こんにちは!
今日は、柄にもなく「百人一首」から和泉式部母子
ゆかりの地を紹介します。
それと言うのも、ブロ友さんに俳句を詠まれる方が
居て、偶々小式部が詠んだ歌が紹介されていました。
実は、私が住む地区に「子落(こおとし)」と言う
所があります。
その名の由来が、和泉式部と小式部から来ている
のです。
なぜこのような地名が付いたのでしょうか・・・。
では、ご覧下さい。
*旧バージョンでご覧下さい。
【 和泉式部と小式部ゆかりの地 】 ①
ここは、三隅町子落という地区の近くです。
ご覧のように、「佐々木桜」が有名です。
和泉式部と小式部については、この桜の木の
奥に石碑が建っていて、そこに記されています。
【 和泉式部と小式部ゆかりの地 】 ②
ここに、そのゆかりの石碑があります。
これを読まれると、和泉式部と小式部親子の出来事が
分かります。
簡単に説明しますと、旅の途中、身重だった和泉式部は、
この地で産気づき子供を産み落とします。
誰も知り人が居ないので、橋のたもとに我が子を置いて
九州へと向かいました。
その後、わが子の事が気になり、再びこの地に戻り
子と再会したのでした。
和泉式部は、子を連れ京都へと帰って行きました。
その後、その子は小式部と名付けられました。
なんと言いましょうか、橋のたもとにわが子を置いて
行かねばならい和泉式部の心境は如何ほどだった・・・。
そして、運よく村人に育てられ、母親と再会できたとは・・・。
【 和泉式部と小式部ゆかりの地 】 ③
ここ「子落」近くでは、佐々木桜が三月初めに
咲きます。
和泉式部と小式部ゆかりの地として、有志と
相談し一晩だけの悠久の宴を模様してみました。
このライトアップした桜を見ながら、kさんに
和泉式部と小式部の親子について、一句詠んで
もらいましょうかねェ~。<m(__)m>
「摂取(とりたて)て 捨てぬ盟(ちかい)は ありと聞けど
吾子をみすみの 今日ぞうれしき」
これは、和泉式部が我が子と再会した時の喜びを歌で残したものです。