勿欺也、而犯之
孔子の言葉です。
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先日、徳島の小さな村の保育園での「虐待事件」が明るみになりました。
読売新聞では、次のように報じていました。
徳島県 佐那河内村さなごうちそん の村立佐那河内保育所(園児50人、保育士13人)の保育士が園児に虐待を繰り返していた問題で、保育所の男性所長(62)が昨年、同僚の保育士から問題のある保育が行われていると申告を受けた後も、村への報告など適切な対応をしていなかったことがわかった。村による独自調査が不十分だったことも重なり、被害が長期化した可能性が高い。村は対応を検証し、再発防止策を講じる。
同保育所は村内唯一の保育所。所長が2日、読売新聞の取材に応じた。
所長は昨年4月に就任した後、保育士の1人から「問題のある保育が行われている」と告げられた。しかし、村への報告や、加害が疑われる保育士への聞き取りなどは実施しなかったという。所長は村職員を退任し、再任用された直後だったことを理由に挙げ、「業務に慣れることに精いっぱいで、深掘りして聞かなかった」と説明した。
12月下旬には保育所に「保育士が園児の背中を強くたたいた」などと書かれた告発文書が届いた。しかし、「その保育士には言わないでほしい」と記されていたことから、所長はすぐに対応しなかったという。
所長が文書を村に報告したのは今年1月になってからだった。村は2月から、保育士らから聞き取りを開始。30歳代の女性保育士について、園児がこぼした牛乳をコップに注ぎ直して飲ませるなど3件の不適切保育をしていたとして、減給10%(6か月)の懲戒処分にした。
しかし、処分に伴い5月に開いた保護者説明会で「調査が不十分」と意見が出たため、村は弁護士らに調査を委託。7月から3か月かけ、職員や元職員計24人のほか、園児や保護者の聞き取りが行われ、ようやく被害の全容が判明した。
調査報告書では、こぼした牛乳を飲ませた行為など3件を含め、2021~23年度に計5人の保育士による虐待などの問題行為が計30件あったと認定。原因については「一部の保育士の倫理観の欠如」や「相談体制と相談後の改善策の欠如」、「施設長としての職責が果たされていなかった」などと分析した。
調査に加わった徳島文理大短期大学部の船本孝子准教授(乳幼児保育)は「特定の保育士のやり方が尊重され、『力関係が働いて自分の意見が言えない』という人が多かった。子ども中心という考えがなかった」と指摘した。
(強調・下線部、kei)
この事件で、改めて保育業界での「権威主義」の問題性が浮かび上がった気がします。
考える点として、
①現場で権威・権力をもつ保育者にモノ言えない空気はないか?
②特定の保育者(複数人)が権威を振りかざして、下の保育者を支配してないか?
③保育現場での「同調圧力」はどれほどのものであるか?
④女性の多い保育現場特有の「女性的な同調圧力」や「排除構造」はなかったか?
⑤保育士13名の中で、権威主義がどれほどまん延していたか?
⑥いったい保育現場に「自由な雰囲気」はどれほど保障されているか?
などがありそうな気がします。
色んな問題が隠されているようにも思います。
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僕は20年、女子学生や卒業生の保育者たちと関わってきて、「モノ言えない空気が女性の人間関係にはある」と教えられてきた気がします。
集団の中での自己の立ち振る舞いに、すごく力を入れているというか。つまりは、同調することに必死になっているんですね。「言いたいこと」ではなくて、(相手の怒りを買わない)「言うべきこと」を常に探しているというか。
もちろん、女性問題に限定されるものではないですが、この問題の根っこには、「権威主義」「同調圧力」「女性集団」の三つが潜んでいるように思います。
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この事件を聴いて、静岡県裾野市の保育園の事件を思い出します。
この中で、こう記されています。
…呼びかけに応じない、給食を食べない、水や牛乳を飲まないなどの理由から、日常的に児童をどなりつけたり、暴言を吐いたりと不適切な行為が多く見られたとしています。
また、別の職員らも、そうした行為を見たり聞いたりしているが、助けたり注意することもなく、見て見ぬふりをしていた場面もあったと記されています。
目の前で、明らかな虐待(というか暴行)が行われているのに、「見て見ぬふり」をしていた、と書かれています。
この「見て見ぬふり」こそ、権威主義的パーソナリティー(アドルノ等)の一つの現われと言えるでしょう。
「おい、やめろ!」、と言えない弱さ、ですね。
これは、女性の問題というよりは、すべての日本人に共通の問題だと思います。
僕が日々、講義の中で「反権威主義」という言葉を使う理由も、ここにあるんだなって思いました。
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それと、今回のこの徳島の事件を受けて、大阪の八尾市の「さくら保育園事件」を思い出します。
2020年、八尾市の「さくら保育園」の男性保育士が園児に性的な虐待を行っていた、という事件です。(この男性保育士のその後については、こちらを参照・懲役2年の実刑判決)
この男性保育士は、この保育園の園長と副園長(夫婦)の息子で、園内での絶大なる権力をもっていたそうです。
そのため、誰もこの男性保育士の行為を指摘せず、止めることもせず、見て見ぬふりをしていたとされています。
被告のわいせつ行為を目撃しながら声を上げることができなかった保育士が、涙ながらに謝罪する姿も、7月の保護者説明会では見られた。
「これも一族経営と関連していますね。一般の会社にたとえてみれば、両親が経営者で、社員にその息子がいて、なにか会社で違法行為をした時に『あなた、何をしているんですか』とそうそう言えるものではありません。下手したら、言ったほうがクビになりかねませんよね。保育士さんは、子どもが好きというところから始まっている人がほとんどなので、子どもが目の前で大人の男性にわいせつなことをされているのを見て、それを指摘することができなかったというのは本当に辛いことだったと思います。それで涙ながらの証言になったんでしょう。
一族経営で外の世界を知らないという話をしましたけど、保育士さんも、その保育園しか知らないという場合が多いんですね。専門学校などを卒業して就職するわけですけど、専門学校の段階で実習があって、実習した園で気に入られると、『卒業後うちに来ないか?』って声がかかったりするんです。そのまま就職して、実習からそこしか知らないでずっと働いているっていう保育士さんも多いんです。
…保育園は一本釣りなんですよ。学校に来ている求人に応募したら内定が出るまで他を受けてはならず、内定をもらったらそこに行かなければいけないということが多いんです。
…一族経営で独特のルールができ上がってしまっている園に入ると、それに抗うのは難しいということはあると思います。園のなかで声が上げられなかったとしても、行政に相談するという手段はあったと思います。とにかく、外の世界を知らないということが、今回の問題の根底にありますね」(同)
この文章の最後のところは、僕的には同意しません。
外の世界を知っているかどうかではなく、「権威主義」がどれほど恐ろしいものかを知っているかどうかが重要なのです。
上の人間に逆らえないのは、ここでいう「外の世界」でも一緒です。上の人間に逆らうのは、どこにいても「勇気」のいることですからね。
事実、この上の証言でも、「一般の会社」の例を出しています。だから、外の世界を知らないかどうかは問題じゃなくて、どこであったとしても、「見て見ぬふりをしない勇気」があるかどうかが重要なのです。
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このような事件を繰り返さないためにも、「権威主義」に抗う「市民的勇気」をみんながもってほしいとずっと思っています。
同調しない力、ノーと言う力、つまりは自律的な力をもってほしいな、と。
市民的勇気、同調しない力、自律、反権威主義、、、
どれも、この国の人々が持てていない力だと本当に思います。
強い者に弱く、弱い者に強い国民性、、、
これを改めない限り、保育現場のみならず、あらゆる場所で、暴力や排除や排斥が続いていくと思います。
僕がこの20年くらいの研究で見てきたこと、見えてきたことは、ここにあると思っています。
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なんでもかんでも、No!と言えばいいわけじゃない。
本当に言うべき時に、言うべき相手に言えるかどうかが問題なのです。
近年、なんでもかんでも、文句や不平をもらす人がいます。が、そういう人も、よく見てみると、本当に強い相手には文句も不満も不平も言っていないんです。「言っても許してもらえるだろう」と思える相手だけに、罵詈雑言を浴びせるんです。
SNS上のありとあらゆる誹謗中傷も同じですね。
絶対的に権力をもつ人には、黙って従う。
そして、その怒りを、その権力を持つ人にではなくて、自分より弱い立場にありながら、自分より幸せそうに見える相手にぶつけるんです。
これが、ナチス研究で明らかになった「普通の人々」のメカニズムです。
だから、モンスターペアレントやカスハラを繰り返すモンスターカスタマーたちは、「市民的勇気をもつ人」ではなくて、「強い人にはモノ言えない人々」なんです。
本当に言うべき時に、めちゃめちゃ恐怖や不安を感じながらも、「それは、ダメだ!」と言える勇気。
それがあるかどうかが問われているんです。
>この話は、前に書いた【クソ真面目なバカ-wonky fools-】の話に通じるかな?!
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さて…
冒頭にも示しましたが、、、
孔子の言葉にこういうのがあります。
子路問事君、子曰、勿欺也、而犯之、
子路、君に事(つか)えんことを問う。子の曰わく、欺くこと勿かれ。而してこれを犯け。
子路(弟子)が、君に仕える時のことを問い、その答えとして…
人に仕える時、欺くことなかれ、しかして、これを犯(そむ)け、と。
簡単に言えば、「上の人間に嘘はつくな。しかし、諫言せよ!」、と。
諫言というのは、「上の人間のミスや過ちについて厳しく追及し、抗議し、異議を唱えること」です。英語だと、「remonstrate」という言葉が該当するみたいです👆
日本だけじゃなくて、東アジアの知性として、こういう考え方はあるのです。
日本人だから、ではないんですね。
「あざむくことなかれ。しかして、これをそむけ」
これは、是非とも覚えておいてもらいたいワードです。
保育者や教師が今学ぶべきは、孔子の思想かもしれません👆
この動画も参考になります。子路のことにも触れています!
広島大学の先生のお話です!!