Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

大人相手の仕事と子ども相手の仕事の違い

教育や福祉にかかわる仕事をしようとしている人への提言として。(いろいろ考えることがありまして…)

①大人相手の仕事は、大人時間で働けるので、基本的に時間の流れがゆるやかである。だが、子ども相手の仕事は、子ども時間で動くので、基本的にいつでも時間的に慌ただしい。子どもペースの時間を生きるのが苦手な人、大人時間で生きたい人には、子ども相手の仕事は向かない。

②大人相手の仕事は、言葉でのやり取りが主流になる。よい面もあるが、言葉をツールとする故に、ストレスも多い。大人社会は言葉重視であり、その言葉にいちいち振り回される。だけど、子ども相手の仕事は、言葉を超えたやり取りが主流になるし、また、それゆえにストレスはかからない。だけど、身体的かかわりが多く、肉体的疲労はとてつもない。子どもの動きは、大人にはかなりハードである。体力に自信のない人は、子ども相手の仕事には向かない。

③大人相手の仕事は、経済の論理故に、比較的給与面では、頑張ればそれなりの報酬が得られる。だが、子ども相手の仕事は、再生産労働故に、給与面での喜びは期待できない。お金が好きな人、お金をたくさん稼ぎたい人は、子ども相手の仕事には根本的に向かない。

④大人相手の仕事は、マニュアル対応が可能である。マニュアルに従って動くことも是とされる。世の中の多くの仕事が、まだまだ「マニュアル人間」を求めている。言われたことをきちっとやること、言われた期日を守ること、決められた期限までに一定のノルマを達成すること、そうしたことが求められる。それに対して、子ども相手の仕事には、マニュアルはない。いつ、どんな時に、何が起こるかは分からない。昨日の経験が明日に生きることはあまりなく、常に、新しい目で、それぞれの子どもに対応していかなければならない。常に、頭を働かせなければならない。マニュアル通りに動くことが好きな人や、自分の意思でそのつど判断することが苦手な人は、子ども相手の仕事には向かない。

⑤大人相手の仕事は、労働時間が決められており、労働時間以外は、基本的に自由時間である。だが、子ども相手の仕事には、終わりがなく、労働時間外での残業、あるいは持ち帰りの仕事がとにかく多い。教師にせよ、保育士にせよ、労働時間外の労働が半端なく多い。というか、労働時間外の労働こそ、子どものために(実質的・根本的に)必要な内容が含まれている。(次の授業の準備、採点、成績、次の日の課題づくり、イベント・運動会等の準備等) 自分の時間が欲しい、労働時間以外の労働が嫌、残業等が嫌い、という人は、子ども相手の仕事には向かない。

⑥…

***

きっと、大人相手の仕事の方が、色んな意味で、いいと思う。メリット・デメリットで言えば、大人相手の方がメリットは高い。色んな意味で、割り切れる。仕事として、純粋にお金稼ぎとして、自分に納得させることができる。

子ども相手の仕事は、割に合わない。労働時間も長いし、給与面での待遇も実際の労働に見合うものでもない。普通に働くなら、大人相手の仕事の方がよい。

ただ、よい面も多々ある。ただ、それは、結構特殊な人間に対してのみ、よい面である。

上の条件を全部ひっくり返してみると、次のような人は、子ども相手の仕事向きなんだと思う。

①根っからの遊び好きな人、大人的なドライな労働が嫌いな人

②体力面に自信があり、じっとしていることが嫌いな人

③お金ではなく、ただただ子どもを育てることに喜びを見いだせる人

④マニュアルが嫌いで、そのつど臨機応変に創造的に生きたい人

⑤仕事とプライベートがごっちゃになっても気にならない人

⑥…

こう書くと、やはり特殊な人間だけが、子ども相手の仕事に向いている、ということが分かる。普通の人には、耐えられない仕事だとも思う。よほどの変わり者でない限り、子ども相手の仕事は続かない。仕事として続けられるとしても、よい仕事をし続けることは難しいだろう。

ざっくり言えば、24時間、仕事のことを考えられる人、子どものことを考えられる人、仕事に集中できる人だけ、だろう。しかも、賃金のことは度外視して。お金のために働きたいならば、この仕事では割が合わないし、すぐに嫌になるだろう。

教育や福祉といった子ども相手の仕事は、そういう労働である。

そう考えると、この子ども相手の仕事の離職率の高さは、なんとなく納得ができる。利益を求めず、それでいて創造的な人が求められる。そんな変わり者、そうそういるとは思えない。

子ども相手の仕事は、誰にでもできると思ったら大間違い。なかなかできるものではない、そこから出発した方が、色んな意味でよいのかな、と思うに到る。

かなり、向き不向きがあるだろうな、と。

コメント一覧

kei
Unknownさん

コメントありがとうございます。「獲物を獲るより、果実を育てるに近い」という表現は、おお!なるほど、と思いました。分かりやすい比ゆですね。結果ばかりを気にして、そのプロセスを楽しめない人にはとうてい無理ということになりそうですね。同感です。でも、多くの人が「結果」を求めますよね。なので、やはり「変人向き」の仕事なんだと思います。保育って。

Unknownさん

コメントありがとうございます。考えさせられる内容でした。子どもとかかわるという意味では、ピアノの先生も保育に近いお立場かと思われます。教えるのはとても大変だと思います。僕にはできません(;;)。ただ、保育の仕事とは違うかなとは思います(幼稚園教諭には近いと思います)。「音楽って楽しいよ!」というのは、「子どもが楽しいと思っているものに寄り添う」というのとは(価値判断なしで)違うと思います。

根本的に、保育や教育は、子どもが「楽しい」と思うことや子どもが「知りたい」と思うことに、徹底的に(受動的に)寄り添うことを仕事とします。もちろん叱ったり、止めたり、禁止したりと色々すると思いますが、基本は、子どもの世界につき合う仕事です。

ただ、そういう視点から、子どもにピアノを教えている先生もいます。子どもの「予測不可能性」が楽しいとお思いになるのであれば、やはり「変わり者」かもしれませんね(失礼しました)。

子どもにピアノ(あるいは他の楽器)を教えるというのは、また違った難しさがあるように思いますが、、、いかがですかね?!
Unknown
3歳~8歳までの子供にピアノを教えています。音楽が好きで子供が好きだから、とっても楽しいし、ずっと続けたいと思っています。教育とか福祉とかいった難しいものじゃないから、そういうお仕事に携わっている方たちと一緒にしたらいけないんでしょうが・・・。私は子供たちにただ「音楽って楽しいよ!」って伝えたいと思っています。子供たちはいつも予測不可能ですが、それがまた楽しいです。私も変わり者なのかなぁ?
Unknown
この記事に全く同感です。
いわば、変わり者の世界かもしれませんね。

私なりにまとめると、行為=結果としてすぐ求める人は合わないのではと思う時があります。
どちらかというより行為=結果までに至る過程

でしょうか。

原始的に言えば、獲物を獲るより、果実を育てるに近いかもしれません。
短期的よりも長期的に。
結果よりも、課程に重きを置き、失敗を喜べるような人で、しっかり分析できる特異な人でないと、このしごとはやっていけませんね。
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