Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

就活、婚活、そして妊活-「○活」という言い回しの奇妙さ

昨日、テレビで、「不妊治療」の特集を見た。

結婚の高齢化(晩婚化)と共に、今増え続けているのが、不妊治療を受ける夫婦だそうです。医師も登場し、高齢化による卵子の話も聞かせてくれました。

かくして、生まれた言葉が「妊活」(妊娠活動)という言葉でした。妊活については、既に多くのところで、そのサポートが行われており、テレビでもその必要性が訴えられていました。

主な妊活サイト
http://www.ninkatsu.net/jp/index.html
http://www.megwu.com/

上の番組で興味深かったのは、「体力的にも、金銭的にも、妊活はそうとう辛い」、という母親の言葉でした。特に、妊活にかかる費用を聞いてびっくりしました。一人の子どもを産むのに、100万円以上もかけている、という事例も報告されました。

高齢になればなるほど、妊娠はしにくくなります。卵子の数は決まっているみたいですしね。そこで、考え出されたのが、様々な受精方法でした。体外受精という言葉はよく知られていますが、タイミング法や顕微授精という言葉はあまりまだ知られていない気がします。

http://www.ikujizubari.com/Sterility/sterility-treatment.html

このように、妊娠さえも、今日では、「科学技術」「医療技術」の助けを借りているのですね。全てが「技術化」に向かうのが近現代の大きな特徴ですが、遂に、ここまで入り込んできたか、という感じです。「代理出産」という言葉も一時期話題になり、またドラマにもなりました。


さて、ここで考えたいのは、「妊活」という言葉の意味です。文字通り、「妊娠活動」ということですよね。これは、就活、婚活に続くものと捉えてよいでしょう。就職活動、結婚活動、そして妊娠活動。

このように並べると、取り立てて話題になるようなテーマではないと思うのですが、、、 つまり、就職も、結婚も、妊娠も、人間が生きて行く上でとても大切なことですし、それは別に敢えて「~活動」と言わなくても、何の問題もないはずなのです。「就職しなきゃ」と言えばいいものを、「就活しなきゃ」になるのは奇妙。同じ意味ですからね。基本的には。それに、「結婚しなきゃ」というのと、「婚活しなきゃ」というのも、ベースは一緒ですよね。妊娠して、子どもが欲しいというのも、あえて妊活と言わなくても、伝わる気がするのですが、、、

簡単にいえば、「○活」っていったい何なんだ?!ということです。僕も学生をもつ当事者ですから、日々聞きますよ。「就活しなきゃ」「就活する気にならない」といった言葉を。そのたびに、「就職」でいいじゃねーか、と思うわけです。

婚活も同じです。婚活にいそしむ女性、男性、共に多くいるわけですが、ひねくれ者の僕にはどうしても奇妙に見えるのです。彼ら・彼女らが奇妙というよりは、「婚活」という不自然な言葉に奇妙さを覚えるのです。「結婚したい」という気持ちは誰にでもありますからね。ただ、それを「婚活」という言葉でくくってよいのかどうか。

そして、「妊活」、と続くわけです。

この「○活」という言葉は一体何を意味しているのでしょうか。これが僕の中でとてもひっかかるのです。就活、婚活、妊活、どれも、自然じゃないんですよね。人工的。人工的というよりは、意図的、計画的、反省的。つまりは、考えているんですよね。考えるといっても、その考え方のベースが、「効率よく」「スムーズに」「お金をかけて」「円滑に」というメリトクラシーの論理なんです。

就職、結婚、妊娠というのは、この人類史上では、「なんとなく」決まっていたものだったと思うのです。なんとなく就職して、なんとなく恋愛して、なんとなく結婚して、なんとなく妊娠しちゃって、という風に。けれど、この「なんとなく」がなくなり、皆、それができなくなり、困り、焦り、苦しむようになったのではないか、と。

それに、ビジネス的に飛びついたのが、「○活」という奇妙な活動だったのではないでしょうか。就活はそれ自体ビジネスになります。婚活はバリバリビジネスに直結します。妊活も、上の番組の母親の言葉にあったとおり、お金がとてもかかります。経済活動に直結しているのが、「○活」という現象なのではないか、と、そう思うに至りました。

その根底には、「お金でなんとかしよう」「技術でなんとかしよう」という人間の思考が働いていると思います。そこには、「効率性」が必ず潜んでいて、「手早く、手短に、簡素に、ささっと」という思惑が入り込んでいます。

僕は、そこに奇妙さを感じています。「就職なんて水もの、やってみなきゃ分からないし、色んな人とつながっていれば、どこかから声がかかることも多々あるし、ダメなら辞めりゃいいし、どうにかなるだろ」と思いながら、僕は生きてきました。恋愛も同じでした。いろいろと動いていれば、色んな出会いがあります。そのつど、普段から恋愛をしていれば、それなりに、自分のレベル相当の女性と結ばれるものだなぁ、と思います。僕は失恋もいっぱいしましたが、それと同じくらいとは言いませんが、それなりに恋愛もしてきました。結婚なんて、所詮タイミング(timing)、そう僕は思います。それと同様、妊娠も出産も、できりゃできたでいいし、できなきゃできないでいいじゃんと思ってきましたし、今もそう思っています。

ちょっと乱暴に言いますが、就職も、結婚も、選ばなきゃできるんです。いい就職先、いい結婚相手を選ぼうとすると、できなくなる。それだけのことかな、と。いい就職先、いい結婚相手を探す前に、自分がいい人間になるよう、努力したほうがよっぽどいいんじゃないかな、と思うわけです。少なくとも僕はそういう努力をしてきました。楽して、いい就職先やいい結婚相手なんて見つかるわけないんです。自分を磨き、自分を高め、自分をいい人間にすれば、つまり、自分の価値を高める努力を怠らなければ、それなりに、それなりの人生が拓けるはずなのです(自己努力とは違うんです。自分にできる範囲で自分を高めるということだけです)。

妊活はちょっと違いますね。努力で解決できるものではない。けれど、本質は同じかなとも思うのです。結果から言えば、赤ちゃんができようができまいが、それは「神のみぞ知る」としておいて、とりあえず作る努力だけはする。それでダメならダメ。急がないで、とりあえず待ってみる。そして、どうしてもダメなら、特別養子縁組の申請をするとかして、社会的養護という仕方で子どもを育てる、ということもありだと思うんですよね。親代わりを求めている子どもは多いわけですから。

とはいえ、「赤ちゃんが欲しい」という気持ちは無視できません。深刻です。けれど、何にでも言えると思いますが、欲しくても手に入らないということもまたいつでもあるわけですよね。それだけじゃないです。さらには、欲しくても手に入らずに、泣く泣く諦めて、その諦めかけた時に、たまたま手に入った、ということもまたあるわけです。

問題は、「○活」というのは、「何が何でも手に入れてやる」という強烈なエゴによって生まれたものではないか、ということです。人間、生きていれば、泣く泣く諦めなければならないこと、妥協すること、折衷すること、納得できないけど受け入れなければならないこと、いっぱいあると思います。そういう中で、諦めずに、地道にすべきことを続ける、そういう努力は誰もができるはずです。

それを安易に、手軽に、お金と他人の力で解決させようとしているのが「○活」という言葉の深い意味なのではないでしょうか。他人の力を借りることが悪いことではないのですが、、、、

・・・・

つづく。

コメント一覧

kei
廣田先生

コメントありがとうございます。

死活は新しい概念ですね。これもまた考えたいと思う言葉になりました。

ありがとうございます!
廣田鉄斎
死活にかかわる?
http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005
わたしなんぞは、そろそろ「死活」の時期ですね。笑
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