今回はアマゾンのアフィリエイトなしですが、そのうち取り扱われるでしょうってことで先日、シャイーのベートーベン盤と一緒にタワレコで購入したショスタコの交響曲第11番ニ短調「1905年」をオススメいたします!なんとこのCDを買うまでまったく知らなかったんですが、2011年3月にガンのため急逝したクライツベルクの鬼気迫る熱演ということになると言えるでしょう!
実は中堅指揮者かな!?のセミョン・ビシュコフの弟ということも、ハッキリとは知りませんでしたねー。とはいえ、実は初めてショスタコの11番をCDで買ったのは、ビシュコフ指揮ベルリン・フィル盤でしたが、こちらもレコ芸などの評価が高かったので買い求めた記憶があります。ビシュコフ盤もベルリン・フィルという最高のパートナーを得て素晴らしかったんですが、クライツベルク盤もテンポはややゆっくりですが、ジックリと大曲に取り組んだ指揮者の真骨頂が感じられますね(ちょっと褒めすぎ!?)
名前からしてユダヤ系なので、やはりショスタコに対する思い入れがあるのはよーーく分かります。1905年も第一次ロシア革命を題材にしているので、無抵抗な国民を虐殺する帝政ロシアを描いた第2楽章は、何回聴いても心揺さぶられますね。旧ソ連でもユダヤ人が迫害されていたこととシーンがダブりますよね、そりゃ。ということで、52歳の若さで急逝したクライツベルク氏のご冥福をお祈りするとともに☆☆☆☆の高評価差し上げておきましょう!
HMVのリンクは、こちらからチェック!
2011年3月15日に急逝したクライツベルクのショスタコーヴィチの登場。自身が「会心の出来」と振り返っていた交響曲第11番のライヴです。
サンクト・ペテルブルクに生まれ、指揮者セミョン・ビシュコフの弟でもあるクライツベルクはショスタコーヴィチに対して特別な思い入れをもっていました。特に第11番は、ニューヨーク・フィルのデビュー公演となった演奏会で指揮したもので、その後もフィラデルフィア管などとも共演をしていた特別な作品。モンテカルロ・フィルとどのような演奏を展開しているか期待が高まります。
ショスタコーヴィチの第11番『1905年』は、演奏時間1時間を要する大曲。ロシア革命前夜を描いた映画的音楽で、ショスタコーヴィチの驚くべき描写力が発揮されています。「血の日曜日」の民衆虐殺の場面をはじめ、全体に指揮者の能力が試される難曲。不気味な事件を予感させるようなおどろおどろしい第1楽章は実にリアルに響き、第2楽章の射撃のシーンは痛々しいほど。終楽章の激しさは圧巻です。
クライツベルク自身が「会心の出来」と振り返ったのも納得の、各楽器のバランスの采配が実に見事な、稀有な名演となっています。
【収録トラック】
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番ト短調 op.103『1905年』ヤコフ・クライツベルク指揮、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団、録音時期:2010年1月25-26日
【ヤコブ・クライツベルク】
ヤコブ・クライツベルクは1959年10月24日、レニングラードに生まれたロシア人で、兄は同じく指揮者のセミョン・ビシュコフ。5歳からピアノを始めたクライツベルクは、やがて高名なイリヤ・ムーシンに師事して指揮を学びますが、1976年、17歳の年にアメリカに移住、タングルウッドでバーンスタインやラインスドルフ、小澤征爾らに学び、その後、ティルソン・トーマスのアシスタントを務めています。プロとしての最初のキャリアは、ドイツのクレーフェルト・メンヘングラートバッハ合同劇場での音楽監督で、期間は1988年から1994年まででした。1994年から2001年までは、ベルリン・コーミッシェ・オーパーの音楽監督として活躍。有名な演出家、ハリー・クプファーと協力して数々の話題作を上演して注目を集めます。
その間、1995年から2000年にかけてはボーンマス交響楽団の首席指揮者も兼任し、さらにベルリン・フィルやバイエルン放送響、コンセルトヘボウ管、ニューヨーク・フィル、ボストン響にもデビューするなど、着々と声望を高めてゆき、ウィーン交響楽団の首席客演指揮者にも任命。2003年には、2011年までの契約でオランダ・フィルとオランダ室内管弦楽団の首席指揮者に就任し、2009年にはモンテ・カルロ・フィルの首席指揮者にも就任。
クライツベルクは、2011年3月15日にモンテカルロの病院でガンのため亡くなりますが、その少し前まで順調な活動を展開しており、最後のコンサートは、2011年2月14日にアムステルダムで開催されたオランダ・フィルを指揮した公演で、『シェエラザード』と『ルスランとリュドミラ』序曲、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番というプログラムでした。
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実は中堅指揮者かな!?のセミョン・ビシュコフの弟ということも、ハッキリとは知りませんでしたねー。とはいえ、実は初めてショスタコの11番をCDで買ったのは、ビシュコフ指揮ベルリン・フィル盤でしたが、こちらもレコ芸などの評価が高かったので買い求めた記憶があります。ビシュコフ盤もベルリン・フィルという最高のパートナーを得て素晴らしかったんですが、クライツベルク盤もテンポはややゆっくりですが、ジックリと大曲に取り組んだ指揮者の真骨頂が感じられますね(ちょっと褒めすぎ!?)
名前からしてユダヤ系なので、やはりショスタコに対する思い入れがあるのはよーーく分かります。1905年も第一次ロシア革命を題材にしているので、無抵抗な国民を虐殺する帝政ロシアを描いた第2楽章は、何回聴いても心揺さぶられますね。旧ソ連でもユダヤ人が迫害されていたこととシーンがダブりますよね、そりゃ。ということで、52歳の若さで急逝したクライツベルク氏のご冥福をお祈りするとともに☆☆☆☆の高評価差し上げておきましょう!
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2011年3月15日に急逝したクライツベルクのショスタコーヴィチの登場。自身が「会心の出来」と振り返っていた交響曲第11番のライヴです。
サンクト・ペテルブルクに生まれ、指揮者セミョン・ビシュコフの弟でもあるクライツベルクはショスタコーヴィチに対して特別な思い入れをもっていました。特に第11番は、ニューヨーク・フィルのデビュー公演となった演奏会で指揮したもので、その後もフィラデルフィア管などとも共演をしていた特別な作品。モンテカルロ・フィルとどのような演奏を展開しているか期待が高まります。
ショスタコーヴィチの第11番『1905年』は、演奏時間1時間を要する大曲。ロシア革命前夜を描いた映画的音楽で、ショスタコーヴィチの驚くべき描写力が発揮されています。「血の日曜日」の民衆虐殺の場面をはじめ、全体に指揮者の能力が試される難曲。不気味な事件を予感させるようなおどろおどろしい第1楽章は実にリアルに響き、第2楽章の射撃のシーンは痛々しいほど。終楽章の激しさは圧巻です。
クライツベルク自身が「会心の出来」と振り返ったのも納得の、各楽器のバランスの采配が実に見事な、稀有な名演となっています。
【収録トラック】
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番ト短調 op.103『1905年』ヤコフ・クライツベルク指揮、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団、録音時期:2010年1月25-26日
【ヤコブ・クライツベルク】
ヤコブ・クライツベルクは1959年10月24日、レニングラードに生まれたロシア人で、兄は同じく指揮者のセミョン・ビシュコフ。5歳からピアノを始めたクライツベルクは、やがて高名なイリヤ・ムーシンに師事して指揮を学びますが、1976年、17歳の年にアメリカに移住、タングルウッドでバーンスタインやラインスドルフ、小澤征爾らに学び、その後、ティルソン・トーマスのアシスタントを務めています。プロとしての最初のキャリアは、ドイツのクレーフェルト・メンヘングラートバッハ合同劇場での音楽監督で、期間は1988年から1994年まででした。1994年から2001年までは、ベルリン・コーミッシェ・オーパーの音楽監督として活躍。有名な演出家、ハリー・クプファーと協力して数々の話題作を上演して注目を集めます。
その間、1995年から2000年にかけてはボーンマス交響楽団の首席指揮者も兼任し、さらにベルリン・フィルやバイエルン放送響、コンセルトヘボウ管、ニューヨーク・フィル、ボストン響にもデビューするなど、着々と声望を高めてゆき、ウィーン交響楽団の首席客演指揮者にも任命。2003年には、2011年までの契約でオランダ・フィルとオランダ室内管弦楽団の首席指揮者に就任し、2009年にはモンテ・カルロ・フィルの首席指揮者にも就任。
クライツベルクは、2011年3月15日にモンテカルロの病院でガンのため亡くなりますが、その少し前まで順調な活動を展開しており、最後のコンサートは、2011年2月14日にアムステルダムで開催されたオランダ・フィルを指揮した公演で、『シェエラザード』と『ルスランとリュドミラ』序曲、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番というプログラムでした。
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