聖書:
ヨハネ 14:27 「わたしはあなたがたに平和を残します。 私の平和をあなたに与えます。 この世が与えるように私はあなたに与えません。 心を騒がせたり、恐れたりしないでください。」
観察:
イエスが自分の死について、そして彼らなしで立ち去ることについて話すのを聞くのは、弟子たちにとって恐ろしいことでした。 彼らは、イエスを殺そうとしている権力者がいることを知っていましたが、イエスは彼らと戦うつもりはないようでした。 これは彼らが期待していたようにはいきませんでした。 彼らは混乱し、不安を感じていました。 イエスは、物理的に去った後もイエスを彼らの中に臨在させる特別な顧問を彼らに約束されました。 イエスは恐ろしい状況のただ中にあっても驚くべき平安を約束されました。
応用:
母親である私が最も心配しているのは、子供たちの幸福です。 私は、彼ら全員が正しい選択をし、キリストの献身的な追随者としてこの困難な十代から青年期を安全に乗り越えることを切望しています。 彼らには非常に多くの誘惑があり、イエスのやり方と競合する考えが非常に多く、彼らをコースから外し、人生を台無しにする可能性のあるものがたくさんあります。 私はしばしば不安を感じ、彼らを特定の方向に押し進めることができればと願っていますが、最終的には、彼らが成長し、より自立するにつれて、私は祈り、神が彼らを導いてくれると信頼することしかできません。 私は彼らへの配慮という重荷をイエスの足元に置き、イエスが彼らの中で働いて下さることを信頼し、私の内なる聖霊を通してイエスが私に与えてくださる平安を受け入れる必要があります。
祈り:
イエス様、あなたが私以上に私の子供たちを愛してくださっていることを私は知っています。 私はあなたに、彼ら一人一人を見守り、彼らがあなたの近くに留まり、大人としての人生に良いスタートを切れるよう、彼らが良い選択をできるよう助けてくださるようお願いします。 彼らについての不安が何度も私の心を満たしてしまったことを許してください。 彼らと共にあなたを信頼し、私の心にあなたの平安を受け取ることができるように助けてください。 アーメン。
注目すべき真実:
14:2-3 イエスは、追随者たちがご自分と一緒に住む場所を準備するために父のもとに帰りました。そして、いつか戻ってきて、私たちをそこに連れて行ってくださるでしょう。
14:6 神に至る唯一の道は、イエスを通してです。
14:7-9 イエスを見て知ることは、父なる神を見て知ることです。
14:11、24 イエスの奇跡は父によって行われ、イエスの教えは父から来ました。 これらはイエスと父なる神との非常に密接な関係の証拠でした。
14:15 私たちがイエスを愛するなら、それはイエスの御心への従順のうちに現れます。
14:16-20 イエスと御父は、イエスが地上を去られた後、私たちと共にいてくださるよう、相談者として御霊を送ってくださるでしょう。 聖霊は私たちの内にイエスとなり、私たちを内側から教えてくれるでしょう(26節)。
14:27 イエスは、世が与えるものとは異なる質の平和を私たちに与えてくださいます。
14:30-31 サタン(この世の君主)はイエスの十字架に関与していましたが、サタンは実際には制御していませんでした。 イエスは父が求めたことを喜んで実行しました。
ヨハネによる福音書 14:1-31 新共同訳
[1] 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 [2] わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 [3] 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 [4] わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」 [5] トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 [6] イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 [7] あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 [8] フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、 [9] イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。 [10] わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。 [11] わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。 [12] はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。 [13] わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。 [14] わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」 [15] 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 [16] わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 [17] この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 [18] わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。 [19] しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。 [20] かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 [21] わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」 [22] イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。 [23] イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。 [24] わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。 [25] わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。 [26] しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。 [27] わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。 [28] 『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。 [29] 事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。 [30] もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。 [31] わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう。」
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