新横浜 占いの真龍堂です
占いは苦手と思う方も悩んだら是非一度お越しください
占術をツールとしたカウンセリングルームです
◇1月は
8(火)11(金)
15(火)18(金)
22(火)25(金)
29(火)
5(土)12(土)16(水)26(土)30(水)
午後在室しております
真龍堂のHPから予約できます
空き状況を確認して予約してください
予約が入っていたり
在室予定以外の日や時間でも
対応できる事がありますので
ご遠慮なく電話又はメールしてください
建築士、カウンセラーの資格をもつ鑑定士が
「哲学」「統計学」「心理学」を駆使し、
スピリチュアルな感性を研ぎ澄まし、
良心的に現実的に
あなたの未来に希望の光を灯します。
真龍堂は
あなたが作るあなたの明日を応援します
電話 080-6597-7388
メール ma@shinryu-do.com
神社めぐり759 は 駒形神社(こまがたじんじゃ)『日本神社一00選』臼田甚五郎氏監修 です
【駒形神社】
御祭神
天照大御神
天常立尊 アメノトコタチノミコト
國狭槌尊 クニノサヅチノミコト
吾勝尊 アカツノミコト
置瀬尊 オキセノミコト
彦火火出見尊 ヒコホホデミノミコト
上古の代、関東に毛野一族が台頭し、
赤城山を崇敬し、赤城の神を祀って上野平野を支配したが、
後に上毛野国と下毛野国に分れ、
下毛野氏は日光火山に二荒山神社を創建。
休火山を背景として奉祀されたもので、
赤城火山の外輪山にも駒形山があり、
二荒山神社の古縁起に『馬王』という言葉が散見する。
上毛野・下毛野氏は、勢力を北にのばし、
行く先々に祖国に習い、休火山で外輪山を持つ形のいい山を捜し出し、
連山の中で二番目の高峰を駒ケ岳又は駒形山と名付け、
駒形大神を奉祀した。
奥州にも及び、胆沢平野から雄姿を目にし、
山頂に駒形大神を勧請し、駒ケ岳と命名した。
これは、上毛野胆沢公によるものであり、
時は雄略天皇の御代(456年ころ)であった。
このように全国の秀峰に祀られた駒形神社の中で
、延喜式神名帳にあるのは宮城県栗原郡駒形根神社と
当社の二社のみである。
当社が従四位下に神階を進めたのは、
陸奥国胆沢城を創建した征夷大将軍坂上田村麻呂による
崇敬の念の篤かったことから始まり、
この鎮守府の度々の上奏によるものだった。
駒形という名称は、古く赤城神社をカラ社と呼んだ歌があり、
コマをカラと歌った。
当時の朝鮮は高麗朝時代であり、
文化伝来の憧れの国でもあったので
コマということばを用い世間に誇示した。
箱根山縁起の箱根神社が駒形神社を奉祀するのは、
朝鮮から高麗大神を勧請したと記載しているのと同様である。
このように赤城の神は駒形の神とも言える。
坂上田村麻呂や源頼義・義家父子も駒形大神を篤く崇敬し、
武運祈願成就した事実を知るにつけ、
奥州に栄華を築いた藤原四代の崇敬も篤かった。
平泉より北上川を隔てて、東に望む束稲山は駒形山とも言う。
このことは峻険な駒ケ岳を度々登拝することは困難を来たす事もあり、
この山に駒形大神を奉祀したと考えられる。
箱根縁起に藤原秀衡が銅をもって神像を鋳。
駒形の神を祀ったことは藤原氏がいかに崇敬の誠を捧げたか
想像することが出来る。
かくして駒形神社の崇敬は華々しく、
分社は東北各県より関東に亘り、その数、百余社に及んでいる。
◇最寄りの駅
JR水沢駅より徒歩10分
◇所在地
岩手県奥州市水沢中上野町1-83
<駒形神社 ホームページより >
http://komagata.iwate.jp/
占いは苦手と思う方も悩んだら是非一度お越しください
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◇1月は
8(火)11(金)
15(火)18(金)
22(火)25(金)
29(火)
5(土)12(土)16(水)26(土)30(水)
午後在室しております
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スピリチュアルな感性を研ぎ澄まし、
良心的に現実的に
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神社めぐり759 は 駒形神社(こまがたじんじゃ)『日本神社一00選』臼田甚五郎氏監修 です
【駒形神社】
御祭神
天照大御神
天常立尊 アメノトコタチノミコト
國狭槌尊 クニノサヅチノミコト
吾勝尊 アカツノミコト
置瀬尊 オキセノミコト
彦火火出見尊 ヒコホホデミノミコト
上古の代、関東に毛野一族が台頭し、
赤城山を崇敬し、赤城の神を祀って上野平野を支配したが、
後に上毛野国と下毛野国に分れ、
下毛野氏は日光火山に二荒山神社を創建。
休火山を背景として奉祀されたもので、
赤城火山の外輪山にも駒形山があり、
二荒山神社の古縁起に『馬王』という言葉が散見する。
上毛野・下毛野氏は、勢力を北にのばし、
行く先々に祖国に習い、休火山で外輪山を持つ形のいい山を捜し出し、
連山の中で二番目の高峰を駒ケ岳又は駒形山と名付け、
駒形大神を奉祀した。
奥州にも及び、胆沢平野から雄姿を目にし、
山頂に駒形大神を勧請し、駒ケ岳と命名した。
これは、上毛野胆沢公によるものであり、
時は雄略天皇の御代(456年ころ)であった。
このように全国の秀峰に祀られた駒形神社の中で
、延喜式神名帳にあるのは宮城県栗原郡駒形根神社と
当社の二社のみである。
当社が従四位下に神階を進めたのは、
陸奥国胆沢城を創建した征夷大将軍坂上田村麻呂による
崇敬の念の篤かったことから始まり、
この鎮守府の度々の上奏によるものだった。
駒形という名称は、古く赤城神社をカラ社と呼んだ歌があり、
コマをカラと歌った。
当時の朝鮮は高麗朝時代であり、
文化伝来の憧れの国でもあったので
コマということばを用い世間に誇示した。
箱根山縁起の箱根神社が駒形神社を奉祀するのは、
朝鮮から高麗大神を勧請したと記載しているのと同様である。
このように赤城の神は駒形の神とも言える。
坂上田村麻呂や源頼義・義家父子も駒形大神を篤く崇敬し、
武運祈願成就した事実を知るにつけ、
奥州に栄華を築いた藤原四代の崇敬も篤かった。
平泉より北上川を隔てて、東に望む束稲山は駒形山とも言う。
このことは峻険な駒ケ岳を度々登拝することは困難を来たす事もあり、
この山に駒形大神を奉祀したと考えられる。
箱根縁起に藤原秀衡が銅をもって神像を鋳。
駒形の神を祀ったことは藤原氏がいかに崇敬の誠を捧げたか
想像することが出来る。
かくして駒形神社の崇敬は華々しく、
分社は東北各県より関東に亘り、その数、百余社に及んでいる。
◇最寄りの駅
JR水沢駅より徒歩10分
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岩手県奥州市水沢中上野町1-83
<駒形神社 ホームページより >
http://komagata.iwate.jp/
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