●毎週金曜日に行われている「NO MORE FUKUSHIMA」の反原発デモについての報道に疑問を感じる。
●70年代以降、すっかり大人しくなっていた民衆(という言い方は好きじゃないけど、市民という言葉も嫌いなので、そう言っておく)が、今、ホンキで、国の政策にNOを突き付けて、デモを起こしている。武器を使わず、暴力ではなく、民衆の力と言葉の力で、なんとか「原発再稼働」を食い止め、原子力に頼らない新しい政策を求めようとしている。
●だが、この一連のデモに対するメディアの反応は極めて乏しい。今朝の某テレビ番組では、とあるコメンテーター(元官僚的な人)が、「主催者側がデモに参加した人の人数を発表するのはよくない。辞めた方がいい」という、全くわけのわからないコメントをするだけで、中身については完全にスルーだった。また、別の番組では、「海外から欠陥のある原発を買わされただけだ。原発がなくなれば日本の原子力の高度な知識を失うことになる」、と、これまたわけのわからないコメントをするだけだった。メディアは今、このデモという民意に基づく抗議行動をまともに報道できてない。報道はできたとしても、それに対して積極的なコメントはできていない。
●今、まさに、民意か国意かの瀬戸際に来ている。恐らく民意は、紛れもなくNO MORE FUKUSHIMAだろう。だが、国意としては、原発再稼働=原子力開発維持だろう。あるいは、市民としては原発再稼働断固反対、けれど、経済人としては、再稼働やむなしなのだろう。
●戦後日本の民主主義は、「主権在民」に基づく国家を目指して、歩んできた。国民=民衆=市民の意思が、国の政策に反映されることを「理想」としてきた。だが、それは現実には極めて厳しい道のりであるということが、今回の一連の流れからはっきりと理解されるだろう。原子力発電所をなくすことは、とにかく難しいことであり、そこには様々な人間の思惑や利害がからんでおり、単純にダメだから廃止、とはならない、そういう問題なのである。
●戦後民主主義教育は、まさにそうした答え無き問題に立ち向かえる民主的な人間づくりを目指してきた。いわゆる「政治的な問題」をテーマに、議論できる人間づくり、あるいは、自分たちの国や地域を自らの意思で創造できる人間づくりを目指してきたのである。
●その代表が、「山びこ学校」「生活綴り方」で有名な無着成恭(1927-)であろう。彼は、農民の子どもたちに農民でありながら自分たちの生活やその背景を考えられる市民づくりの実践者であった。自ら考える農村の子どもたちを育てたということで、強い話題になった。
●そして、この無着の影響を受けて独自の教育法を築いた大西忠治(1930-1992)もまた、強い民主的な人間を作ろうとした教師の一人だった。彼は、班活動、討議づくりに力を注いだ。自らの意見が言える、集団で意見をつくる、決定するという民主的な学びを「集団づくり教育」ということで展開した。(が、それが、集団重視のあまりに個人の見解が消され、「平等主義」となり、のちの「管理教育」へと続いてしまったところが歴史的に興味深い)
●それからもう一人、「子どもの無限の可能性」「授業の創造」という言葉を世に広め、教師たちから絶大な支持を集めた異端的な斉藤喜博(1911-1981)である。彼もまた、群馬という地域で、いわゆる農村の子どもたちを相手に、真に問える、真に考えられる子どもづくりに尽力した。彼がこだわったのは、芸術的な感性・表現と、授業で徹底的に物事を問う教師の姿勢や学びであった。子どもたちをどこまでも問い詰め、子どもと共に答えを見つけ出していく徹底された対話的な授業だった。
●僕の母の小学校時代の先生から話を聞くことができた。「当時は、斉藤先生は空前絶後の大人気の先生で、私たちみたいな普通の教師にとっては憧れのまた憧れの存在。とてもじゃないけど、手が届かない存在だった。みんなが憧れていた」。
●こうした戦後民主主義教育は、戦前のファシズム教育の強い反省から生まれたものだった。日本のみならず、ドイツにおいても、このファシズム教育を徹底的に疑う教育を模索していた。それが、「アウシュヴィッツ以後の教育」であった。二度とファシズムを出さない、二度と国民・民衆・市民が権力の言いなりにならない教育を作ろうとしていた。二度と、国家による暴力や権力の乱用を認めない、そういう強い意志があった。それは日本もドイツも同様であった。
●二度とアウシュヴィッツの悲劇を繰り返さない=国家権力による民衆の統治を二度と繰り返させない、それが「学校教育」に与えられた最大の使命である、とドイツの哲学者アドルノは考えていた。そのために彼が求めたのは、「自己批判に向かう教育」だった。子ども一人ひとりが自分のあり方を批判的に検討し、何が正しいのかを自分たちで決めるという強い「自律」に向かう教育学だった。
●この戦後民主主義教育の根底にあるものが、カリキュラム批判だったとも思う。なぜカリキュラムを学ぶのか。それは、学校教育の全体が間違った方向に進んでいないかを、常にチェックするという、まさにそのことに尽きると思う。個々の授業も大事だが、その個々の授業を構成する学校全体のプログラム=カリキュラムがどのようになっているのか、それを個々の教員たち一人ひとりが常にチェックし、反省し、批判的に検討する、そういう姿勢が全ての教員に求められている。デューイが求めたように、われわれは「傍観者」であってはならない。その「当事者」として生きなければならない。
●学校教育はともすると、子どもたちに隷属と服従を求める装置になりかねない。それを阻止するためには、常に学校や社会がどうなっているのかを、教師も親も子ども自身も厳しく点検する必要がある。それは、きっと時代を超えたわれわれの大きな責任であろう。とりわけ、大きな視点から物事を見るという態度は、全ての教師や親に求められることだと思う。
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●ゆえに、数日前から話題になっている「いじめ」も、起こってから対応するのではなく、常に想定しながら、最も悲惨な結末(=子どもの自殺や他殺)を生み出さないシステム・空気・状況を作っておかなければならない。いつでも、いじめが起こるという可能性を想定しながら、それが暴走しないようにするためのメカニズムを学校全体で考えておかなければならない。それは、斉藤喜博を心の師とする向山洋一もかつてから主張していたことである。
●何かが起こってから対応するのではなく、常に何かが起こることを想定して、学校教育の全体(カリキュラム)は常に更新されながら、作られなければならないし、批判され続けなければならない。