「島崎城跡を守る会」島崎城跡の環境整備ボランティア活動記録。

島崎城跡を守る会の活動報告・島崎氏の歴史や古文書の紹介と長山城跡・堀之内大台城の情報発信。

【PDF】「島崎盛衰記」箕輪徳次郎氏 前編 

2024-02-07 15:48:29 | 歴史
昭和48年に発行された、麻生町(現・行方市在住の箕輪徳次郎氏の著作本「島崎盛衰記」をご紹介します。【PDF】
ページ数が73頁におよびますので、三回に分けて掲載いたします。
前編は 島崎氏家系の事より
1.将門謀叛国香陣没貞盛帰郷の事
2.貞盛秀郷協力して将門を倒す事
3.常陸大掾宗幹義経に従い屋島奮戦の事
4.大掾宗幹屋島に戦死二男高幹島崎大祖
5.高幹島崎に築城の事
6.長国霞浦禅林開設の事  
の内容を紹介します。


「泥之介と亀」 ふるさとのむかしばなし 行方市(麻生町史)

2024-01-10 19:16:42 | 歴史
ふるさとの昔ばなしシリーズ 行方市
土呂之助と亀
むかし、矢幡(現在の行方市矢幡)の高台に、北浦が眺望できる「矢幡要害*1」がありました。
 かつて島崎城(現在の潮来市島須)の家老*2職にあった土子土呂之助(泥之助)が廃城後、北浦の水上目付*3となり館を築いたことから、「土子の要害台」ともいわれています。
 あるとき、村人たちが北浦の沖を眺めながら大騒ぎをしておりました。何事かと土呂之助が要害台から見やると、湖上に何やら怪しげな大きな物体が浮かんでいるのです。
 「あれがこのあたりの水田を荒らしまわっている大亀か。よし、私が退治してやろう。」弓の名人でもあった土呂之助が大亀にねらいをつけ矢を放つと、矢は見事に亀の背中に命中したのです。
 息をこらして見守っていた村人たちから、どっと歓声が上がりました。背に矢を受けた亀は次第に沖へ沖へと流され、やがて見えなくなってしまいました。
 それからしばらくして、土呂之助が武者修行*4の旅に出、鎌倉の宿屋に泊まったときのことです。宿の床の間に見覚えのある弓矢が飾ってありました。手に取って見ると、矢に自分の銘*5が入っているではありませんか。
 宿の主人を呼んで聞いてみると、「背中に矢をうけた大きな亀が流れ着いたので、何かわけがあるのだろうと思い大事に取っておいたのです。」という。「で、亀の方は。」とたずねると、亀は裏の洗い場においてあるというのです。
 

 見ると、畳一畳分もある亀の甲が、洗い場の踏み台として使われておりました。『これがあの時の大亀か。なんという不思議な巡り合わせだ。』
 なんとなくいやな予感がしたものの、土呂之助が亀の背に足をかけると、甲羅は突然パックリと二つに割れたのです。
 その時、土呂之助は足をとられて転び、軽い怪我をしてしまいました。後に、その傷がもとで破傷風*6になり、旅先で亡くなったのだという話も残されています。

*1 要害地勢がけわしく、守りやすく攻めにくい場所。とりで。
*2 家老江戸時代、大名に仕えて家中を統率する最高位の家臣。また、その職。この名は鎌倉時代からあった。
*3 目付非法を検察し、これを主君に報告した監察官。
*4 武者修行武士が諸国を回って、武術の修行・鍛錬をすること。
*5 銘刀剣など器物に刻み記した製造者の名。
*6 破傷風外傷から体内に入った破傷風菌の毒素のために起る感染病。

参考資料「麻生町史 通史・民俗編」(麻生町)
「茨城県の歴史散歩」(茨城県歴史散歩研究会)
「旧麻生町老人会・代表 飛騨春雄氏文書」








「潮来市民文化祭」に活動報告の展示を行なっています。

2023-11-10 17:16:07 | 歴史
本日、11月10日より12日まで開催されている「潮来市民文化祭」の展示部門にて島崎城跡を守る会では、活動報告の展示を行なっております。
会場は、潮来市日の出の中央公民館の体育館にて、朝10時より展示しております。城跡好きな方や島崎氏・中世戦国時代の歴史好きな方には、参考となる資料が展示しております。また、当会の環境整備活動写真や城跡予測図の変遷等も展示しております。皆様のご来場をお待ちしております。



潮来市悠々塾の方が城跡見学に訪れました。

2023-10-26 16:53:03 | 歴史
潮来市悠々塾は事業主体を高齢者クラブ連合会とし、市内在住のおおむね60歳以上の方を対象に、各種講座を開催しています。
今回は「歴史講座」の受講生22名の方が熱心に城跡を見学しました。

見学風景の画像を紹介します。