このブログでは、「貧困」をテーマにした記事が多くあります。貧困と学び(あるいは育ち)の関連性に強く惹かれているからです。あらゆる事件や出来事の背景には、物理的、精神的貧困が潜んでいて、それにいつも心を痛めます。僕の中では、お金持ち=非貧困ではないんです。貧しい生き方をしている人=貧困なんです。貧困というよりは、「貧しい」という形容詞の方がぴったり来ます。貧しいの反対は、金を持っているじゃないです。「豊か」だと思います。豊かに生きている人は、必ずしも金持ちの人というわけではないと思うし、お金がなくても、豊かに生きている人はたくさんいます。
けれど、よく批判もされます。「keiは、貧困の話はよくするけれど、富裕層の話って出ないよね。それじゃ、片手落ちなんじゃないの?」、と。それは、まさに図星で、富裕層についてこれまであんまり考えてきませんでした。そんなこともあり、富裕層って何なんだ? そんなことも考えるようになりました。やはり明らかに、貧困の反対は富裕であり、richであります。old richとnew richという言葉もあるそうで、富裕層にも色々とあるみたいです。
この数年でよく議論に上がるのは、貧富の格差、格差社会、貧富の是正、そういったトピックスです。それは日本だけに限らず、世界中の問題になっていて、(なおも)超大国のアメリカでも貧富の差は半端なく顕在化してきているみたいです。ドイツでも、「勝ち組」「負け組」という言葉があり、貧富の問題は議論されています。その時にいつも話題になるのは、「貧」の方で、「富」の方はあまり問題にされません。貧の方は、「なんとかしなきゃならん!」と言うのに、富の方だと、「…」、つまり沈黙されてしまいます。
ただ、このところ、気になるのは、貧に対して、「貧しきものを救済を!」ではなく、「貧しきものに罰を!」というゼロ・トレランスの方向にシフトしていることです。貧困層の人々を支援するという方向性ではなく、貧困層の人々の締め出しによって、治安を守ろうという動きも水面下で活発化してきている、とも言われています。(これはバブル期くらいから言われていることですが…)
しかし、いつの時代になっても、「富めるものに罰を!」という視点は出てきません。富裕層は、どこか守られている気がします。富裕層は経済的効果も大きいので、ものを言いにくいのでしょう。実際、権力に一番近いところにいますからね。
話は長くなりましたが、僕の問いはシンプルで、富裕層の人々っていったい誰なんだ?何なんだ?ということに尽きます。富裕層の子どもたちはどのように生きているのか。富裕層の人々はどのような教育や学びをしているのか。どのような成長過程があるのか。富裕層の人々の生活や教育を知ることは、パラドクスになりますが、貧困層の人々の生活や教育を顕在化させることにもつながります。
ただ、これを語るのはとても難しいし、いやらしい。内田樹先生もブログで、富裕層を語ることに抵抗を示していました。(困った時は内田先生♪)
http://blog.tatsuru.com/archives/001319.php
この中に、次のような一文があります。
…インタビューの「案」を読んでみたら「富裕層」というのは「世帯年収1500万円以上でかつ300万円以上の車を購入したいと考えている人および現オーナー」という定義があるのを発見した。あら。それが「富裕層」なのか・・・どっちかと言うと、その辺の方たちの消費動向がいちばん「ビンボくさい」んじゃないかというような気もするので「富裕層」というのははばかられるのだが・・・そんなことを言うと敵を増やすだけだからスルーしてください。
やはり、富裕層について語るのは難しいんだと思います。特に学者って、起業家や医師といった人と違って、まわりが思うほど給料高くないですからね。知的であるということで尊敬はされますが、実際は裕福でもなんでもないですから(ただし、財産をもっている人は別)。
ここに出てくる年収1500万以上というのが、どうも富裕層のようです。が、いくら以上が富裕層なのかはよく分かりません。年収1000万以上という人もいれば、3000万以上という人もいます。ちなみに、とあるサイトの情報ですが、裕福層について、こう説明していました。
富裕層を構成するのは、大企業の役員、中小企業のオーナー経営者、不動産所有者、医師・弁護士、僧侶など宗教関係者などで、急速に高額所得者数が増えた理由は、景気拡大で会社役員の報酬が増加したほか、株式公開やストックオプションを通じて巨額の資産を形成した「ニューリッチ」が台頭したため。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-26841920070711
貧困問題は、生活や家庭や教育と関連させて活発に議論されていますが、富裕問題は、なかなか生活や家庭や教育と関連させて議論できませんね。どうしても、上の話みたいに、「どんな職種の人が富裕層か」という話になってしまいます。本を見ても、「どうやって成功したか」とか、「どうやって富を築くか」といった話ばかりで、サクセスストーリーしかないんです。あるいはマルクスか。。。
さらに、富裕ではなく、豊かな人々となると、さらに書き手が限定されている気がします。僕の心の師匠である神谷美恵子さんの本だと、極めて厳しい状況下にある人の豊かさがたくさん綴られています。が、それも広くは貧困の問題に該当してしまいます。「貧しいけど心は豊か」という結論になりかねません。それもすごく大事なことなのですが(本当に本当に…)、でも、敢えて突っ込みたいのは、富裕層の中で豊かに暮らしている人の生き方や作法や考え方についてですね。
ただ金持ちの家に産まれたというだけじゃない気がするんです。そこには、その親の教養や愛情や知性が深く関わっている気がするんです。このあたりの研究ってどれくらいあるんだろうなぁ… それこそ神谷さんみたいな人はどうやったら出てくるんだろう?みたいな。。。神谷さんはお医者さんでしたからね。一応富裕層ということにできるかな、と。
では、裕福層の人たちは、どのように生き、どのような子育て・教育をし、どのように家庭を生きているのか。と、問うと、そういう文献は恐ろしいほど少ないんですね。ぱっと思い浮かぶのが、「プレジデントファミリー」でしょうか。裕福層~中間層で、子育てや教育に熱心な親御さんは、必ず読んでいる雑誌だと思います。
http://www.president.co.jp/family/
このサイトの中にある文章を引用します。
…灘や桜蔭の子たちは普通の子とどこが違うのでしょうか。DNAか、育ちか、性格か。私が思うに、彼らの最大の特徴は勉強が好き、ということです。
彼らの多くは、勉強しなさいとうるさく言われていません。早い時期から自分で考え、工夫し、積極的に勉強に取り組んできた子たちです。好きでやっているから勉強が楽しい。その結果として、ほかの子よりはるかに賢くなれたのです。
彼らの勉強法やテスト対策の方法論には、ほとんど無駄がありません。自分で研究しているうえ、学校でも塾でも周りのレベルが高く、情報交換してさらに方法論が磨かれていく。教えられるのは好みませんが、いい部分を盗んで研究し、自分のものにするのは得意なのです。
もう、最初の一文から、目指すものが一般と違っていますよね。「灘、桜蔭の子」を出している時点で、層は限られますし、おそらく灘、桜蔭と聞いて、「おお」と思わない親も少なくないと思います。教育にお金を十分かけられて、子どもの教育に十分に手がまわるまさに「富裕の家庭」、ないしはそれに憧れる「中間層」が、こういう話に耳を傾けるのではないでしょうか。
(全部とはいいませんが)富裕家族には、ゆとりがあります。勉強しろと言わないかわりに、十分なお金をかけて、環境を整えています。文化資本といってもいいと思いますが、絵本、教具、図鑑、おもちゃ、あらゆるものを子どもに与え、「自分で考え、工夫」することを自ら学べるように環境を整えているのです。PCも高価なものが手元にあるだろうし、旅行も十分にしているだろうし、親と話す内容も多岐にわたるあらゆる点に及んでいると思います。さらに、父親に十分な収入があれば、母親は子どもに十分愛情を注ぐこともできるでしょう(もちろん、父親の収入ゆえに、屈折する母親も一部いるでしょうが、まともであれば働かずして、楽しく悠々と子育てを楽しむことでしょう。僕はそういう人をたくさん見てきました)。
子どもが「好きでやっているから勉強が楽しい」というのも、それだけ十分に母親の温かいまなざしやケアがあってのことです。たとえ富裕家族でも、夫婦がギスギスし、毎夜喧嘩や言い争いが繰り広げられるなら、「好きで勉強をする」なんてできるわけもないはずですから。もしかしたら、そういう富裕家族の場合、母親の「我慢」の下で成り立っているのかもしれません。もし離婚するとなれば、富裕層の生活はできなくなります。とある裕福層の母親が言っていた話ですが、「離婚なんてできない。子どもとは離れたくないし、夫と別れれば経済的にやっていけない。だから、離婚はしないし、たとえ危機的なことがあっても、多少のことなら我慢するわ」、ということでした。その女性は、高学歴ですが、年齢は30代後半。再就職も厳しいでしょうし、夫の年収以上をその歳で稼ぐのはきわめて難しいです(というと、フェミニストの方から怒られそうですが…)。でも、それは十分に理解できます。
プレジデントファミリーの文章(執筆している人たち)に目を通すと、本当に豊かな富裕層の生活や教育が見えてくるように思います。
また、上のサイトには、今をトキメク?秋元康さんの文章もあった。これが、なかなか興味深い。
僕の両親はしつけにとても厳しかったけれど
僕の意思を尊重してくれた。
大学を辞めようが、どんな仕事をしようが
僕が自分で決めて行動したことを
黙って温かく見守ってくれた。
そんな仕事がいつまでも続くわけがないと
茨の道が見えていたのかもしれないけれど
「茨があるから行くな」とは言わなかった。
だから僕もそうしようと思う。
秋元さんの親が果たして富裕層だったかどうかはわからないけど、最後の一文の「僕もそうしようと思う」というのはリアルです。秋元さんを富裕層と考えることに批判する人はいないと思います。子どもが何をしようと、「黙って温かく見守る」というのは、ある程度の経済的基盤、いや、それ以上の収入がなければなかなか難しい。共働きの家庭や母子家庭で、そういう温かく見守る子育てがどれだけできることか。もちろんそれを実現している家庭もあるだろうけれど、それはマジョリティーではないはずです。
興味深いのは、プレジデントファミリーみたいな雑誌に投稿している人たちは非常に全うでしっかりとしたことを言っていると思うけれど、それを読んでいる読者層もまた、ある程度、全うで豊かな生活を送っている人たちだ、ということです。そこに貧困層の人は入ってこない。僕の持論に、教育というのは、学校よりも家庭の方が決定的に強く作用している、というのがありますが、ここにおいてもそれを確認することができると思います。親が学校に教育を期待するというのは、根本的にその本質を見誤っている、と僕は強く思うのです。もちろん学校は教育機関ですが、学校が教育のすべてを担っているわけではなく、むしろ家庭の影響から完全に自由に学べることはない、と思うんです。
富裕層の家庭での生活や教育から、何かが言えるのでは?!と思う今日この頃です。
富裕層に関するデータなどは以下のサイトで詳しく書かれていますね。
http://abraham-marketing.com/wealth/outline/index.html
これによると、富裕層(1億円以上資産を持っている世帯)は、90万世帯あるみたいです。
全世帯からすると、1,8%。100世帯のうち1.8世帯。分かりにくい…
1000世帯で18世帯が富裕層となるわけですね。
10000世帯で180世帯。
100000世帯で1800世帯…
決して富裕層と呼ばれる世帯は少なくはないんです。1億円もっているって凄くないですか?(汗)
(36歳の庶民には分からない感覚です、、、実感が湧かないというか…)
でも、確実に存在しているわけで、こうした富裕層の家族についてはもっと知りたいと思います。いい面悪い面あるとは思いますが、そのいい面をもっと知りたいな、と。貧困層の家族については、もちろん匿名ではあると思いますが、かなり語られています。年収だとか、家族構成だとか、家庭内の関係性だとか、あらゆる面で暴露されています。が、富裕層については、問題が顕在化しないだけに、ベールに包まれています。
家族問題を語る上では、決して無視できないだろう、と思うんですよね。(分かるかどうかは別として)