SHIDAH’S WEBSITE

人間とは、人生とは・・・・・。摩訶不思議な人生を共にエンジョイしましょう。
(世界一周の旅他)

NY・「リンカーンセンター」で震災復興の高校生、オペラに参加する。

2018-03-21 13:45:37 | Weblog
NHKのニュースで、NYの「リンカーンセンター」で震災復興の日本の高校生が、オペラに40名参加したと報じていた。NYの「世界一周の旅」の時、
ここが「リンカーンセンター」ですと、説明を受け、その前に列を作って人々が並んでいたのを、鮮明に覚えているが、恥ずかしながら、とうの「
リンカーンセンター」がどういうところか、知らなかったのである。「世界一周の旅」の旅は、急に思い立って出かけた旅であったので、「事前勉
強」も「美術関係」が主で、NYの「メトロポリタン美術館」、パリの「ルーブル美術館」、ロンドンの「大映博物館」などは、スケジュールに入れて
いたが、「リンカーンセンター」までは、勉強していなかった。「カーネギーホール」や「マディソンスクエアーガーデン」等は、当時あまりに有名な
ところであったが、「リンカーンセンター」については、無知をさらけだすようであるが、残念ながら知らなかったことは、事実として認めねばならな
い。そのようなわけで、列を作って並んでいても、その理由すらわかっていなかったというお粗末な話であるが、その「リンカーセンター」で震災復興
の高校生40名が「オペラ」に参加しているというのは、画期的なことだと思っている。トランプ大統領になって、アメリカは「アメリカファースト」
特に、経済優先の大国になっていると思いがちであるが、日本の「国会中継」を見ているより、余程「建国」してから日の浅い「アメリカ合衆国」の方が
文化的にも質の高い国になっていると思うのは、私だけであろうか?「マクロ・ミクロ」経済論で最近の「経済学」は語られているが、以前の「経済学」
に、「経済」は社会の土台で、その上に「政治・文化」が存在しているという理論を学んだが、「冷戦終結」から、数十年、「世界の政治・経済・文化」
も、新しい世界に突入していると思えてならない。新しい「経済」「政治」「文化」理論の構築が進んでいるのではなかろうか?その証明は「歴史」とい
う「学問」が、将来「証明」することになると思っている。
リンカーンの有名なゲティスバーグの演説。「government of the people, by the people, for the people」日本語訳は、「人民の、人民に
よる、人民のために」。日本の政治家も「情けない状況を反省して」政治屋から早く脱出して欲しいものである。

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パリのルーブル美術館の「若い女性ガイド」の話

2018-03-17 13:21:53 | Weblog
「世界一周旅行」でNYから大西洋横断し、パリに着き、パリ市内を見て歩いたことは、過去に記述しているが、「ルーブル美術館」でのことであるが、
パリのルーブル美術館を見に行き、入り口から入館し広い階段を上に向かって登っていくと、そこには「モナリザの微笑」が飾ってあった。流石、「
「ルーブル美術館」、期待できるなと思いつつ、中は余りに広く分かりずらく近くにいた、若い女性のガイドさんに英語で質問したところ、最初は、
中々、返事が得られずこれは困ったなと思っていたところ、今までフランス語でしか答えて頂けなかった質問に、其のうちに英語で答えて頂けた。なん
だ英語が喋られるのではないか(ちなみに私は、大学の第二外国語はドイツ語を専攻したので、フランス語はまるでわからない)。そこでの経験で、フ
ランス人は英語は分かっても、自国語のフランス語で喋るようにしているということである。当然といえば当然であるが、2020年を迎え、日本人も外国
人に対して、ボランティアが少ないのが問題になっているようであるが、やはり最初は、日本語で話をし、日本語のレベルがわかったところで、外国人
の母国語がわかれば、それに答えるようにしていけば、余り、失礼な思いをさせないですむのではないかと思う次第である。

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「韓国の旅」の続きです。

2018-03-11 15:24:22 | Weblog
ピョンチャンパラリンピックが始まっているが、記述の「釜山、チンドウ、ワンドウ、ソウルの旅」の、最終日のソウルの旅の最後の夜のことであるが、
先日のTV放映で、韓国の宮廷料理等の言葉を使っていたので、敢えて疑問に思っていたことを記述することにしました。ソウルで最後の夜は、当時
言われていた、「キーセン・パーティ」に行った時の話なのである。昔の宮廷跡で「宮廷料理」を食べることになったのであるが、その後、「キー
セン・パーティ」は死語になったのか?使用禁止語になったのかは知るすべがないので、もし何か問題があるのなら、「時効」ということで、御勘弁
願いたい。どこの国にも「光と影」の部分があり、「キーセン・パーティー」は当然、「影」の部分であるのであろう。全然、その言葉も、知らなか
ったし、その知識もなかったのである。今更ながらに公開する話ではないのかもしれないが、個人的には、あの時の、あの世界は何であったのだろう
かと「韓国・ソウル」の話を思いだすと、そのときのことが、脳裏に浮かんでくるのである。世界の政治・経済も激動しているが、歴史的にはその流
れの一つであったのだろうかと、想像するしかない。若い時の話とは云え、「自分自身の馬鹿さ加減」を披露しているのかもしれないが、民主主義が
世界の潮流になっているわけであるから、歴史的産物とは云え、「封建的」な産物は消え行くのみと「歴史から学ばなければならない」と、思っている
が、日本の歴史を振り返っても同じことであろう。知らなかったでは済まない、「無知」故の話かもしれない。

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