夫
と
死生観
について
話す。
ま、
きっかけ
は
私の母
の事から
始まったわけで。
母
は
88歳になり
孤独と不安
を
持っている。
と、思う。
連れ合い
を
無くし
残された者の宿命か?
父
を
送った後
平静を失っている。
老い
も
父を亡くした
喪失感
も
あるだろう。
今まで
歩んで来た
人生
の
足跡
の
やり残し
を
悔やむのだ。
長男夫婦
と
上手くやれなかった
事
を
死ぬまでの課題として
どうにかしたいなどと
考えているらしい。
私
は
苛立つ。
今までの
30余年
できなかった事を
残された
わずかな
数年
で
解消
したいなどと
無理難題
を
思うのだ!
と、
怒りが湧いてくる。
これまで
父と母は
信仰心
で
敵わぬことも
諦めるのではなくて
それもまた良し
として
受け入れてきた
と、
私は
父と母
を
尊敬していたので
ガッカリなのだ。
歩んで来た道
の
否定
を
して欲しくない。
これで良い。
後悔は残念でたまらない。
そう話す私に
夫
は
もっと
優しい目で見てあげなさい。
そう言うのだ。
最期
に
なるにつれ
なんで?
どうして?
我が人生
苦しむのだ?
と
思う人
わりと
居る。
そんな気がする
そう言うのだ。
そんなの嫌だ!
かぶりを振る私
ふと、
人生
の
最期
を
あるべき姿
として
良し。
と
思えるのは
夫か
私か。
これで良し
と
思えなかった時の
何がなんでも良しとしたいと
私のあわてぶりの方が
むしろ
むしろ…
考えさせられる。
私の悪い癖
決めつける
自分に対しても
こうありたい
そんな理想
を
持ち
叶えようと努力すれど
叶わぬ時の落ち込みは相当なもんだ。
最期
は
ありのまま
あわてふためいた
私も
それで良い。
一度だけしか
経験できない最期
経験を生かすことも
学びも反省もない
自分らしく
それで良い。