新横浜 占いの真龍堂

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神社めぐり 1976 上野國総鎮守 総社神社

2022-05-18 05:12:51 | 占い
新横浜 占いの真龍堂です

都道府県庁所在地の神社を巡ります


今回は 群馬県前橋市の 上野國総鎮守 総社神社 です

人皇第十代崇神天皇は、御所の中に天照大神をお祀りしてあったが、
これは神威を穢すと思し召しになり大和の笠縫村の小高いところにお遷しして祀られた。
また、国土の平定のため武勇の優れた皇族方を選んで北陸、東海、山陰の各地に派遣され、
良民を苦しめる悪者を退治し、荒れ地や野山の開拓や植民を行われた。
これを四道将軍と呼んでいる。

なお、国家が良民を保護し安心して生活ができるようにしてやるための費用として
男には「手末調」(現在の租税)を出させて国家組織の整備に尽くされた。
また、天皇は皇子豊城入彦命を不安定であった東国平定のために派遣された。
男の弓弭調としては毛皮など、女の手末調としては織物など

崇神天皇の四十八年三月皇子豊城入彦命は東国平定の命を奉じ、
上野にお下りになられるや、神代の時代に国土の平定に貢献された
経津主命の御武勇を敬慕され、軍神としてその御神霊を奉祀して御武運の長久を祈られ、
また、経津主命の親神(ご両親)である磐筒女命の御二方をも合祀せられた。
これが当社の始まりである。

豊城入彦の子孫は、代々上毛野国君としてこの地に全盛を施し、
当社を熱く崇敬されてきた。その後、人皇第二十七代安閑天皇の九年三月、
上毛野国君小熊王は、社殿を改築して郷名に因んで蒼海明神と称えるようになった。

人皇第四十二代文武天皇の大宝元年、大宝律令の制定により
東国文化の中心で上毛野国は「毛」をのぞいて「上野国」と書くようになった。
また呼び名も「かみつけぬのくに」から「かみつけのくに」
そして次第に「こうづけのくに」に変わっていった。
もともと毛は毛人と書いて蝦夷(えみし)と同義語にもちいられ、
大和朝廷に反抗する異種族としてとらえられていることもあり、
響きの悪い言葉であったため「毛」をのぞいた物と思われる。
また延喜式巻第二十二部には「凡そ諸国部内の郡里等の名は
二字を用いて嘉名をとれ」とある。

国分寺を完成させた当時の三代目国司大宅大国公(参考文献によると「大伴宿濔伯麻呂」)は、
寄せる崇敬殊に篤く、旦に社殿に額づき夕に寺塔に詣でるを例とし、
上野国治国の要諦としたと伝えられる。また、国司は国内各地の神社に幣束を捧げ、
親しく巡拝していたが、人皇第五十六代清和天皇のころ国司は
上野国内各社の神明帳を作り、国内十四郡に鎮座する総五百四十九社を勧請合祀し、
当社を参詣することにより国内全部の神社を参詣したこととし巡拝奉幣の労を省いた。
国内総五百四十九社を合祀したことにより総社と称え、
社号を総社大明神と改称した。このとき国司より献納された額に
「正一位護国霊験惣社大明神」とあり、これは今も当社の宝として
宝物殿に納められている。また、この額は清和天皇の勅額で有ると言われている。


◇所在地

群馬県前橋市元総社町1-31-45

◇交通アクセス(最寄りの駅)

JR新前橋駅西口 徒歩15分


< 上野國総鎮守 総社神社 ホームページより >
https://www.net-you.com/souja/



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