60を超え
未だ
母への
文句
を
言う
甘えた私である。
まあ、いいや、
死ぬまで
親娘
であるから。
遠慮なく
好きなように
あくまでも
自分らしく。
ハハハ
言い訳だ。
と言うのは
ある人に
母との確執
を
愚痴った。
赤の他人
の
ご老人なら
そうなの
ふんふん、
それで?
と
優しく
お年寄りの話
が
聞ける。
なのに
母となると
…
そう愚痴った。
それなら
親孝行
とか
優しくしなきゃ
とか
自分
を
責めないで
お母さんの事も
赤の他人
と
思って
なおかつ
聴き取り上手
になるための
練習
だと
思って
自分
の
為
だと
接してみては?
そう
アドバイスされた。
納得したはずだった、、
やってみようと思ったが、、
やはり
母
に対して
素直になれない。
多分
無理だわ。
そう思って
60を過ぎてもなお
今まで通り
母と接する。
わがままを言わせてもらう。
母を無くして
後悔するかもしれないが。
今日
は
母
の
元
で
弟夫婦
と
雑談した。
母
が
俳句
を
見てくれる?
と
持って来る
弟
が
暑い日に
野球観戦に出かけ
日焼けした顔
で
帰って来た時
作った句
らしい。
弟や姪
が
感想
を
述べた後
何気なく見る。
感じたまま
の
感想
を
述べると
母
が
分かる?
と
嬉しそうに
言う。
褒めて欲しい母。
子どもにかえった母。
認めて欲しいのだ、
それは
分かる。
小さな頃
相当苦労した。
苦労
が
人格
を
作った。
褒めてもらう事が少なかった
幼少期だった。
それにしても
老いて頑固に
自分を認めて欲しい
褒められたい
甘えん坊の駄々っ子の老人
と
相対するのは
骨が折れる