「ロサンゼルス・サンフランシスコ他(米西海岸)の旅」
第一日目
成田発 JAL006便(ジャンボ)サンフランシスコ行き (直行便)夕食・朝食・昼(機内) サンフランシスコ着 サンフランシスコ国際空港からバスでクリーブランドへ クリーブランド市内のホテル宿泊
第二日目
(午前中) クリーブランドからバスで、サンフランシスコ湾にかかる、世界2位の長い橋を横断しサンフランシスコ市内見学 (午後) ゴールデンゲイトブリッジ、フイシャーマンズ・ワーフ、ケイブルカー等見学
(夜の部) 百万ドルの夜景見学 サンフランシスコ市内ホテル宿泊
第三日目
(午前中) サンフランシスコ国内空港発 ロサンゼルス国内空港 約1時間 (午後の部) ロサンゼルス市内をバスで見学 バスの中は、「アバ」のチキチーターがずーと流れていました。(夜の部) リトル東京の日本食レストランで日本食 ロサンゼルスヒルトンホテル宿泊
第四日目
(午前中) バスでサンノゼに向かう(メキシコの近くまで向かう) (午後の部) サンノゼ近郊のショッピング・モール、スーパーマーケット、建売住宅、ドラッグストアー、DO ityourself、リカーのチェーン店,コンビニチェーン,百貨店等バスで見学(夜の部) マリアッチレストランでマリアッチショーと飲食 ロサンゼルスヒルトンホテル宿泊
第五日目 9月13日(水)
(午前中) ロサンゼルス市内見学 近郊のショッピング・モール、スーパーマーケット、建売住宅、ドラッグストアー、DO ityourself、リカーのチェーン店、コンビニチェーン,百貨店等バスで見学(午後) ロサンゼルス市内見学 ダウンタウンのショッピング・モール、スーパーマーケット、建売住宅、
ドラッグストアー、DO ityourself、リカーのチェーン店、コンビニチェーン、百貨店等バスで見学(夜の部) ロサンゼルス市内のステーキハウスで飲食 ロサンゼルスヒルトンホテル宿泊
第六日目
(午前中) ロサンゼルス市内見学 近郊のショッピング・モール、スーパーマーケット、建売住宅、ドラッグストアー、DO ityourself、リカーのチェーン店、コンビニチェーン、百貨店等バスで見学(午後) ロサンゼルス市内見学 ダウンタウンのショッピング・モール、スーパーマーケット、建売住宅、ドラッグストアー、DO ityourself、リカーのチェーン店、コンビニチェーン、百貨店等バスで見学(夜の部) ビバリーヒルズのローストビーフレストラン「ローリー」にて飲食 ロサンゼルスヒルトンホテル宿泊
第七日目
(午前中) ロサンゼルス国内空港発 サンフランシスコ国内空港へ 約1時間 (午後) サンフランシスコ国際空港発(JAL) 成田直行便 夕食・朝食・ 機内食
第八日目
昼 成田空港着
☆今回の旅は、26歳の時、初めての海外、ロス・シスコ(米・西海岸)中心の視察の旅であった。米・経済を視察する旅であった。
以上が、最初の「海外旅行の旅」であったが、補足したいので「続編」としました。それは26歳の時であったが、前日の夜中まで仕事をし、翌日早朝に今回の研修旅行の仲間達と集合し、バスで成田に向かい、サンフランシスコに向かったのである。スケジュールは上記の通りであるが、今はわからないが、当時国際線の到着イミグレは国内線と違い、ウエスタン調の装いで、まるで西部劇にきた感じであった。後日、国内線を使ったが、近代的ビルの飛行場であった。最初のホテルは、クリーブランドであったが、ホテルには浴槽がなく、シャワーだけであった。黒人が7割と多く危険であると(今なら人種差別になるが、当時は、そういう時代であった)夜間の外出は禁止であった。朝早く起きて、仲間と街をぶらつき、これがアメリカかと感激したものである。事前研修を受けて行ったが、何かと忙しい仕事の合間を抜けて行くので、アメリカついては非現実的な世界で、想像する時間もなく、日本の延長線の頭で行ったのであるから、何もかもが、物珍しく、見るのも聞くものが新鮮なものであった。全てのものに感心したものである。今も印象に残っているのは、バスの中に、アバの「チキチータ」がズート流れていて、いたく感激したものである。ロスのマリアッチレストランの最前列で、ショーを見ながら食事をしていたが、ショーが終わって、我々、二十数名のテーブルの席に向かって、歌を歌って欲しいとマイクが回されてきた。仕方ないので一人、一人が自分の好きな日本の歌を、日本語で歌ったものである。これも懐かしい思いでの一つである。英語の苦手な者もいたので、マックで並んで注文するが、その注文ができないからやってくれないかと頼むものもいて、変わってやってあげたが、それが参加者の普通のレベルであった。帰りの飛行機では、疲れからか体調を崩し、空いてる後ろの席を何席か使って横になって日本まで帰ってきたのは、どこかで記述したと思うが、その間中、成田まで横で付き添って頂いた、JALのキャビンアテンダントの方には、御礼の申し訳様がない。今更ながらに心から、御礼申し上げる次第です。
第一日目
成田発 JAL006便(ジャンボ)サンフランシスコ行き (直行便)夕食・朝食・昼(機内) サンフランシスコ着 サンフランシスコ国際空港からバスでクリーブランドへ クリーブランド市内のホテル宿泊
第二日目
(午前中) クリーブランドからバスで、サンフランシスコ湾にかかる、世界2位の長い橋を横断しサンフランシスコ市内見学 (午後) ゴールデンゲイトブリッジ、フイシャーマンズ・ワーフ、ケイブルカー等見学
(夜の部) 百万ドルの夜景見学 サンフランシスコ市内ホテル宿泊
第三日目
(午前中) サンフランシスコ国内空港発 ロサンゼルス国内空港 約1時間 (午後の部) ロサンゼルス市内をバスで見学 バスの中は、「アバ」のチキチーターがずーと流れていました。(夜の部) リトル東京の日本食レストランで日本食 ロサンゼルスヒルトンホテル宿泊
第四日目
(午前中) バスでサンノゼに向かう(メキシコの近くまで向かう) (午後の部) サンノゼ近郊のショッピング・モール、スーパーマーケット、建売住宅、ドラッグストアー、DO ityourself、リカーのチェーン店,コンビニチェーン,百貨店等バスで見学(夜の部) マリアッチレストランでマリアッチショーと飲食 ロサンゼルスヒルトンホテル宿泊
第五日目 9月13日(水)
(午前中) ロサンゼルス市内見学 近郊のショッピング・モール、スーパーマーケット、建売住宅、ドラッグストアー、DO ityourself、リカーのチェーン店、コンビニチェーン,百貨店等バスで見学(午後) ロサンゼルス市内見学 ダウンタウンのショッピング・モール、スーパーマーケット、建売住宅、
ドラッグストアー、DO ityourself、リカーのチェーン店、コンビニチェーン、百貨店等バスで見学(夜の部) ロサンゼルス市内のステーキハウスで飲食 ロサンゼルスヒルトンホテル宿泊
第六日目
(午前中) ロサンゼルス市内見学 近郊のショッピング・モール、スーパーマーケット、建売住宅、ドラッグストアー、DO ityourself、リカーのチェーン店、コンビニチェーン、百貨店等バスで見学(午後) ロサンゼルス市内見学 ダウンタウンのショッピング・モール、スーパーマーケット、建売住宅、ドラッグストアー、DO ityourself、リカーのチェーン店、コンビニチェーン、百貨店等バスで見学(夜の部) ビバリーヒルズのローストビーフレストラン「ローリー」にて飲食 ロサンゼルスヒルトンホテル宿泊
第七日目
(午前中) ロサンゼルス国内空港発 サンフランシスコ国内空港へ 約1時間 (午後) サンフランシスコ国際空港発(JAL) 成田直行便 夕食・朝食・ 機内食
第八日目
昼 成田空港着
☆今回の旅は、26歳の時、初めての海外、ロス・シスコ(米・西海岸)中心の視察の旅であった。米・経済を視察する旅であった。
以上が、最初の「海外旅行の旅」であったが、補足したいので「続編」としました。それは26歳の時であったが、前日の夜中まで仕事をし、翌日早朝に今回の研修旅行の仲間達と集合し、バスで成田に向かい、サンフランシスコに向かったのである。スケジュールは上記の通りであるが、今はわからないが、当時国際線の到着イミグレは国内線と違い、ウエスタン調の装いで、まるで西部劇にきた感じであった。後日、国内線を使ったが、近代的ビルの飛行場であった。最初のホテルは、クリーブランドであったが、ホテルには浴槽がなく、シャワーだけであった。黒人が7割と多く危険であると(今なら人種差別になるが、当時は、そういう時代であった)夜間の外出は禁止であった。朝早く起きて、仲間と街をぶらつき、これがアメリカかと感激したものである。事前研修を受けて行ったが、何かと忙しい仕事の合間を抜けて行くので、アメリカついては非現実的な世界で、想像する時間もなく、日本の延長線の頭で行ったのであるから、何もかもが、物珍しく、見るのも聞くものが新鮮なものであった。全てのものに感心したものである。今も印象に残っているのは、バスの中に、アバの「チキチータ」がズート流れていて、いたく感激したものである。ロスのマリアッチレストランの最前列で、ショーを見ながら食事をしていたが、ショーが終わって、我々、二十数名のテーブルの席に向かって、歌を歌って欲しいとマイクが回されてきた。仕方ないので一人、一人が自分の好きな日本の歌を、日本語で歌ったものである。これも懐かしい思いでの一つである。英語の苦手な者もいたので、マックで並んで注文するが、その注文ができないからやってくれないかと頼むものもいて、変わってやってあげたが、それが参加者の普通のレベルであった。帰りの飛行機では、疲れからか体調を崩し、空いてる後ろの席を何席か使って横になって日本まで帰ってきたのは、どこかで記述したと思うが、その間中、成田まで横で付き添って頂いた、JALのキャビンアテンダントの方には、御礼の申し訳様がない。今更ながらに心から、御礼申し上げる次第です。