Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

■いじめと日本社会■隠れたカリキュラム■

現代の教育問題で欠かすことのできない「いじめ」。

*「いじめをどう対処するか?」という話はもういいかげんにしてくれって感じだ。こういうHow to的な問いはあんまり意味がないっていうか、どうやったっていじめはなくなりそうにない。「いじめの定義は何か?」、これももう嫌ってほど出てるし、いじめに程度があるのは分かりきっている。激しいいじめ、陰湿ないじめ、自尊心を破壊するようないじめ、軽いいじめ、挙げればきりがない。それより、「いじめとは一体何であり、どういう事態なのか?」、と問うほうが有意義のような気がする。。。ってことで・・・

いじめは、一過性の流行やシンドロームではなく、日本文化に根ざした根絶不可能な現象のように思われる。日本では「いじめ」は、一つの文化システムとして組み込まれているのではないか。

最近流行りのKY。「空気を読め」、「空気を読めない奴」といった意味の流行語だ。日本では、「世間」「集団」「人間関係」の空気を読まなければ生きていけないほどに、無言の言語を解読しなければならない。自分の意見を言う前に、相手や相手集団が何を感じているのかを事前に察して、それにふさわしい仕方で自己を振舞わなければならない。自己以前に他者が存在している。ゆえに、自己・自分がないと言われる「日本人」が常に再生産されるのである。日本人は「自分」をもち「自己」を主張してはならないのである。

学校でも、表向きは「個性を伸ばす」と言いながらも、裏では「自己つぶし」がしっかりと遂行されている。その一つの表れが「いじめ」なのではないだろうか。

小学校で年上の友だちに対して「先輩」と呼ぶ児童はどれだけいるだろうか。小学校では「上下」の立場の違いを言語でわざわざ表現したりはしない。まだ「空気」がないのだ。だが、中学校になると、どういうわけか、年上の友だちのことを「先輩」と呼び、敬語や丁寧語で話さなければならなくなる。しかし、それは誰かに教わることではなく、雰囲気の中でそれぞれが何となく学んでいく事柄である。もし中学校で年上の人に対して「●●くん」や「●●ちゃん」と呼んでしまえば、「体育館裏」に呼び出されることになる。

こうした先輩-後輩関係という力関係はクラス内にも生じる。学力においても、腕力においても、知力や政治力、さまざまな力が相互に絡み合い、覇権争いへと発展していく。けんかが強い、勉強ができるという一つの条件だけでは覇権は奪取することはできない。

また、同時に、できるだけ下の人間にならないようにと配慮する。周囲の子と違わないように気を配る。ゆえに、中学生たちはあらゆる知恵を使い、巧みに空気を読むことを学習していく。ゆえに、空気を読めない生徒、みんなと違う生徒は、いじめの対象と規定されて、そのターゲットにされるのである。

中学生はまさに「思春期」であり、自己を意識し始める大切な時期だ。日本では、この大切な時期に、自分を出さないことを同時に学習していくのである。自己をもち始める時期に、同時に、自己を出さないで空気を読んでいくことを学んでいく。そして、自己をもち、みんなの空気の読まない人間は学校の外へと追いやられるのである。

このように学校内で授業や主な活動以外で、(明示化されない仕方で)学習されていくプロセスを、「隠れたカリキュラム」と呼んでもいいだろう。

いじめとは、実は「自分のない日本人」を育てるための隠れたカリキュラムであり、日本型の学校ではなかなか抑止することのできない教育システムなのだ、と言ってもいいのかもしれない。

明日、講義で話す内容の一部を紹介させていただきました。いじめを語るのってすごく難しいんですよね。。。

コメント一覧

kei
こんにちわ。

これまであまり隠れたカリキュラムといじめってつなげて考えられてはいないんですけど、考えてみたらこれだって隠れた教育カリキュラムだよな~と思ったんですよね。

>限られた時間の中で、熱中する何かがあれば、ひどく追い詰めるようないじめに手を染める暇もないのでは?と思ったりもします。

この点は強く共感します。向山洋一が言っていることですが、授業の力のある先生のクラスではいじめはおきにくいっていうんです。経験的にもなんとなく分かるんですよね。知的な学びや感動の多いクラスだと、そういう陰湿なことはおきにくい。授業が考える時間になっていれば、休み時間はしっかり遊んだり休んだりできる。つまらないことにエネルギーをかけなくてすむ。バンドマン生徒を見ていると、夢中になるものがあるせいか、そういうことに無関心ですもんね。僕自身、中一でロックに目覚めて以来、誰かをいじめるなんて考えたことなかったですもん。ジキルとデランジェのことしか頭になかったし。。。

>有り余る高校生のパワーを、何か生産性のあるものに使えないか?と考えたり

それ、超大賛成です。子どもたちのありあまるパワーを変えられるのは先生しかいませんし。

「高校生エネルギーで環境問題解決!!」、これいいアイデアですね~ 是非やるときは僕も呼んでください。出張で見に行きたいです(ホンキ)。工業系の学校、一度見せていただきたいです。

隠れたカリキュラムとしてのいじめ、僕もピーンときたんですよね~(苦笑)
JUN
こんばんは!!

ひどく追い詰めるいじめ。
撲滅させたいんですけどね。
死に至るケースもある中で。

『隠れたカリキュラム』というkey wordでグワっと何か開けた気がしました。

今ちょうど『いじめをやめさせる!』(佐山透 著)がAmazonから届くのを待っている僕です。

限られた時間の中で、熱中する何かがあれば、ひどく追い詰めるようないじめに手を染める暇もないのでは?と思ったりもします。

有り余る高校生のパワーを、何か生産性のあるものに使えないか?と考えたり。
(「高校生エネルギーで環境問題解決!!」みたいな。工業畑なもので。)

その位いじめ、ケンカ等々は僕にとってリアルなものです。他人任せな子どもたちも多い中で…。



『隠れたカリキュラム』というkey wordにピン!!
と来たのでお邪魔しました。
ではではまた!!
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