2020年12月3日(水) 祈り会
聖書:詩編 145:1〜13(新共同訳)
145篇には最初に「アルファベットによる詩」とあります。アルファベットというのは、表記にローマ字を用いる言語の文字の一覧を表すものです。日本語で言えば「五十音」「あいうえお」または「いろは」に当たるものです。
アルファベットという言い方は、ギリシャ語に由来するもので、ギリシャ語の最初の文字がアルファ α 、二文字目がベータ β で、ギリシャ語の文字一覧を表すのにアルファベータと言われていたのが変化してアルファベットとなったようです。
アルファベットによる詩というのは、ヘブライ語の文字を一文字ずつ文頭に使っていくもので、言葉遊びの要素を入れて覚えやすくしたのかもしれません。アルファベットの詩でおそらく一番有名なのが119篇です。最も長い詩篇ですが、8節ごとにヘブライ語のアルファベットが順番に文頭に出てきます。
ヘブライ文字は、ローマ字とは全く違う文字ですから、ヘブライ語の文字表記を表すのにアルファベットという言い方をするのかについてはよく知りません。ヘブライ語の最初の文字はアーレフ、二番目の文字はベートなので、ギリシャ語のアルファ・ベータと音は似ています。ちなみに「アルファベットによる詩」という表記は注のようなもので、本文にはありません。ちなみに「アルファベットによる詩」は全部で8篇あります。
145篇は1節ずつ、文頭がアルファベット順になっています。ただ原文(マソラ本文)には、ヘブライ文字のヌン、アルファベットのNに当たる文章がありません。ギリシャ語訳(七十人訳)やシリア語訳(ペシッタ)、死海写本はヌンで始まる文章を挿入して、アルファベットが全部揃うようにしているようです。
さて本文ですが、詩人は神を讃えます。表題に「賛美」とあるのは、この145篇だけです。「賛歌」は数多くありますが、「賛美(テフィリーム)」は145篇だけです。
1~2節「わたしの王、神よ、あなたをあがめ/世々限りなく御名をたたえます。/絶えることなくあなたをたたえ/世々限りなく御名を賛美します。」詩人は神と向かい合い、全身全霊で讃美します。
3節「大いなる主、限りなく賛美される主/大いなる御業は究めることもできません」と詩人自身が言っているように、神を語り尽くすこと、讃美し尽くすことはできません。どれほど言葉を尽くしても、完全に神を語ったとはなりません。
詩人が讃美するのは、人々が神を証しし、宣べ伝えるためです。4節「人々が、代々に御業をほめたたえ/力強い御業を告げ知らせますように。」6節「人々が恐るべき御力について語りますように。」7節「人々が深い御恵みを語り継いで記念とし/救いの御業を喜び歌いますように。」10~11節「主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し/あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ/あなたの主権の栄光を告げ/力強い御業について語りますように。」12節「その力強い御業と栄光を/主権の輝きを、人の子らに示しますように。」
神はご自身の民に、神を証しする務めを託されます。ローマ 10:14~15「宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。・・良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか。」神はその民と、救いを共有し、喜びに与らせてくださいます。
だから詩人は5節「あなたの輝き、栄光と威光/驚くべき御業の数々をわたしは歌います。」神を証しし、宣べ伝えるのに、讃美は最もふさわしい、と言っても過言ではありません。礼拝で神の言葉を語るのは、務めに召された限られた人ですが、祈ること、讃美することは、すべての神の民に恵みとして与えられています。そして神は、祈る民、讃美する民を用いてご自分を証ししてくださいます。詩編 102:19「主を賛美するために民は創造された」のです。
詩人は神を知って欲しいのです。この喜ばしい神を知らずに生きるなどということにならないでほしいと願っているのです。8~9節「主は恵みに富み、憐れみ深く/忍耐強く、慈しみに満ちておられます。/主はすべてのものに恵みを与え/造られたすべてのものを憐れんでくださいます。」このような神がおられるのに、神を知らずに生きるなんて、と詩人は感じています。だから詩人は6節後半「大きな御業をわたしは数え上げます。」わたしたちは聖書に記された神の民の歩み(救済史)においても、個人の信仰の歩みにおいても、神の御業を覚えて讃美するのです。
詩人は願います。12~13節「その力強い御業と栄光を/主権の輝きを、人の子らに示しますように。/あなたの主権はとこしえの主権/あなたの統治は代々に。」神を知った者たち、神の御業を経験した者たちが、神を証しすることを願います。そして神を知ったとき、神がわたしたちの主であってくださることの幸いを思い、主の主権が明らかにされていくことを願います。神を知った者たちが、神と共に歩み、神のご支配・神の国に生きること、主の主権が明らかになり、神の国が代々に続いていくことを願います。
キリスト教会は、キリストが主であることを世に証しするために建てられています。
わたしたちも神を讃美しつつ歩みましょう。わたしたち罪人の救いを願ってくださる神の御心が成るように、神の国が到来するように願って、讃美しつつ神の御業を、神ご自身を語り継ぎ、告げ知らせていきましょう。
ハレルヤ
父なる神さま
詩人の喜びをわたしたちにもお与えください。あなたにある喜びでわたしたちを満たしてください。わたしたちの口に讃美の歌声を与えてください。わたしたちがあなたの御業を宣べ伝え、あなたを証ししていくことができますように。どうかこの時、あなたが御子を遣わしてくださった恵みを多くの人と共に分かち合わせてください。
イエス キリストの御名によって祈ります。 アーメン
聖書:詩編 145:1〜13(新共同訳)
145篇には最初に「アルファベットによる詩」とあります。アルファベットというのは、表記にローマ字を用いる言語の文字の一覧を表すものです。日本語で言えば「五十音」「あいうえお」または「いろは」に当たるものです。
アルファベットという言い方は、ギリシャ語に由来するもので、ギリシャ語の最初の文字がアルファ α 、二文字目がベータ β で、ギリシャ語の文字一覧を表すのにアルファベータと言われていたのが変化してアルファベットとなったようです。
アルファベットによる詩というのは、ヘブライ語の文字を一文字ずつ文頭に使っていくもので、言葉遊びの要素を入れて覚えやすくしたのかもしれません。アルファベットの詩でおそらく一番有名なのが119篇です。最も長い詩篇ですが、8節ごとにヘブライ語のアルファベットが順番に文頭に出てきます。
ヘブライ文字は、ローマ字とは全く違う文字ですから、ヘブライ語の文字表記を表すのにアルファベットという言い方をするのかについてはよく知りません。ヘブライ語の最初の文字はアーレフ、二番目の文字はベートなので、ギリシャ語のアルファ・ベータと音は似ています。ちなみに「アルファベットによる詩」という表記は注のようなもので、本文にはありません。ちなみに「アルファベットによる詩」は全部で8篇あります。
145篇は1節ずつ、文頭がアルファベット順になっています。ただ原文(マソラ本文)には、ヘブライ文字のヌン、アルファベットのNに当たる文章がありません。ギリシャ語訳(七十人訳)やシリア語訳(ペシッタ)、死海写本はヌンで始まる文章を挿入して、アルファベットが全部揃うようにしているようです。
さて本文ですが、詩人は神を讃えます。表題に「賛美」とあるのは、この145篇だけです。「賛歌」は数多くありますが、「賛美(テフィリーム)」は145篇だけです。
1~2節「わたしの王、神よ、あなたをあがめ/世々限りなく御名をたたえます。/絶えることなくあなたをたたえ/世々限りなく御名を賛美します。」詩人は神と向かい合い、全身全霊で讃美します。
3節「大いなる主、限りなく賛美される主/大いなる御業は究めることもできません」と詩人自身が言っているように、神を語り尽くすこと、讃美し尽くすことはできません。どれほど言葉を尽くしても、完全に神を語ったとはなりません。
詩人が讃美するのは、人々が神を証しし、宣べ伝えるためです。4節「人々が、代々に御業をほめたたえ/力強い御業を告げ知らせますように。」6節「人々が恐るべき御力について語りますように。」7節「人々が深い御恵みを語り継いで記念とし/救いの御業を喜び歌いますように。」10~11節「主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し/あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ/あなたの主権の栄光を告げ/力強い御業について語りますように。」12節「その力強い御業と栄光を/主権の輝きを、人の子らに示しますように。」
神はご自身の民に、神を証しする務めを託されます。ローマ 10:14~15「宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。・・良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか。」神はその民と、救いを共有し、喜びに与らせてくださいます。
だから詩人は5節「あなたの輝き、栄光と威光/驚くべき御業の数々をわたしは歌います。」神を証しし、宣べ伝えるのに、讃美は最もふさわしい、と言っても過言ではありません。礼拝で神の言葉を語るのは、務めに召された限られた人ですが、祈ること、讃美することは、すべての神の民に恵みとして与えられています。そして神は、祈る民、讃美する民を用いてご自分を証ししてくださいます。詩編 102:19「主を賛美するために民は創造された」のです。
詩人は神を知って欲しいのです。この喜ばしい神を知らずに生きるなどということにならないでほしいと願っているのです。8~9節「主は恵みに富み、憐れみ深く/忍耐強く、慈しみに満ちておられます。/主はすべてのものに恵みを与え/造られたすべてのものを憐れんでくださいます。」このような神がおられるのに、神を知らずに生きるなんて、と詩人は感じています。だから詩人は6節後半「大きな御業をわたしは数え上げます。」わたしたちは聖書に記された神の民の歩み(救済史)においても、個人の信仰の歩みにおいても、神の御業を覚えて讃美するのです。
詩人は願います。12~13節「その力強い御業と栄光を/主権の輝きを、人の子らに示しますように。/あなたの主権はとこしえの主権/あなたの統治は代々に。」神を知った者たち、神の御業を経験した者たちが、神を証しすることを願います。そして神を知ったとき、神がわたしたちの主であってくださることの幸いを思い、主の主権が明らかにされていくことを願います。神を知った者たちが、神と共に歩み、神のご支配・神の国に生きること、主の主権が明らかになり、神の国が代々に続いていくことを願います。
キリスト教会は、キリストが主であることを世に証しするために建てられています。
わたしたちも神を讃美しつつ歩みましょう。わたしたち罪人の救いを願ってくださる神の御心が成るように、神の国が到来するように願って、讃美しつつ神の御業を、神ご自身を語り継ぎ、告げ知らせていきましょう。
ハレルヤ
父なる神さま
詩人の喜びをわたしたちにもお与えください。あなたにある喜びでわたしたちを満たしてください。わたしたちの口に讃美の歌声を与えてください。わたしたちがあなたの御業を宣べ伝え、あなたを証ししていくことができますように。どうかこの時、あなたが御子を遣わしてくださった恵みを多くの人と共に分かち合わせてください。
イエス キリストの御名によって祈ります。 アーメン