パリのシャンソニエ「ラ・パンアジル」は、知る人ぞ知る、日本で言えばシャンソン・クラブである。
画家の「ロートレック」や「ピカソ」などが通ったところである。
「ラ・パンアジル」に行ったのは、ご存知の方もいるかもしれないが、六本木のロアビルの前に、
「パダン」というシャンソン・スナックがあった。芸大を出たマスターが、白のピアノの前で弾き、
シャンソンを女性が歌うスナックであった。仕事の帰りに、六本木で途中下車して、食事をし、その後
寄った店である。銀座で「銀パリ」が流行っていたころである。その影響を受けたのか、パリに憧れ、
世界一周の旅の途中で、パリに寄った時訪れた店である。小さな店であったが、歌手はマイクを使わず
、客が全員で合唱するという、新宿の「ともしび」のようなみせであった。皆で歌うが指名されて、
フランス語で歌わなければならないが、第二外国語でドイツ語を選択した私は、フランス語は無理で、
指名されたらどうしようか思っていたが、指名がなかったので、ほっとした。木製の横並びの椅子に
テーブル、「ギリシャ人」と思しき、女性のグループがいたが、鼻が高く自分の鼻と比べたものである。
途中で退席したが、其のとき飲み物をこぼしてしまい、フランス語のできない私は、お店の方に片言の
英語で謝罪をし、恥ずかしい思いをしたものである。後日談であるが、パダンのマスターは大の飛行機嫌い
とわかり、パリなど行ったことがなくシャンソン・スナックをやっていたことがわかり、世の中そんなも
んだと悟った次第である。でもあの店がなければ、パリの「ラ・パンアジル」は行かなかったわけである
から感謝しなければならないと思っている。
画家の「ロートレック」や「ピカソ」などが通ったところである。
「ラ・パンアジル」に行ったのは、ご存知の方もいるかもしれないが、六本木のロアビルの前に、
「パダン」というシャンソン・スナックがあった。芸大を出たマスターが、白のピアノの前で弾き、
シャンソンを女性が歌うスナックであった。仕事の帰りに、六本木で途中下車して、食事をし、その後
寄った店である。銀座で「銀パリ」が流行っていたころである。その影響を受けたのか、パリに憧れ、
世界一周の旅の途中で、パリに寄った時訪れた店である。小さな店であったが、歌手はマイクを使わず
、客が全員で合唱するという、新宿の「ともしび」のようなみせであった。皆で歌うが指名されて、
フランス語で歌わなければならないが、第二外国語でドイツ語を選択した私は、フランス語は無理で、
指名されたらどうしようか思っていたが、指名がなかったので、ほっとした。木製の横並びの椅子に
テーブル、「ギリシャ人」と思しき、女性のグループがいたが、鼻が高く自分の鼻と比べたものである。
途中で退席したが、其のとき飲み物をこぼしてしまい、フランス語のできない私は、お店の方に片言の
英語で謝罪をし、恥ずかしい思いをしたものである。後日談であるが、パダンのマスターは大の飛行機嫌い
とわかり、パリなど行ったことがなくシャンソン・スナックをやっていたことがわかり、世の中そんなも
んだと悟った次第である。でもあの店がなければ、パリの「ラ・パンアジル」は行かなかったわけである
から感謝しなければならないと思っている。