志村と言うと、コメディアンのを真っ先に思い浮かべるかもしれません。
コロナ禍で逝ってしましましたが、一世を風靡したお笑い芸人です。
次の人を知っているとしたら、映画通 志村喬(たかし)です。
写真は「生きる」という映画のものですが、黒澤映画には欠かせない名優でした。
その次はフジパブリックの志村正彦、才能のあるシングソングライターでしたが早逝。
4人目は志村直愛 大学の建築の教授ですがテレビ出演あり。
全国に志村という名前は結構あって、特に山梨県、東京西部、神奈川に多いようです。
では、秋田県由利本荘市の志村はどこの流れなのでしょうか。
秋田県では志村の姓は珍しく、本荘周辺にしか現れません。
私の祖先は、江戸時代は地元の藩(六郷藩)の下級武士です。
二戸の志村家が藩の分限帳に記載されています。
私の祖先初代源内は宝永七年(1711年)、六郷藩の分限帳に登場するのですが、
それ以前の志村家の跡を追いかけると…
どうも山形市の北部漆山地区志村の出身ではないかと思われるのです。
六郷藩の前は、最上の家臣楯岡豊前守満茂が本荘に城を築き本城氏を名乗るわけですが、
その領地四万五千石、大家臣団が山形から移り住むことになりました。
その時の城下絵図に 家臣の志村の屋敷跡が二カ所
絵図の書かれたのは1610年代と思われます。
これが本荘に初めて志村の名前が登場した記録になります。
本城氏の家来としての志村…その一族はどのようなものだったのでしょう。
…続く