sessanta始まりの朝

独り言、
子育て終わった二人暮らしの夫婦
人生、残り半分?如何に生きましょうか

それで良い

2019-06-13 01:45:37 | 日記




死生観

について


話す。


ま、
きっかけ




私の母
の事から
始まったわけで。




88歳になり
孤独と不安

持っている。

と、思う。


連れ合い

無くし

残された者の宿命か?




送った後


平静を失っている。


老い

父を亡くした
喪失感

あるだろう。


今まで
歩んで来た
人生

足跡

やり残し


悔やむのだ。


長男夫婦

上手くやれなかった




死ぬまでの課題として

どうにかしたいなどと

考えているらしい。




苛立つ。



今までの
30余年

できなかった事を

残された
わずかな
数年

解消
したいなどと

無理難題

思うのだ!

と、
怒りが湧いてくる。


これまで
父と母は
信仰心


敵わぬことも

諦めるのではなくて

それもまた良し
として

受け入れてきた

と、

私は
父と母

尊敬していたので



ガッカリなのだ。



歩んで来た道

否定

して欲しくない。


これで良い。


後悔は残念でたまらない。



そう話す私に






もっと
優しい目で見てあげなさい。


そう言うのだ。



最期

なるにつれ



なんで?
どうして?

我が人生
苦しむのだ?


思う人

わりと
居る。

そんな気がする

そう言うのだ。


そんなの嫌だ!

かぶりを振る私




ふと、






人生

最期




あるべき姿

として



良し。







思えるのは
夫か

私か。




これで良し

思えなかった時の

何がなんでも良しとしたいと
私のあわてぶりの方が



むしろ



むしろ…




考えさせられる。



私の悪い癖
決めつける

自分に対しても


こうありたい

そんな理想

持ち


叶えようと努力すれど
叶わぬ時の落ち込みは相当なもんだ。


最期



ありのまま



あわてふためいた
私も

それで良い。



一度だけしか
経験できない最期

経験を生かすことも
学びも反省もない


自分らしく

それで良い。