始末の仕方
決着の仕方
責任の取り方
考えても
考えても
結論などなくて
「次官さんが息子を殺めた事件」
私にも子どもがいて
それぞれの地で
働いて
自立している。
ありがたいことだ。
ここまで
育て
責任
は
果たした。
後は
長男、長女
それぞれの人生だから
親
が
何を言う事もない。
好きな事
を
好きなように
生きて欲しい。
親
の
人生
に
手助けなどいらないよ。
そんな
大らかな母心
を
少し
得意にも思っていた。
、、、、
なんて
ありがたいことだった。
改めて
感じ入る。
年老いて
子どもの世話にはならんよ。
邪魔にはなりたくないんだ。
残り
は
妻と手を取り合って
助け合いながら
余生
を
過ごすよ。
そんな
老後
を
思ったかもしれない。
言っていたかもしれない。
子ども
が
生まれ
育てているあの日々
に
こんな未来
予想できただろうか、、、
生まれてきてくれた日に
父も母も
嬉し涙して
幸せ
の
絶頂
だった。
年老いて
このまま
では
「人さまに迷惑かけてしまう
かもしれない」
生まれて来てくれた
喜び
を
与えてくれた
その子
を
この世
に
置いておけない
と
自ら
責任
を
とるかのように
くやしい。
私は
何も知らない
事件
の
報道
の
「見出し」
を
見ただけ。
勝手
に
感傷的になって
思っているだけ。
昔
拓郎
が
見出し人間
に
なるな
そんな
歌
歌っていたような。
川崎の事件について
社会
は
どのようにしたら
こんな
犯罪
を
なくせるのか
議論しているみたいだが、、、
分からない
私の立場
は
次官さん
に
近い。
どこまで
親
が
子ども
を
守れるのか
悲しくて
やりきれない。