。養子なのか里子なのか分かりませんが、養親が離婚することになり生活の場がなくなった子がどこに行けばいいのかと、ネットの悩み相談に救いを求めているのを読んだことがあります。こんな風に、里子として育つ人たちの様々なその後の問題は闇に隠されたままです。特別養子縁組の当事者が、ポストは自分達の救いになっているから推進して欲しいと運動しているというのも聞いたことがありません。個別に賛否の意見を見かけることはありますが。

ただ、こんなことを言っても感情論としてしかとらえられることはないので、ある時から事件記事を集めるようになりました。嬰児殺、置き去り、虐待などです。その中で、日本では赤ちゃんポストができてからも嬰児殺が減っていないことや、虐待死も減っていないことに気づきました。 (虐待死が減ったのは、大阪での2児の餓死事件があり、その頃から児童相談所への通報が増えてからと私はみています。) 
こうのとりのゆりかごができた後も、九州では毎年コンスタントに2件ほど、生まれてすぐの赤ちゃんの遺体が見つかる事件が起きています。幸い今年だけは、まだネットに出ていませんが。

事件を集めていると、ホテルやウィークリーマンションなど、昔はこんなところで起きていたかなと思うような場所で、嬰児殺や置き去りが起きていることにも気づきます。本当はどうするつもりだったのか?と思うことがあります。赤ちゃんポストや民間の養子斡旋団体の利用を思い立っていたケースはないのか、気になることがあります。 

Dr.keiさんならご存知と思うのですが、こうのとりのゆりかごの検証報告には、こうのとりのゆりかごを利用しようとしたために自力出産に失敗して赤ちゃんが亡くなり、遺体をコインロッカーに遺棄した事件があると記載されています。ゆりかごにたどり着く前に車中出産していたり、破水しても地元の病院に行こうとせずに慈恵病院になんとかして欲しいと電話する事例も多い。何が言いたいかというと、赤ちゃんポストにたどり着く前に死んでしまった子が、間違いなくいるということです。病院出産と飛び込み出産での危険度の違いもネットには出ています。様々な現実を見るうち、ドイツで赤ちゃんポストがあれだけできても亡くなる子が減らない理由が分かったと思いました。

私は事件記事を集めているので、置き去り事件の親子のその後を読むこともあります。私から見ても危険な置き去りの場合でも、親がしっかりと反省し、周りの協力があれば、今は普通に親子として暮らしているケースもあります。「そんな親なら、別な人に育てられたほうがまし。」とは簡単に言えないと感じています。
 逆にこうのとりのゆりかごの相談事例を読んでいて「この人は反省していない。また繰返すのでは。」と思ったこともあります。

置き去り事件は赤ちゃんポストがなくても、赤ちゃんを助けたい親は工夫してちゃんと助けることを教えてもくれます。
また、望んで産んだ子だけれど、障害があったから手放すというのは、赤ちゃんポストがなければなかなか起きない事件だと思っています。

長文ですみません。私の意見はネットを長く捜されると見かけられることもあるかと思います。ですので、ここにこれ以上書くのはやめようと思います。書き込みを許していただき、ありがとうございました。
kei
qpさん

コメントありがとうございました。貴重な情報、ありがとうございます。更に詳しい内容が知れて、よかったです。

僕はそれほど「熱心に支持」しているわけではないですよ。いい面も悪い面もあります。それを含めて、「どうなんだろう?」と考え続けています。

qpさんはどうして子どもの立場から反対されているのか、お聴きしたいです。文章を拝見する限り、この問題にしっかりと向き合っておられるように思います。

ドイツでも、赤ちゃんポストは今も賛否両論です。子どもの立場というと、「出自」の問題なのかな、と推測しますが、いかがでしょう?!

ただ、上に挙げてもらった記事を読んでも、「結局は、母親は救われなかった」、ということには変わりありません。赤ちゃんを救うということは、そのままお母さんを救う、ということです。

是非、色々とご意見を聴かせてください。賛成・反対、どちらの意見も大切です。一番悲しいのは、無関心ですからね。反対派の意見もとても大切だと思っています。
qp
情報は公平であって欲しいので
初めてコメントさせていただきます。
私は赤ちゃんポストに子ども側の立場から強く反対しているものです。
(あまりに子どものその後の人生の苦しみに無頓着なので。)
Dr.keiさんが熱心に赤ちゃんポストを応援されていることは以前から知っており、
このブログも時おり読ませてもらっていました。
ドイツの状況なども教えてもらえ、貴重で熱心な方のサイトだと思っています。
普段なら今回の記事も読むだけにとどめるのですが、
今回はあまりにも情報の取り上げが偏っていると感じずにはいられませんでしたので、
無礼に感じられるとは思いますが、私がネットで見たニュース記事の中から
追加情報を書き込みさせてもらうことにしました。

■ 5/20の静岡新聞記事より抜粋
4月中旬、沼津市に市内の産婦人科医から「病院に来なくなった妊婦がいる」と連絡があった。市の担当者が2度、女に面接して以降、連絡が取れなくなった。5月中旬が予定日だったため、女児の死体遺棄事件を知った市の担当者が19日午後6時半ごろ、女を訪ねたところ、「富士の病院で産んだが、死産だった」などと話したという。話に矛盾点があったため、警察に連絡した。

■ 5/20の毎日新聞記事より抜粋
事件の報道を受け、妊婦担当として長辺容疑者を知っていた市の保健師が19日午後、自宅を訪問。長辺容疑者は「自宅で産んだが死産だった」と説明したものの、乳児がどこにいるかを明確にしなかったため、同署に通報した。

■ 5/20のFNNニュースより抜粋
容疑者は4月中旬、産婦人科に通院の予定があったのに来なかったため、情報を受けた沼津市の担当者が、何回か面会していた。
19日に会った時には、「病院で死産したので、遺体はそのまま預けた」と話していたという。

■ 5/20のTBSニュースより抜粋
容疑者は市内のアパートに男性と2人で住んでいたとみられ、先月下旬から市内の産婦人科に通わなくなったことから、市が通院するよう指導していました。
 「(長邉容疑者は)あいまいな感じで『富士市に救急車に運ばれ出産したが死産だった』と話した」(19日に長邉容疑者を訪ねた沼津市の担当者)


こうのとりのゆりかごに福祉側から深く関わった人が
「 (赤ちゃんポストは) 相談”したくない”人たちの問題 」
と発言されるのを聞いたことがあります。
今回の事件は、まさにそういう事例だと感じています。
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