不定期連載【恋愛交差点】その17
前回は「恋の終わりに考えたいこと」について書きました。
今回はその反対、「恋が始まる頃」に光を当ててみたいと思います。
最近、若い子たちと話していると、男子も女子もとても恋愛に消極的というか、控えめというか、積極的じゃないなぁって感じます。
僕が若かった頃は、もう毎日のように「恋の歌」を聴いて、恋のことばかりを考えていました(苦笑)。もちろん色んなことを考えていたとは思いますが、何よりも「恋」について考えていたなぁって思います。
僕らの時代(80年代~90年代)は、もうホント「恋の歌」が溢れていました。甘くて切なくておしゃれでロマンティックでメランコリックな歌がい~~っぱい巷で流れていました。
少年隊の大ファンだった僕は、こういう曲を聴いて、小学生~中学生になっていきました。(歌詞の深い意味は分からず、ただなんとなく、、、苦笑)
中学生の頃になると、「恋愛本」を読むようになりました。恋愛を極めるために、勉強をしたいって思ったのだと思います。「恋って何だろう?」「どうしたら恋人ができるんだろう」「どうやって恋愛をするんだろう」「どうしたら相手の心をつかめるんだろう」…って。
初めて「告白」したのは、中学2年生の時でした(n*´ω`*n)
どうやって告白したらいいのか分からなかったので、とりあえず「ラブレター」(死語?!)を書いて、当時死ぬほど大好きだったAちゃんに渡しました。
その結果は、…
見事に玉砕しました(苦笑)。
その時にもらった返事のお手紙は今も実家で大切に保存されています✨
中を見ることはありませんが、ずっと実家に残しておきたいなって思っています。(「わ、気持ち悪い」って言うな!!苦笑)
…
高校生の年齢になったすぐ後、念願の、悲願の「はじめての恋人」ができました。
二つ年上のNちゃんでした。
しかも、すごくかわいくて美人さんで、すごくすごく性格のよい恋人でした。まわりからは、「どうしてお前が?!」って言われましたし、その彼女も、「どうしてあんなのがいいの?」と言われたそうです(苦笑)
僕もどうして付き合うことになったのか、よく分かりませんでした。
が、付き合うことになりました。
告白した時のこと、そして「いいよ」と言われた時のことは今でもはっきりと覚えています。千葉駅のホームでした(苦笑)。その瞬間、僕はもう異世界に飛んでいった記憶があります。
会うたびに、「この人が僕の恋人なんだ!?」って驚いていました。とても明るくて元気で優しくて好奇心旺盛で、あと文才もあって、会うたびに、手紙の交換をしていました。交換日記じゃなくて、毎回手紙を書いてくれて、僕も頑張って手紙を書いていました。
今はなき千葉のセンプラ(セントラルプラザ)やパルコによく行ってました。(全日制高校には行ってないのであれですが)高校生の僕にとっては「千葉駅周辺」が都会の中心でした。その世界はキラキラとしていて、眩しくて、華やかで、綺麗でした。
その初めての恋愛は2年弱で終わってしまいましたが、40代半ばの今でも本当に本当にいい思い出になっています。
今でも、「Nちゃんはどこでどうしているのかな?」ってふと思います。
もう会うことはないのかもしれないけど、ぶっちゃけ彼女の実家の近くに今住んでいるんですよね(苦笑)。
もうお互い、いい中年だし、いつか会えたら嬉しいなぁ…って秘かに思っています。まぁ、もうこの年齢だし、何も変なことも起こらないでしょうからね(苦笑)。
…
って、読み手にはどうでもいい話を書きましたが、、、
これが僕の「恋の始まった頃」のお話です。
今の若い子たちの話を色々聴いていると、そういうロマンティックな恋愛の話があんまりないなぁって思うんです。僕が聴いてないだけかもしれないけど、実際、「恋をしたことがない」「付き合ったことはあるけど、好きという実感をもったことがない」「恋人がいたことがない」「そんなに彼氏・彼女が欲しいと思わない」って言うんですよね。
恋に恋してないというかなんというか、、、
今日、ゼミで恋の話になり、門限の話になり、GPSの話になり、、、
イマドキの女子たちがなかなか恋愛しにくい環境の話へと発展していきました。
その時に思い浮かんだのが、、、
この動画の一曲目の「恋をとめないで」でした。
スマホ時代なので、学生たちにこの曲を聴いてもらいました。
「いまを正直に恋をしようよ」
この曲を今の若い子たちがどう聴いたかは分かりませんが、誰かを好きになったり、誰かに恋をしたり、なかなかその恋がうまくいかなかったり、またこの歌詞のように「お嬢さん」だったり、親の管理が厳しかったり、、、
そういう恋に恋するエネルギーをもっともっと若い子たちに届けることも、大事なのでは?!と思う自分が生まれてきました。
もちろんこの恋愛交差点シリーズで散々書いてきましたが、そうした恋愛の先には、性があり、その先には妊娠があります。でも、ちゃんと「性」のことを勉強して、「妊娠」のことも考えて、でも、若者らしく「恋」を経験してほしいなって、思うんです。
…
若い時の恋の思い出は、中年以降の「人生」の支えにもなるんです。
中年になると、痛みや苦しみ、病や死のことばかりを考えるようになります。「死にたい」とかじゃないです。いつガンや脳梗塞や心不全になるかと怯えながら生きるんです。僕もこの数年、「いつガンの告知を受けるんだろう」って思いながら生きています。「いつ死ぬんだろう」って考えちゃうんです。「死にたい」じゃないんです。
いつも身体のどこかが痛いんです。僕には尿管結石の持病?があって、次の石がいつまた出てくるのかと怯えて生きてもいます。
そんな枯れ果てて疲れ切った僕でも「ずっと昔、いいこともあったんだ」って励みになるのが、その当時の恋愛経験です。「今はこんな僕でも、かつてそんな僕を純粋に好きになってくれる人がいたんだ」って。だから、この苦しみしかない40代をかろうじて(絶望せずに)生きていけるんです。大げさに書いてますが、ホントそうなんです。
「こんな僕でも、かつて愛してくれる人がいた」
「こんな私でも、ホンキで愛してくれた人がいた」
そういう経験が、将来の「あなた」の支えになるんです。
この曲の歌詞の中に、こんなフレーズがあります。
「その昔 愛した女 その昔 愛されたこと ほんの少し思い出せるなら それだけでいいのさ」
「女」を「男」に変えてもいいと思います。
かつて愛してたこと、かつて愛されてたこと、それがみんなの未来の自分の支えになるんです。
…
なんでこんなことを書いたかというと、、、
バブルがはじけて、日本社会がどんどん暗闇に包まれていって、どんどん国力が落ちていって、未来の希望が全く描けないところまで来てしまい、その結果、「恋愛」の輝きがすっかり消えてしまったのではないか?、と思ったからです。
今、巷で流れている日本語の曲を聴く限り、「恋の謳歌」を唄う曲がほとんどないなって思うんです。それどころか、「恋の歌」が禁じられているんじゃないか?!って。
素直に誰かを好きになって、おかしくなって、もがいて、七転八倒するような曲がないことで、今の若い子たちに「恋愛の希望」が見えてこないのでは!?、とも考えてしまいます。
多分、今も「性」「性欲」「性行為」としてのセクシャリティーは蠢いていると思います。でも、その「性」を超えた「純粋に恋すること(プラトニックラブ)」については、もう誰も語らなくなっている、というか…。
だからこそ、プラトニック=プラトン主義的な恋愛理想主義をもっともっと語っていかなきゃいけないんじゃないかな、と。究極の純粋な恋の経験を語り、その恋の美しさや儚さを語っていかなきゃって。
それがないからこそ、実は「非婚化」や「少子化」が止まらないのではないか、とも思うんです。
僕ら大人は、若い人たちに(性行為が妊娠に直結することを示しつつも)「恋することの尊さ」や「誰かを死ぬほど愛すること」の意味を示していく責任があるのではないでしょうか?!?!
自戒の意味も込めて、書いてみました。
fin.
「目と目で通じ合う そうゆう仲になりたいわ」、…そんなことは実際には無理なんだけど、でも、それに憧れる気持ちこそが、プラトン的な理想主義の一つのモデルかな?!って。10代の僕はホンキでそういう恋仲に憧れてたもん…(苦笑)
PS
この記事の冒頭の画像は「東京駅」です。東京駅周辺には、ロマンティックな恋を楽しめるスポットがい~っぱいあるんです! デートで是非「東京駅エリア」に行ってみてくださいね😻
この本は僕のバイブルです💓