Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

新時代のラーメン批評③-それでも「言葉」でラーメンを語る意味はあるのか?!

今年の初めころに書いていた新シリーズ。

新時代のラーメン批評

の第三話です。

新時代のラーメン批評②はこちら

今回は、最近思うことを綴ってみたいと思います。

最近、Instagramを見ると、美味しそうなラーメンの動画がいっぱい出てくるんです

おそらくは自動で関連するものとして選ばれたものだと思いますが、とにかくいっぱい出てきます。

しかも、その動画がすごく綺麗で凝ってて、「うわ~💓」って思ってしまいます。

次から次に、そういう動画を見せつけられるたびに、思うんです。

「もう、言葉でラーメンを語る時代ではないのだろうか…」

って。

インスタに流れてくる動画を見ると、文字を武器とするブロガーとしては、結構ショックでして。

「こんな美味しそうな動画があったら、ブログなんて誰も見なくなるよな…」

「言葉でラーメンを説明するより、より直感的で、より官能的で、『食べたい!』っていう欲望を喚起するよなぁ」

って思うんです。

動画のクオリティーも高くて、ヴィジュアル的なインパクトも凄いんです。

ブロガーを続けている僕でさえ、そう感じるんですから、、、

もう、言葉でラーメンを説明したり解説したりする時代じゃないのかな?!って。

これは、ブログの閲覧数からも言えるかなと思います。

先日、らんちばさんと話をしていて、

「最近、ブログの閲覧数、全然増えないね」っていう話題になりました。

このブログも、日々365日ほぼ更新しているんですが、閲覧数って横ばいか、長いスパンで見ると、少なくなってきているんです。

その原因?として、google検索にブログが引っ掛からなくなってきているからというもあるし、そもそも、google検索さえしない人が増えてきているからというのもあると思います。

が、何よりも、「ブログを読む」というカルチャーがなくなってきたんだろうなって、思わざるを得ないんです。

ブログって、個人的なもので、自動的に誰かのところに届くことはありません。「ブログを読もう」と思ってもらって、わざわざ来てもらわなければ、見てもらえないんです。

他の(ブログ以後の)SNSは、そのアプリを開けば、自動的にたくさんの記事や写真や動画がタイムライン上に流れてきます。これを追うだけで、なんというか、「お腹一杯」になれるんですよね。

かつてみたいに、「お気に入り登録」をして、そのお気に入りの中から、特定のブログに飛ぶ、ということも、今の人たちはしなくなったようにも思います。

これもまた、時代の変化、なんだと思います。

と同時に、鮮やかで綺麗な動画をみるにつけ、

もう、書き言葉でラーメンを語っても、誰にも響かないのかな

って、思い、寂しい気分になります。

ブログの記事を一つ書くのに、だいたい2時間~3時間くらいかかります(画像の選別、画像の加工、記事の執筆、編集、校正などを含めて)。

これを毎日やっているんですね。(僕だけじゃなくてね)

その労力も、「見てくれて、読んでくれる人がいる」ということが支えになってきたわけです。

そして、紹介したお店に、少しでも新しい人が食べにいってくれたら、嬉しいなぁって思って。

インフルエンサーのように、どっと人が押し寄せるようなことがなくてもいい。ブログを見てくれた人が、「あ、美味しそうだな、よさそうだな、ちょっと行ってみるか」って思ってくれたら、それだけで嬉しかったんですね。

でも、もう、それも、結構「限界」を感じてて…。

ブログでラーメン記事を書くことの意味は、まだあるのだろうか。2時間~3時間かけて、毎日これを続けていて、何か意味があるのだろうか。お店に何か貢献はできているのだろうか。…

そんなことを考えるようになりました。2023年の夏あたりからはわりと真剣に。

「もう、ラーメンの記事を書くのはやめようか」

って、何度も何度も思いました。

唯一、らんちばさんのブログだけが、僕にとっての「励み」でした。

「らんちばさんもまだ毎日頑張って更新しているんだ。だから、僕も頑張ろう」って。

それ以上の「理由」らしい「理由」もなくなってきたなぁって…。

(ま、でも、アクセス数とかはもう全然気にしてないので、いいんですけど…💦)

僕が憧れていたり大好きだったラーメン評論家の人たちも、発信しなくなりました。

石神師匠(と呼んでましたね)も、今は全くラーメンの情報発信をしなくなりました(しているのかもしれないけど、僕には分かりません…)。

同世代?の石山さんも、ほとんど姿を見なくなりましたし、先輩?にあたるはんつさんも、(某女性店主さんとの騒動もあり)あまり見かけなくなりました(SNSでは日々拝見していますけど!)。

このことも、わりとブロガーとしては、ダメージになっている気もします。

石神本も全く出なくなり、「選び抜かれたラーメンの情報誌」もなくなりました。

ラーメン本は出てなくはないですが、なんか、フリークにはぴんとこない内容のものが多くて。

ラーメン評論家不在のラーメン業界になってしまったんですね。

その一方で、「ラーメンYouTuber」や「ラーメンインフルエンサー」が大活躍していますね。

媒体としては、YouTube、Instagram、TikTokなどなど。。。

これらはどれも「動画ベース」のSNSになっていて、言葉は最小限で、動画メインになっています。

文章から動画へ

というコペルニクス的転回が完了したんだろうなって思います。

動画にももちろん「文字」は入っていますが、最小限の量に留まっています。

これは「いい」「悪い」の問題ではないんです。

事実として、そうなってしまっている、って。

しかも、SNSの時代、動画クリエイターの時代で、「ラーメン店主さん」「ラーメン店経営者」の発言(動画)も本当に増えました。

柏王道家の清水さんを筆頭に、たくさんのラーメン店主さんが、自身のチャンネルをもったり、インフルエンサーと呼ばれる人のチャンネルとコラボをしたりと、とっても賑わっています。

最近だと、「鈴の木」の店主さんのように、ネットで自身を「キャラ化」して、多くのインフルエンサーたちとコラボをして、自身のお店の話題を自ら作ったりしていますよね。

食べ手としては、SUSURU君を代表に、動画クリエイター(あるいは動画でラーメンの情報発信をする人)がいっぱい出てきて、ますます「写真と文字」でていねいに情報発信するブロガーの役割が見いだせなくなっています。

しかも、影響力のある動画クリエイターではあっても、そこまでラーメンに詳しい(しっかり食べ歩く)人ではない、というのもまた問題を複雑にしています。「どれだけ深みのあるラーメンレポか」ではなく、「どれだけ面白くて可笑しい動画か」で、人気のあるなしが決まってきているんです。

また、写真と文字での情報発信も、ツイッターやインスタなどでフォロアーをいっぱい得ている人の情報が強くなっていて、そこにブロガーが入り込む余地もなかなかありません。(そういう人の情報が自動的に多くのスマホ画面に表示される時代になっています)

同時に、情報を求めている人自身も、情報過多になっていて、わざわざ情報を探す必要もなくなっています。「ラーメン情報を得たい」という欲望は消えてなくなり、むしろ、膨大な情報の量に溺れそうになっている気もします。

あのお店にも行かなきゃ。あのお店にも行きたい。あそこに新店がまたできた。あの新店にまだ行ってない、…って。

そうなると、わざわざ、情報を求めて、特定のブログに自分からアクセスしようなんては思わなくなりますよね。

しかも、「ラーメン批評」となると、さらに面倒くさいことになっています。

例えば、Google map。

Google mapの口コミって、すごく批判的、というか、クリティカルなんです。

僕が実際にラーメン店に行って、「ここはダメだなぁ」って思うところが、ほぼ全部Google mapには記されていたりするんです。ブログの記事に書けないようなことも、Google mapには、遠慮も配慮もなく記載されているんです。

中には、悪意のあるものもなくはないですが、それを除外しても、かなりクリティカルで批判的なコメントって、わりとどのお店にも書き込まれているんですね。(匿名性が強いから、というのもあるかと思います)

そうすると、ブログでやんわりと批判したくらいじゃ、なんの説得力もなくなるんですね。

もっとストレートでリアルな批判や批評が、Google mapに、それこそ読めないくらいにアップされているんですから。

Google map以外の「食べログ」や「ぐるなび」もまだ根強く残っているし、そこでのコメントもかなりクリティカルな批評になっていたりもします。

そんな今の時代に、ブログでラーメンの記事を書く意味って、いったいどこにあるんでしょう?

その答えを、今の僕にはまだ見いだせていません。

なんとなくの習慣というか、慣例というか、そういう感じになってしまっています。

それに、もう19年近く、毎日のようにラーメン記事を書いていると、ワンパターンになってしまいますし、よほどのことがない限り、感動したり、衝撃を受けたりはしなくなります。

感動も衝撃もないレポートを読んでも、読み手の方は面白くないですからね…💦

じゃ、どうしていけばいいのか。

これは、2024年以降の自分の「課題」にしたいと思います。

ポストブログ時代の今、ブロガーとして何ができるのか。

どうラーメンを語り、どうラーメンを批評していけばよいのか。

引き続き、問い続けていきたいと思います。

(受けないのは分かっているけど、そのお店がどんな地域にあり、どんな店主さんがいて、どんなお客さんがいて、どんなメニューがあって、どんな作り方をしていて、どんな味になっていて、どんな魅了があって、どんな意義や価値があって…っていう話は、やっぱりきちんと日々食べ歩きと聞き込み?をしている人にしか書けませんよね。ただ、そういう情報を誰も求めていないとしたら、やっぱり意味はなくなってしまうのかな?)

早いもので、今年もあと2週間あまり。

今年は今年で、ホント素敵なラーメンにいっぱい出会えました。

(ただ、バズるようなお店や話題のお店にはほとんど行ってませんし、行ったとしても、そういうお店を持ち上げるようなことも、話題にするようなこともいたしません)

頻度は多くないにせよ、感動も衝撃も衝動もいっぱいあるにはありました。

それをどう言葉で伝えていくか。どういう言葉で書き綴っていくか。

それを問いながら、これからも頑張って記事を書き続けていきたいなって思います!

一部の騒がしいお店をできるだけ退けて、メディアやネットでは決して騒がれない、でも、いい仕事をしているお店の存在に光を当てるために。

2015年に刊行された僕のラーメン本です。

そろそろ、この第二弾?も書きたいなぁって思ってきました。

次は、ガチンコの「ラーメン研究」の本にしたいなぁ、、、って思ったり…。

コメント一覧

るだお
華鈴のレポートありがとうございます
るだお
華鈴のレポートお願いします
定点観測者
乗っかりで申し訳ありません。
イチバさんの投稿を見て、ブログが流行りだした当初「これはオンライン日記帳だ」と言うような評価があったことを思い出しました。
今年何件食べたか、ってをSNSにあげてるのはその名残でしょうね。
日記という観点から考えると、このブログはkei先生のこれまでの活動の記録であり、遠い未来思い出を振り返る時に残すべきデータだと思います。
(そういう観点から考えると、Twitterは感情の記録でしょうか…)
記憶は消えてしまいますが、記録は残ります。是非継続してください。
マッスルイチバ
色々と考えさせられる内容でした、、、。これはイチバの独自の考えですが、イチバがブログを書いていた時は「記録」でした。多分、ブロガーさんの多くはそんな方が多いのかなと思います。ブログを書く事で食べた杯数や記憶の積み重ねを目に見える形にしたかったんです。そして、読者と言う形でその積み重ねを外側から見てくれる人が共感して来れたり、食べ歩きの攻略本代わりにしてくれたり。今はそんなアナログなやり取りではなく、「美味い店の情報」「有名な店の情報」だけを表面だけ知りたい方が多いのかなと思います。逆に言うと、表面的な情報を出していれば一定の需要は満たされるのかな、、、と。でも、FMでKeiさんと話して思った事があるんです。「これぐらい考えて食べまくらないと面白い話って出来ないんだな」と感じました。ブログもFMも言葉がメインで色々な事を伝えなければならず、しかもラーメンと言う「味」「感じ方」と言ったぼやけた物を他人に伝えるのは、その頭で食べ歩かないと無理なんだよなと思います。表面的な情報は失礼な話、今の時代誰でも出せる気がします。それだけに、情報を求める方も使い捨てとして扱う気がします。長い間書いてきたブログを見てきた読者は多分ですが、考え方や感性も育まれると思います。それだけでもブログは価値ある物じゃないかなとイチバは思います。長々とまとまらない文章すみません💦
頑張って続けて下さい。
sehensucht
定点観測者さん

コメントありがとうございます! 「直感的にわかるものが要求されている」というのはよく分かります。

大卒者は増えているけど、直感的なものが求められている、ってなんだか、悲しいですけど、、、

味と雰囲気をきちんと言葉で伝える、これが僕にできる唯一のことかな、って思いました。ありがとうございます! 
定点観測者
情報過多の時代、直感的にわかるものが要求されていることも一因だと思います。
画像の方が文章を読み解くより時間かかりませんしね。

ただ、SNSやブログで表現出来ない「味」や「雰囲気」については、文字制限があるSNSよりブログの方が有利ではないか、と思っています。
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