今や、「世界の料理」になったSUSHI。
そんなSUSHI界において、日本でトップクラスの回転寿司チェーン、
スシロー
に(またまた)やって来ました。
スシローもまた、現在、コロナの打撃を受けているっぽかったです。
いつも待ち客が絶えないスシローですが、今は全くだそうです。
お昼時でも、空席があるほどだとか(驚きです…)。
スシローがダメなら、他の飲食店はもっと厳しいだろうと推測します。
いったいどれだけのダメージを受けているんだか…。
どうするんだろう??…
それでも、現在、「まるごと北海道づくし」なるフェアをやっています。
明後日の5日までのフェアとなっています。
北海道の食材を使った創作料理?がいっぱいです。
僕のターゲットはもちろん…
北海味噌ラーメン(330円)
です!!
同時に、「札幌布袋の鶏ザンギ」も♪
ジャジャーン!!
こちらが、「北海味噌ラーメン」です。
なんとなんと、いくらがラーメンに乗っています。
いくらの乗ったラーメンって、初めて見たかも、、、(;´・ω・)
それに、ぷりぷりのほたてもなんと三つも入っています。
330円のラーメンなのに、いくら+ほたてって、、、
贅沢すぎやしませんか!?!?
更に、揚げジャガイモに、コーンに、ネギ二種が入ります。
ちょっと、これにはたまげました…。
zoom up!
スープも、ちょっと独特でした。
白味噌ベースだと思いますが、なんともいえないダシ感があって…。
じんわりと美味しい味噌スープになっていました。
ちょっと普通の味噌ラーメンと違う感じがして、面白かったです。
やっぱり、食材の違いなのかなぁ、、、
いくらは、うーん、アクセサリーかな??
あってもいいけど、なくてもいい、、、、かも。
ほたてはチャーシュー代わりとして、大切な役割を担っていました。
麺は、こんな感じ。
わりとぶっとい麺で、もちもちしていて、重みがありました。
こういう麺を当ててくるか!?って感じで、、、
麺を食べた後は、お寿司の味噌汁として、頂けるのがポイントかも。
ラーメンを食べて、お寿司を食べて、味噌汁を飲んで、と。
スシローの限定ラーメンって、いつも遊び心があって面白いなぁ、、、
こういう「遊び心」を、もっと大事にしたいところですね。
そして、第四回からあげグランプリ金賞を取ったという、
北海道布袋の鶏ザンギを。。。
ジャジャーンっと。
うん、見た目、とっても香ばしそう。
わりとハードなタイプの唐揚げって感じでした。
しっとりタイプやザクザクタイプではなかったかな。
僕的には、うーん、なんか普通の唐揚げって感じでした。
お肉も小さいし、脂身も少ないし、衣も普通だし…
なかなか、「おおおおお!!」っていう唐揚げってないなぁ、、、
(どーちの唐揚げが恋しい今日この頃…(;;))
で、次に気になったのが、「天然いわし天ぷらにぎり」!
いわしも大好き、天ぷらも大好き!
わくわくします。
ジャーン!!
うん、こちらはもう大当たり~!!
いわしの天ぷらがとっても美味しくて、醤油なしでぱくっと。
やっぱり天ぷらって美味しいなぁ~、、、(;;)
家で天ぷらを揚げても、大変だし、衣も微妙だし・・・(;´・ω・)
これで100円はお安いです♪
安定の「匠の皿」シリーズからは、「フレンチポークカツにぎり」を!!
ビーフリエットとトマトソースの二種の味わい!?
こちらは、一皿300円也!
左がポークリエットで、右がトマトソースですね。
リエットはパテに似ている、パンなどに塗って食べる肉料理。
これをポークカツと一緒に食べる、という贅沢さ。
ポークのリエットで食べるポークカツ。
300円で味わう本格プロの味わい。
トマトソースの方も、結構面白くて、ぱくっと食べちゃいました。
300円の価値を確かに感じる(寿司とは言えない)にぎりでした(苦笑)。
***
というわけで、今のスシローのレポでした。
このスシローを通して、今の飲食業界の深刻さを実感しました。
まさか、あのスシローが空席だらけとは、、、(半分以下くらい)
コロナウィルスはとても脅威ですが、その脅威による更なる脅威も…。
なにもかもが今、ジレンマ状態。
外に出るのは危険。でも、内にいても(体力低下や経済の不況等で)危険。
学校に行くのは危険。でも、家庭の中も(一部)虐待やDV等で危険。
お店を開けるのは危険。でも、閉めることも極めて困難。
お店に行くのは危険。でも、お店に行かなければ、そのお店がなくなるかも。
ウィルスに感染するのは危険。でも、働かなきゃ食っていけない。
僕はここで、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」という言葉を思い浮かべる。
現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。
ウィルス感染と経済活動もまた、互いに相働くものだと思います。
もっと言えば、「科学」と「生活世界」の相互関係とも言えます。
今、僕らは「科学的知識」と「生活世界の危機」の板挟みにあっているのだろう、と。
科学的知識を鵜呑みにすれば、もう、外には出られない。
でも、誰も外にでなくなれば、とたんに生活世界は破たんします。
つまり、どちらの立場に立っても、「現実というものがなくなる」ということになります。
そんな矛盾する現実に、どう向き合うか。
個々一人ひとりの知性が求められているように思います。
ほどほどに外にでかけ、すみやかに家に戻り、うがいと手洗いを徹底する。
その辺のバランスがとっても大事になってくるのかな、と思います。
難しいところですけど、、、