これは、年齢を問わずだと思うのですが、最近、日本語の読み書きはできても、文章を読むだけでその文章が
何を言わんとしているか?ということを考えたりする人が少なくなりつつあるということを痛感する今日この頃。
これって、もしかして、マニュアル人間が増えたせいでしょうか?表面的なことをサラッと読むだけで終わり!!
っていう人、結構、多いですよね。前後の文脈を頭に入れつつ先の文章が何を言わんとしているのか?を
読み取る読解力や理解力というものを持ってない人が多いような気がします。読解力や理解力というのは、
頭を使わなくてはできないことです。考えなければならないんです。今の人たちって、なんていうか、自分で
考えたり、推測したりするっていうことをめんどくさがってやらずに、すぐに、
誰かに聞いて終わり!!
って言う人が多くないですか?こういう人を、いわゆる、
マニュアル人間!!
っていうんでしょうか?本やこういうブログなどの記事にしてもそうですが、本の著者やブロガーの言いたいことは
一体、何か!?
っていうのを考えながら読まなければ、文章の裏に隠れている本当に伝えたい大事なメッセージと言うのを
見逃してしまうのだと思うのですよ。表面的にサラッと読んでしまう方が楽と言えば、楽ですよ!!
でも、そういう読み方をしてる人たちは、どんなに世界的に絶賛されている文学作品を読んだとしても、
きっと、著者の伝えたい本当のメッセージを知ることはできないでしょうね。本だけでなく、こういうブログと
いうようなものでも、表面的には、批判的、攻撃的、または、過激だと感じられるような内容を書いている
ブロガーもいると思う。でも、その背景には、そのブロガーが、
一体、何を訴えたいのか!?
という目線で読まなければ、きっと、ブロガーが伝えたいと思っているメッセージを受信することはできないでしょう。
表面的な文章だけを読んで、批判するのは、非常に簡単です。でも、非難されると分かっていても、あえて、そういう
記事を書いているということは、その裏には、何らかのメッセージが隠されているはず…。それを知るには、読解力や理解力が
必要だということなのです。人に聞いて分かるものではありません。表面的な文章だけを真に受けて不愉快だと感じて、
私の記事を読んで「悪意を感じる」とコメントした人がいましたが、私に対する返信には、私への皮肉+バカにした言葉+悪意が、
たくさん書かれていました。悪意を感じる、感じないは、読み手の問題なので私がどうこう言う問題ではありません。
ただ、そういうコメントを見ると、私の記事をよく読んでおらず、完全に大きな勘違いをしたうえで批判的で悪意のこもった
コメントが多いのです。私に言わせてみれば…
きちんと私の記事を読めよ!!
と言いたくなりました。でも、そういう人たちは、自分は、きちんと読んでいると思い込んでいるんでしょうね。
でも、その人たちは、きっと、自分でも気づかないうちに色眼鏡で私の記事を読んでいるからこそ、勘違いをするん
でしょう。あとは、読み手の思い込みとかね…。
自分の言い分は、絶対、正しい!!
と思っている人は、どんなに説明しても聞く耳を持ちません。だから、私は、そういう人たちには、必要最低限の説明しか
しないことにしてますし、相手にする価値がないと思ったら、返事すらしません。でも、こういう人たちが増えていることに
危機感を感じているのは愛里だけでしょうか?そうでない人が、少しでもいてくれることを祈らずにはいられない愛里です。
何を言わんとしているか?ということを考えたりする人が少なくなりつつあるということを痛感する今日この頃。
これって、もしかして、マニュアル人間が増えたせいでしょうか?表面的なことをサラッと読むだけで終わり!!
っていう人、結構、多いですよね。前後の文脈を頭に入れつつ先の文章が何を言わんとしているのか?を
読み取る読解力や理解力というものを持ってない人が多いような気がします。読解力や理解力というのは、
頭を使わなくてはできないことです。考えなければならないんです。今の人たちって、なんていうか、自分で
考えたり、推測したりするっていうことをめんどくさがってやらずに、すぐに、
誰かに聞いて終わり!!
って言う人が多くないですか?こういう人を、いわゆる、
マニュアル人間!!
っていうんでしょうか?本やこういうブログなどの記事にしてもそうですが、本の著者やブロガーの言いたいことは
一体、何か!?
っていうのを考えながら読まなければ、文章の裏に隠れている本当に伝えたい大事なメッセージと言うのを
見逃してしまうのだと思うのですよ。表面的にサラッと読んでしまう方が楽と言えば、楽ですよ!!
でも、そういう読み方をしてる人たちは、どんなに世界的に絶賛されている文学作品を読んだとしても、
きっと、著者の伝えたい本当のメッセージを知ることはできないでしょうね。本だけでなく、こういうブログと
いうようなものでも、表面的には、批判的、攻撃的、または、過激だと感じられるような内容を書いている
ブロガーもいると思う。でも、その背景には、そのブロガーが、
一体、何を訴えたいのか!?
という目線で読まなければ、きっと、ブロガーが伝えたいと思っているメッセージを受信することはできないでしょう。
表面的な文章だけを読んで、批判するのは、非常に簡単です。でも、非難されると分かっていても、あえて、そういう
記事を書いているということは、その裏には、何らかのメッセージが隠されているはず…。それを知るには、読解力や理解力が
必要だということなのです。人に聞いて分かるものではありません。表面的な文章だけを真に受けて不愉快だと感じて、
私の記事を読んで「悪意を感じる」とコメントした人がいましたが、私に対する返信には、私への皮肉+バカにした言葉+悪意が、
たくさん書かれていました。悪意を感じる、感じないは、読み手の問題なので私がどうこう言う問題ではありません。
ただ、そういうコメントを見ると、私の記事をよく読んでおらず、完全に大きな勘違いをしたうえで批判的で悪意のこもった
コメントが多いのです。私に言わせてみれば…
きちんと私の記事を読めよ!!
と言いたくなりました。でも、そういう人たちは、自分は、きちんと読んでいると思い込んでいるんでしょうね。
でも、その人たちは、きっと、自分でも気づかないうちに色眼鏡で私の記事を読んでいるからこそ、勘違いをするん
でしょう。あとは、読み手の思い込みとかね…。
自分の言い分は、絶対、正しい!!
と思っている人は、どんなに説明しても聞く耳を持ちません。だから、私は、そういう人たちには、必要最低限の説明しか
しないことにしてますし、相手にする価値がないと思ったら、返事すらしません。でも、こういう人たちが増えていることに
危機感を感じているのは愛里だけでしょうか?そうでない人が、少しでもいてくれることを祈らずにはいられない愛里です。