Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

恋愛交差点26-エロスの愛とはいったいどんな愛なのか?①

不定期連載「恋愛交差点」の第26話。

今回は、前回のお話を受けての続きとなります。

恋愛交差点25の記事はこちら

今回のテーマは、ずばり「好きな人への愛」(Eros)についてです。

最高の恋愛をしたい人💖は、是非最後までお読みください!!

***

おそらく歴史的には、最も古くから議論されてきたのが「エロス(エロース)」でありましょう。

僕にとって、この言葉はとても大事な言葉なんです。というのも、かつて大好きだったDIE IN CRIESというバンドが『Eros』というタイトルのアルバムをリリースし、そこでこの言葉を知ったからです。

エロスとは何なのか。これは僕が10代の時から考え続けているテーマなんです。

かつて、2009年に「エロスと教育学」について記事も書きました。

エロスと教育学の記事はこちら(主に翻訳)

この2009年の記事以降、「エロス」を主題にした記事は書いていませんでした。

なので、今回は、改めてそのエロスについて考えてみたいと思います。もちろんできるだけ分かりやすく、シンプルに考えていきたいと思います。

エロスの愛は、基本的には「性愛」のことを指します。性愛というと、男女の愛ということになります。ただし、前回も書いたように、男性同士の愛や女性同士の愛やポリアモリー的愛もあるので、男女に限定されるものではありません。

かつては「異性愛」と呼んでいましたが、今の時代では「好きな人への性愛」と呼ぶべきでしょう。

この好きな人への性愛、つまりエロスは、「欲求」に基づく愛のことを指します。性的な欲求なので、「性欲」と呼ばれる愛がエロスの愛です。欲求の愛は「求める愛」です。無論、「基本的には」の話であります。

「あの人が好きだ」「あの人と結ばれたい」「あの人を心から欲している」「あの人がほしい」「あの人の恋人になりたい」「あの人のすべてを知りたい」「あの人と手をつなぎたい」「あの人とキスをしたい」「あの人に抱かれたい」「あの人とつながりたい」「あの人と一つになりたい」「あの人と一つになって朽ち果てたい」「一つになって一緒にこの世界から消えたい」…

こうしたとても強い情熱的な欲求が、エロスの愛の現われとなります。

歌の歌詞を見ると、だいたいこんな感じではないでしょうか?!

高橋真梨子さんのこの曲は、まさに「エロスの曲」と言えるでしょう。

けれども、この情熱的な性的欲求は、古代ギリシャ哲学においても、また新約聖書においても、かなり否定的に捉えられています。

その理由は、基本的には「肉体的な欲求」だからです。相手の「身体」を欲しているからです。おそらく、これを読んでいる人は、「は?!」って思うかもしれませんが、、、

昔も今も、エロスの愛は、相手の「肉体」を欲しているんですね。「顔(ルックス)がいいから」「美貌だから」「かわいい顔だから」「美形だから」「整った顔だから」「口元がセクシーだから」「スタイルがいいから」「筋肉むきむきだから」「足が長くて綺麗だから」「匂いが好きだから」「胸が大きいから」「素敵なヘアスタイルだから」などなどです。

エロスの愛に夢中になっている人は、その肉体的な衝動に駆られ、盲目的にその人に没頭します。

でも、こうした肉体的なものは、必ず全ての人が、年齢的な衰えと共に消えてなくなっていきます。見た目も体型も匂いも、20年後にはすっかり別のものになっているんです。とすると、肉体的な欲求も、消えてなくなってしまうということになります。なので、このエロスの愛は、よろしくない、と考えたわけです。

では、エロスの愛は、いけない愛なのでしょうか?! 悪い愛なのでしょうか?!

古代ギリシャでは、肉体的な欲求は否定されるのですが、精神的な欲求は肯定されるのです。

好きな人への精神的な欲求…

この精神的な欲求もまた、エロスなのですが、このエロスは、ソクラテスもプラトンも肯定しています。特にプラトンは、この肉欲なき、精神的な欲求を積極的に肯定していきました。

こうした愛を、後の人々は、「プラトニックラブ」と呼ぶようになりました。プラトニックは、「プラトン的な」「プラトンの」という意味で、まさにプラトンのエロスの愛のことでした。

プラトニックラブについては、恋愛交差点20で詳しく書きました

今回は、一つ足を踏み込んで「好きな人への精神的な欲求」について考えたいのです。

まず、簡単に言えば、「見た目の美しさや綺麗さやカッコよさ」ではなく、その人の「内面的な美しさや綺麗さやカッコよさ」ということになります。

内面的な美しさ、内面的なカッコよさとはいったい何なのでしょう?!

プラトン的に考えれば、それは、相手の「内面的なイデア(理想・実在・理念)」を欲求するということになります。

プラトンの「イデア」については、もう膨大な記事があるので、ご自分で調べてみてください😊

例えば、こちらの記事を参照してみてください

ここに、プラトンの「美のイデア」についての言葉が引用されています。

まず第一に、それは常住に在るもの、生ずることもなく、滅することもなく、増すこともなく、減ずることもなく、時としては美しく時としては醜いということもなく、またこれと較べれば美しく彼と較べれば醜いというようなものでもなく、またある者には美しく見え他の者には醜く見えるというように、ここで美しくそこで醜いというようなものでもない

この言葉から分かるように、内面的な美しさは、肉体的な美しさと違って、滅することも、枯れることも、減ずることもないのです。常にいつでも美しいし、また、カッコいいのであります。

その内面的な美しさは、もっぱら「言語」「言語的なもの」「ロゴス」によって表現されるものであります。だから、プラトニックラブは、「知的な愛」と言われるんですね。知性は、ロゴスであります。

とはいえ、「多くのことを知っている」とか、「言葉を巧みに操れる」とか、「うまい言葉をペラペラしゃべる」とか、「相手をその気にさせる言葉を話す」とか、そういう上っ面の言葉の上手さではありません(ソクラテスやプラトンは、これを最も嫌いました)。

そうではなく、「徳(アレテー)」のある人こそ、内面的な美しさをもつ知的に美しい人と考えました。

この徳は、(教科書的には)3つ(ないしは4つ)の要素(3元徳、4元徳)から成り立っています。

①知恵(ソフィア)
②勇気(サロス)
③節制(ソープロシュネー)
④正義(ディケー)

であります。(これはかなり俗化されたまとめ方ですが…)

実際にこんな人がいるかどうかは別にして、精神的なエロスの愛は、こうした内面的な要素をもっている人を欲求する愛のことになります。

これまたすごく俗的に言えば、「あらゆることを知っていて、実際に勇気をもって行動していて、あらゆる物欲を抑制できていて、損得(利害)抜きに正しいと思うことを貫ける人」、みたいな感じですかね。

この辺は、きっと色々と「解釈」できると思うし、恋愛を考える上で大きな参考になると思います。

(あと、人が「別れ」を決意するとき、だいたいこの4つが原因になると思いませんか? 「この人、話通じないわ」とか、「この人、見た目はいいけど、何も考えてない人だ」とか、「口だけは立派だけど、いざというときに逃げ出すな」とか、「大きなことを語っているけど、ホンキで人生を戦っていないな」とか、「浮気をした」とか、「ギャンブルや賭け事から抜け出せない」とか、「金遣いが荒すぎる」とか、「自分の損得でしか生きてない」とか、「ビジネスライクな付き合いしかしていない」とか、そんな理由で別れたり、離婚したりしていません?!)

ただ、こうした徳をもつ内面的に美しい人を欲求できる人もまた、とても少ないんだろうなと思います。

だいたいの人は、「カッコいいから」「かわいいから」「自分を好いていてくれるから(自分を欲してくれているから)」「優しくしてくれるから」「大事にしてくれるから」「お金をもっているから」「学歴が高いから」…といった理由で、好きになったり、付き合ったりします。また、付き合った後も、そういう理由で、恋愛を維持する人が多数だと思います。

それはそれで、そういうもんなんだろうなとも思います(この歳になってしみじみ思います…)。

でも、若い時こそ、最も高い理想を掲げて、その理想に一番合った人を探してほしいとも僕は思います。

そのためには、

〇自分の理想を高くもつこと、それは、自分の基準をもつということ、

〇自分の基準をもつということは、自分自身を中心に置き、自分自身を大切にしているということ、

が欠かせません。

もし、エロスの愛(俗的にいう「恋愛」)を大事にしたいなら、そして、最高に贅沢な恋愛をしたいなら、まずは、自分自身が「精神的な美しさ」を学ぶ必要があると思いますし、その精神的な美しさへの欲求を完成させる必要があります

ソクラテスの『饗宴』の中で、パウサニアスはこう語っています。

「そもそも行為というのは、つぎのようなものである。すなわち、他と無関係にそれだけでなされるなら、それ自身は、べつに、美しいものでも醜いものでもない。たとえば、いまわれわれがおこなっている、この飲むとか、歌うとか、話すといったことは、そのどれ一つとってみても、それ自身が美しいというものではなく、むしろ現実の行動において、そのおこなわれ方に応じて、その善し悪しの性格もきまってくるのである。…恋をすることも、エロスも、これと同じことであって、その全部が全部、美しいわけでも、讃美に値するわけでもない。ただ、恋の仕向け方の立派なエロスのみが、それに該当するのである」(『饗宴』、180-181)。

どう恋を仕向けるか。つまり、どんなエロスの愛をするかは、「自分自身の問題」であり、「エロスの対象の問題」ではないのであります

どんな人と付き合っているか、ではなく、その付き合っている人そのものが、あなた自身の恋愛のレベルを示しているにすぎないのです。あなた自身に精神的な美しさへのまなざしがあるなら、美しく素敵な恋(エロス)をするだろうし、あなた自身が肉体的な美しさしか欲していなければ、その恋は、いつか消えてなくなるだけのものになります。

つまり…

簡単に言えば、精神的な美しさを求めている人だけが、美しく、讃美に値するエロスの愛を行うことができるのです。

あなたも、最高のエロスを、最高の恋愛を目指してみませんか?!

この曲は、本当の恋を求めながら、出会いと別れを繰り返す20代中盤の男女向けの曲であります!😊

次回は、エロスの愛をもう少し広げて、「師への愛」「師弟愛」「教育的愛」(あるいは「推しへの愛」)について語りたいと思います。

エロスの愛は、決して「恋愛」の愛だけではない、という話です。

読みやすさ重視ならこちらの一冊!

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ソクラテス・プラトン・アリストテレスを知ることで、世界の見方は変わります👆

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