本日、2010年4月17日、
ちゃんこラーメン総豊が、16年の歴史に幕を下ろします。
僕のラーメンライフの原点の総豊が今日終わります。
(現在まだ営業中だと思います!まだ食べられる!?)
蘇我の地で生まれた時はまだ世の中はそれほどブームではなかった。
総豊が生きた16年の間に、どれだけのお店が生まれ、
そして、どれだけ消えていっただろう。
激動の16年だった気がする。
千葉の地でどこよりも早く本格豚骨醤油ラーメンを出したのが、
この総豊だったと思う。
現在、千葉で活躍するお店が生まれるずっと前に、
蘇我という地で、新しい時代のラーメンをつくりだした、
そこに総豊の凄さがあったと思うし、それだけ多くの人を魅了した。
だからだろう。閉店一日前に訪れたとき、
老若男女問わず、たくさんの人がかけつけていた。
みんな、奥様に「ありがとうございました」と伝えていた。
みんなに愛されるお店、
そして、みんなに惜しまれて閉店できる幸せ、
そういう素晴らしい風景を見ることができた。
総豊は、ある意味、とても不器用なお店だったと思う。
流行に乗らず、我が道を行くがままに進んできたお店だった。
お店の中も、決してキレイなお店とは言えず、
それでも、毎日清潔な店内で食事をすることができた。
その背後に、きちんとした「掃除」が毎日あったのだろう。
総豊のこだわりは、安さとボリュームにあった。
市川さんは前に僕に話してくれた。
「いい食材を使えば、美味しいラーメンは作れるんだ。
僕は今の食材で安い値段で美味しいラーメンを作るんだ」、と。
心底、カッコいいと思った。
教育にも通じる話。
お金をかければいくらでも頭なんてよくなるもんだ。
与えられた教科書やテキストでどこまでやれるか、読みとるか。
それが一番大事なことなのだ。それを市川さんから教わった気がする。
今の教育は「高級な味」を求め過ぎておかしくなっているのかも。。。
「過激な受験戦争」はまさにそんなものだろう。くだらない。
そういう「批判的な目」も、僕は彼から学んだ気がした。
総豊は、決して「大行列店」ではなかった。
けれど、いつでもどんなときでもお客さんが入るお店だった。
誰もが笑顔になれる、誰もが幸せになれる、
そんなラーメン屋さんだった。それはお客さんの顔を見ればわかる。
世代も性別も超える魅力がこのお店にはあった。
僕は幸せ者だった。
自分の原点がこんな素敵なお店だったから。
このお店が僕の基準となっているし、視点となっている。
見た目だけ豪華にしている中身のないお店の間逆にあった。
派手なパフォーマンスも無理やりくっつけたトッピングも、
ここのラーメンを食べると、その胡散臭さに気づくことができる。
僕が老舗とニューウェイブのどちらも大好きなのも、
やはりこのお店が原点だからだと思う。
「総豊」は、今日をもってそのすべてを終了する。
寂しいけど、それもまた一つの現実だ。
自分の中では、母校がなくなる寂しさに近いものを感じる。
なくなってほしくない・・・けど、、、
僕が通ったのは12年間でした。
12年間、ありがとうございました。
そして、お疲れさまでした。
さよなら、総豊!