都内の地下鉄に乗っていたら、こんな看板を見かけました。
とても温かい感じの看板でした。
そこに書いてあるのは、
「おなかの赤ちゃんとママと家族の未来のために」
と書いてあります。
いいことが書いてあるなぁ、って思ってみていたら、、、
その隣というか、その右上の方に、少し小さな文字で、
「新型出生前診断NIPT」
と書いてあるではないですか。
この二つの文字が並んでいることに、少し考え込んでしまいました。
…
新型出生前診断は、出産前に体内の赤ちゃんに障害があるかないかをチェックするものです。
血液検査なので、すぐにチェックができて、しかもその精度も高いと言われています。
なんと、「母親の採血だけで完了する非確定診断のNIPT(新型出生前診断)では、99%以上の確率で検出が可能」だと言われていて、99%以上の確率となっているのです。
新型出生前診断とは、妊娠中に母体から採血をして血液検査をして胎児の染色体異常を調べる検査のことです。前もって染色体異常の有無について知っておくことで、生まれた後に問題となる症状への対応を考えたり、精神的・環境的準備を整えたりすることができます。
妊婦さんの血液中には胎盤から流れてきた胎児の浮遊DNAが存在しています。新型出生前診断はその遺伝子配列を解読することで染色体疾患の有無を調べることができます。この検査は、母体の採血のみでできるので羊水検査や絨毛検査のように流産のリスクがありません。
ここに書いてあるように、「染色体異常の有無」を調べることができます。
新型出生前診断で分かるのは、この染色体異常の有無だということです。
では、染色体異常とは何のことでしょう。
主に染色体数の異常や染色体構造の異常による染色体異常の多くが、標準的な染色体検査で検出できます。米国では、染色体異常は出生児140人に1人程度の割合で生じ、また、第1トリメスター(12週まで[訳注:第1トリメスターは日本の妊娠初期にほぼ相当])に生じる流産の少なくとも半数は染色体異常が原因です。染色体異常のある胎児の多くは出生前に死亡します。生きて生まれた子どもに最も多い染色体異常はダウン症候群です。
ここにあるように、新型出生前診断で分かるのは、おなかの赤ちゃんがダウン症かどうかです。
ダウン症かどうかを、生まれてくる前に知ること自体は、上にもあるように「生まれた後に問題となる症状への対応を考えたり、精神的・環境的準備を整えたりすること」ができるので、悪いことだとは思いません。
出産時に、ダウン症の赤ちゃんだったということが分かるよりは、予め知っていた方が心理的にも負担が少なく、スムーズに育児に集中することができる面はあります。
この診断では、ダウン症を含め、次の先天性疾患の有無が分かると言われています。
●奇形・変形などの形態異常
●21トリソミー(ダウン症候群)
●18トリソミー(エドワーズ症候群)
●13トリソミー(パトウ症候群)
●ターナー症候群
●トリプルX症候群
●クラインフェルター症候群
●ヤコブ症候群
etc
出産を控えた男女にとって、こうした疾患の有無が分かるというのは、「心づもり」という点でもメリットはあるし、出産前に予め必要な知識や物資をそろえておくこともできます。
そういう意味では、「おなかの赤ちゃんとママと家族の未来のために」、出生前診断が行われている、と考えることはできると思います。
…
ですが…
この新型出生前診断の結果、「陽性」と診断された場合、そのおなかの赤ちゃんはどうなっているか、ご存知ですか?!
上に書いてあるように、生まれた後に問題となる症状への対応を考えたり、精神的・環境的準備を整えたりしていると思いますか?
もしあなたが若い夫婦(あるいはカップル)で、自分(あるいはパートナーの)おなかの赤ちゃんに先天性疾患が認められた場合、生まれた後に問題となる症状への対応を考えたり、精神的・環境的準備を整えたりするだけで終わると思いますか? もしその陽性ということが妊娠22週未満の時点で分かり、まだ人工妊娠中絶が可能だったとしたら、どうしますか?!
産みますか? それとも、堕胎しますか?
こうした葛藤もまた、「妊娠葛藤」の一つとなっていて、ドイツでは、この陽性診断を受けた妊婦やそのパートナーは心身葛藤相談を受けることになっています。
では、日本ではどうなっているのでしょうか。少し古いデータになりますが…
NIPT(新型出生前診断)を受ける妊婦さんの数は年々増加傾向にあります。2013年4月から2017年9月までの約4年半でに5万1139人が新型出生前診断を受け、染色体異常である陽性と判定された人は933人。その中の907人が中絶を選択したと報告されています。約97%の人が人工妊娠中絶を選択しているという事がわかります。
陽性と判定された人は、933人。
その中で中絶を選択した人が、907人。
なんと97%以上の人が、「産む」ではなく、「堕胎する」ということを選択しているのです。
驚くべき数値ですが、世界各国のデータを見ると、どこも9割近くの人が「堕胎する」を選択しているようです。中絶可能な期間におなかの赤ちゃんに染色体異常があることを知ってしまうと、ほとんどの人が「産む」ではなく、「中絶」を選択するということが分かってきます。日本では、97%なので、ほぼ中絶が選択されるということになります。
では…
「染色体異常が確認されたから、おなかの赤ちゃんを堕胎する」
というのは、果たして認められるべきものなのでしょうか?!
(ここから先は少し難しい話になります)
これは、倫理的に問題がある、という指摘が多く出されています。
新型出生前診断の倫理的問題として、「命の選別」という議論があります。これまでより精度が上がり検査を受けることが簡単になったことで、出生前診断がより身近なものになり検査をする人が増えました。そして、検査を受ける人が増えるということは、倫理的な問題に直面している人も増えていると言えます。
母体保護法では、母体の健康上、妊娠の継続または分娩が困難な場合もしくは経済上の理由がある場合のみに人工妊娠中絶は認められます。胎児の障害や疾患を理由とする人工妊娠中絶は認められていません。しかし、実際には重篤な障害を抱えた子どもを産む場合、健康上あるいは経済上分娩が困難であると判断され人工妊娠中絶が実施されているのです。
新型出生前診断は、おなかの赤ちゃんがダウン症かどうかを診断します。
ダウン症かどうかを知ること自体は、親の知る権利という観点からも問題はないと思います。
ですが、「おなかの赤ちゃんがダウン症だったから」という理由で、人工妊娠中絶を行うこと(つまりおなかの赤ちゃんをおろすこと)は、許されてよいのでしょうか?
それは、「命の選択」の問題になります。
日本では、その赤ちゃんを産むことによる妊婦の身体的なリスクが認められる場合と、その赤ちゃんを育てるために必要なお金をどうしても出すことができない場合にのみ、人工妊娠中絶は(「例外」として)容認されています。それに加えて、性犯罪に巻き込まれた場合(つまりレイプ等による妊娠の場合)にも、認められています。ですが、日本でも、その例外を除いて原則的には人工妊娠中絶は認められていないのです。
新型出生前診断で陽性が出たからという理由で人工妊娠中絶を行うことは、法律的に認められないはずなのです(ただ、法の方にも問題があり、「経済的理由」という漠然とした理由の中に無理やり入れこむことはできてしまうのです)。
***
そんなことがあるので、この記事の冒頭の看板を見た時に、あれこれ考えてしまいました。
看板には、「おなかの赤ちゃんとママと家族の未来のために」と書いてあります。
でも、そのすぐ隣には、「新型出生前診断」と書かれていて、「うーん、なんだかなぁ…」とやるせない気持ちになりました。
診断によって「知ること」であれば、家族みんなの未来のためになります。
ですが、診断によって「堕胎すること」であれば、それは未来を壊すことになります。ダウン症の胎児なのだから、中絶してもいいだろう(中絶しても仕方がない)と思うこと自体が、「優生思想」となります。
ダウン症のところと中絶というところを別の言葉に言い換えると、どうでしょうか。
「子どもだから、殴ったり叩いたり怒鳴ったりしてもよい(殴られても叩かれても仕方ない)」
「外国人だから、嫌悪しても排除してもよい(嫌悪されても排除されても仕方ない)」
「精神病者だから、強制入院しても身体拘束してもかまわない(強制入院も身体拘束も仕方ない)」
「高齢者だから、虐待してもどんなに貧困でもかまわない(虐待も貧困も仕方ない)」
「風俗の女だから、もてあそんでもどんなに痛みを加えてもかまわない(その女が悪い)」
こうした考えは、かつてのドイツ人たちが強烈に思いこんだ「ユダヤ人だから、強制労働させられても、ガス室で殺されてもかまわない(ユダヤ人だから仕方がない)」、と思ったあの思想と重なりませんか?
「○○だから、××されても仕方ない」というレトリックを人間に当てはめること自体が、「命の選別」につながっていくのです。
そんなことをこの看板を見ながら、考えました。
香山さんも書いていますね。
マンガにもなっていますね。
選択的中絶という言葉もあります。
命の選別の問題は重たい問題です。
いのちを選ぶ社会でいいのかどうか…、と。