聖書の言葉を聴きながら

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ローマの信徒への手紙 8:5〜11

2019-02-11 08:08:53 | 聖書
2019年2月10日(日)主日礼拝  
聖書箇所:ローマ 8:5〜11(新共同訳)


 霊と肉という対比がなされています。
 霊は、結び合わせる働きをします。きょうの箇所で「霊」は聖霊を表しています。聖霊は神ご自身とわたしたちとを結び合わせてくださいます。悪霊という言葉もあるように、神以外のものと結び合わせわたしたちを苦しめる働きをする霊もあります。
 聖書では、聖霊と言う以外にも神の霊、主の霊、キリストの霊などと言われることもあります。

 霊に対して肉という言葉が使われていますが、ここでは、神とのつながりがない状態を指して「肉」と言っています。
 「肉に従って歩む者は、肉に属することを考え」というのは、神とのつながりなしに生きる者は、この世に属することを求めることを表します。
 「霊に従って歩む者は、霊に属することを考え」というのは、神とのつながりを大切にして生きる者は、神との交わりの中で神の国に生きることを表します。

 神とのつながりのない肉の状態は、死へと向かっており、神とつながる霊を大切にする者は、神が与え給う命と平和に与ります。命は神から与えられるものであり、祝福も神とのよい関係、神との平和の中で与えられます。
 神とのつながりを軽んじる肉の状態にある者は、当然神の律法を軽んじますから神の律法に従うこと自体できません。神とのつながりを軽んじ、神とのつながりを持たない肉の状態にある者が、神に喜ばれることはありません。神とのつながりを大切にしない者は、神と共に生きるのではなく、神を利用しようとします。自分の願いをかなえるために、神を利用しようとします。利用しようとしかしない関係は喜びを生み出しません。

 神と共に歩み、救いに入れられるには、神とのつながりを生み出す聖霊が不可欠です。天の父がイエスの名によって遣わされる聖霊は、イエスが話したことを思い起こさせ、教えてくださいます(ヨハネ 14:26)。そしてイエスこそ主であるという信仰を与えてくださいます(1コリント 12:3)。

 この聖霊によって与えられる神とのつながり、神との交わりに生きることは、家族の関係に似ています。
 おそらくは、神とわたしたちの関係が家族の関係に似ているのではなく、神とわたしたちとの関係に基づいて家族という関係が与えられていると言うのが正しいのだろうと思います。つまり、神にかたどって人が創られているように、神との関係にかたどって家族の関係が与えられているのだろうと思います。この世で父と呼ばれる者たちは、天の父に倣って託されている者たちを治め、導き、愛していかなければならないのです。
 そして家族の関係に似ているということは、家族であるという事実はいつも変わらなくても、そこで言葉を交わし、共に生きる関係が日々育まれているか否かによって、家族の内実は大きく違ってきます。丁度、同じく礼拝に出ていても、御言葉を蓄え、祈る人と、そうでない人とでは信仰に違いが出てくるのと同じです。
 そこに命ある関係が築かれるには、日々の営みが大切です。共に生きることを通して、命が養われ愛が育まれていかねばなりません。神との関係においては、聖書という御言葉の糧に養われて、祈りという交わりの内に神と共に生きることを積み重ねていくのです。

 気をつけて頂きたいのは、信仰を持つ人は大抵いい人ですが、いい人は自分の善意が神の思いと一致すると勘違いしがちです。自分の善意すなわち神の御心ではありません。わたしたちは罪人ですから、善意でさえも神の御心から離れていくことを知っていなくてはなりません。聖書から聞きつつ、繰り返し神へと立ち帰らねばなりません。
 また、「うちではこんなときこういう風に対処します」と善意から教会にこの世の仕事で行われている方法を取り入れようとする人もいますが、それも違います。教会はキリストを主として歩むために長い間、罪と戦いながら歩みを積み重ねてきました。その教会の実践を軽んじて善意からでも、良かれと思ってであっても、この世の方法つまり「肉に属するもの」を選んでしまうと、教会は崩れていきます。

 神とのつながりのない肉であるのではなく、聖霊を求め、聖霊の導きを求め、霊的であることを求めていくことが大事です。わたしたちが霊的であるために、神がは礼拝、祈り、讃美、御言葉、献げること、仕えること、愛することを与えてくださっているのです。そしてそれが正しく行われているかどうかを検証していくのが、神学なのです。わたしたちの教会が神学を重んずるのは、わたしたちが聖霊に導かれて、神との交わりの中に生きるためなのです。すべては、霊的であるため、そして神の愛と祝福に満たされるためになされているのです。

 わたしたちは、聖霊に従って歩むことを、聖霊に属することを求めなければなりません。聖霊こそがわたしたちを神との交わりに生かし、救いに与らせ、命と平和へと導いてくださいます。
 聖霊は、わたしたちの内にキリストを住まわせてくださいます。キリストの復活の命、永遠の命に与らせてくださいます。「霊は義によって命となっています」。聖霊なる神が、父なる神・子なる神キリストとの関係を正しい義なるものとしてくださり、命をもたらしてくださるのです。
 「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう」。

 人は、神が命の息を吹き入れて生きる者となりました(創世記 2:7)。罪がもたらす死を超えて生きるためには、聖霊を受けてキリストの命に与るのです。世の始めに命を与えられたように、神に贖われ、赦され、祝福されて新たな命に生きるのです。わたしたちの本当の命は、父・子・聖霊なる神との交わりの中にあるのです。
 神は求める者に聖霊を与えてくださいます(ルカ 11:13)。祈りつつ、聖霊に満たされて、信仰から信仰へ、命から命へと歩んでまいりましょう。


ハレルヤ


父なる神さま
 わたしたちを聖霊で満たしてください。あなたとの交わりの平和、命を味わい喜ぶ者としてください。あなたの救いが復活に至ることを望み見、希望に満ちた確信をお与えください。
イエス キリストの御名によって祈ります。 アーメン


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