シニア担当のYokoです。
これまで沢山のワークをやってきましたが、
今日ぐらい感慨深いものはなかったように思います。
みなさんの作品から離れたくない。
ずっと見ていたい。
私の心の深いところが、とても静かに震えている。
今日はそんな日でした。
食事や運動が体を作り、芸術や自然や人を愛することなどが心を作り
その両方の栄養があって今「生きている」のだとしたら・・・
まるで植物のように一本のつるが「生きる力」の為の様々な栄養素を運び
ぐんぐんと伸び、そのつるを飾るようにこれまでの人生で沢山吸収したものが
葉っぱという形で人生を彩っているのだとしたら・・・
そしてその「生きる力」は今、そしてこれからも様々なものを運び
自分という人の隅々に行き渡り、新しい葉をつけていくのだとしたら。
今日はそんな自分を創り出している沢山の栄養素を運ぶ「生きる力」を
一本のつるに見立て、「これまで」と「これから」を葉っぱたちで飾っていくワーク
「上へ上へと伸びようと・・・」
Nさんはそう言いました。
昨年大きな手術をしてから、少し元気がなくなっています。
今日も着席の時から顔色も悪く笑顔がありません。
じーーと、私の話しを聞き入り、ゆっくりと何色もある葉っぱを手にして
飾っていきました。
丁寧に重ねられた葉っぱ達
グラデーションになっているのは、若い季節から今を表している。
「伸びようとするそんな生きる力と出会って表現して欲しいなと思ったんですよ」
そうお伝えすると、
「そうなのかぁ。上にね、こう伸びようという感じでいつのまにか作ってたよ」と
やっと今日はじめての笑顔です。
綺麗に整っている葉っぱ達は、何かとても静かででも確実な存在感を与えます。
「僕は秋だよ」
Sさんはそう言いました。
電気工事の仕事をし、沢山の技術資格を持ち、沢山の弟子達を育てた。
みなさんがつけた沢山の青い葉もなければ、ビーズの飾りも花もない。
「種(ビーズ)はもう飛んでっちゃったよ」
その種は弟子達。
注いだ情熱と愛情の種は弟子達に引き継がれ、その種は弟子が今、次のために育てている。
「やりきったという感じですか?」
「そうだよ」と笑顔のSさん
毎日をゆっくり、大好きなタバコを時々吸って、ロビーで行き交う人を眺めながら
のんびりと過ごしています。
まるで一枚の葉っぱはみんなを見守っているかのようです。
「もうひと花咲かせるわよ」
Yさんはそう大きな声で言いました。
仲良しのNさんが少し元気がなかったからでしょうか?
今日はYさんもちょっと静かめ。
もくもくと静かにワークをしていました。
一枚一枚丁寧に貼って、最後にお花がまるで太陽を見上げ、
太陽の明るさを体いっぱいに浴びているかのように。
Yさんの芸術性と若さと明るさはいつだって上品で美しい。
枯れることのない美しさを感じます。
ワークが終わり、私は17人の「これまで」と「これから」を眺めていました。
それはまるで、失礼かもしれませんが、終盤という人生のステージだからこその
自分の人生をどう見せていくかを作品を通して表現している。
私はそう感じました。
90年80年と生きてきた人生
抗えぬ今を受け入れ、そしてそれすらも栄養にして、これまでの蓄積で消化をし
あり方を通して伝えていく。
「あれが」「これが」ではなく、自分という人丸ごとを表現すること自体が
シニアのみなさんの「生きる力」
そのものなのではないかと気づきました。
17人の人生の作品が
まだどうこれからを生きていくのか、迷い悩む私の心に話しかけてきました。
「すべてが栄養なんだよ」と。
「形を目指すのではなく、結果この形そのものが人生なんだよ」と。
すーっと言葉が心に染み込んできました。
私はここと出会う為に、
シニアアートワークをやってきたのではないかとさえ思えます。
語らずして語る
それぞれの人生の見せ方
それはどれもが
静かで豊かで美しく、そしてやさしい。。。
みなさんお一人お一人の心の神様のようで
尊くて尊くて
私はまだこの現実が受け止めきれてはいないのです・・・・・
これまで沢山のワークをやってきましたが、
今日ぐらい感慨深いものはなかったように思います。
みなさんの作品から離れたくない。
ずっと見ていたい。
私の心の深いところが、とても静かに震えている。
今日はそんな日でした。
食事や運動が体を作り、芸術や自然や人を愛することなどが心を作り
その両方の栄養があって今「生きている」のだとしたら・・・
まるで植物のように一本のつるが「生きる力」の為の様々な栄養素を運び
ぐんぐんと伸び、そのつるを飾るようにこれまでの人生で沢山吸収したものが
葉っぱという形で人生を彩っているのだとしたら・・・
そしてその「生きる力」は今、そしてこれからも様々なものを運び
自分という人の隅々に行き渡り、新しい葉をつけていくのだとしたら。
今日はそんな自分を創り出している沢山の栄養素を運ぶ「生きる力」を
一本のつるに見立て、「これまで」と「これから」を葉っぱたちで飾っていくワーク
「上へ上へと伸びようと・・・」
Nさんはそう言いました。
昨年大きな手術をしてから、少し元気がなくなっています。
今日も着席の時から顔色も悪く笑顔がありません。
じーーと、私の話しを聞き入り、ゆっくりと何色もある葉っぱを手にして
飾っていきました。
丁寧に重ねられた葉っぱ達
グラデーションになっているのは、若い季節から今を表している。
「伸びようとするそんな生きる力と出会って表現して欲しいなと思ったんですよ」
そうお伝えすると、
「そうなのかぁ。上にね、こう伸びようという感じでいつのまにか作ってたよ」と
やっと今日はじめての笑顔です。
綺麗に整っている葉っぱ達は、何かとても静かででも確実な存在感を与えます。
「僕は秋だよ」
Sさんはそう言いました。
電気工事の仕事をし、沢山の技術資格を持ち、沢山の弟子達を育てた。
みなさんがつけた沢山の青い葉もなければ、ビーズの飾りも花もない。
「種(ビーズ)はもう飛んでっちゃったよ」
その種は弟子達。
注いだ情熱と愛情の種は弟子達に引き継がれ、その種は弟子が今、次のために育てている。
「やりきったという感じですか?」
「そうだよ」と笑顔のSさん
毎日をゆっくり、大好きなタバコを時々吸って、ロビーで行き交う人を眺めながら
のんびりと過ごしています。
まるで一枚の葉っぱはみんなを見守っているかのようです。
「もうひと花咲かせるわよ」
Yさんはそう大きな声で言いました。
仲良しのNさんが少し元気がなかったからでしょうか?
今日はYさんもちょっと静かめ。
もくもくと静かにワークをしていました。
一枚一枚丁寧に貼って、最後にお花がまるで太陽を見上げ、
太陽の明るさを体いっぱいに浴びているかのように。
Yさんの芸術性と若さと明るさはいつだって上品で美しい。
枯れることのない美しさを感じます。
ワークが終わり、私は17人の「これまで」と「これから」を眺めていました。
それはまるで、失礼かもしれませんが、終盤という人生のステージだからこその
自分の人生をどう見せていくかを作品を通して表現している。
私はそう感じました。
90年80年と生きてきた人生
抗えぬ今を受け入れ、そしてそれすらも栄養にして、これまでの蓄積で消化をし
あり方を通して伝えていく。
「あれが」「これが」ではなく、自分という人丸ごとを表現すること自体が
シニアのみなさんの「生きる力」
そのものなのではないかと気づきました。
17人の人生の作品が
まだどうこれからを生きていくのか、迷い悩む私の心に話しかけてきました。
「すべてが栄養なんだよ」と。
「形を目指すのではなく、結果この形そのものが人生なんだよ」と。
すーっと言葉が心に染み込んできました。
私はここと出会う為に、
シニアアートワークをやってきたのではないかとさえ思えます。
語らずして語る
それぞれの人生の見せ方
それはどれもが
静かで豊かで美しく、そしてやさしい。。。
みなさんお一人お一人の心の神様のようで
尊くて尊くて
私はまだこの現実が受け止めきれてはいないのです・・・・・
それは今ではなく、別のときに見れる時がくるのかもしれないね。
本当に今自分はどんな葉っぱの色や形だろう?って
自分でワーク提供しておきながら
みなさんの作品を見ながら
ぼんやりどこかで私自身考えていたよ。
今見られないんだよね。
誰かは見ているかもしれないが・・
別の時・・・・それはいつなんだろうか。
そして、もしその「別の時」にそれを見て何を思うのだろう・・・