福岡万葉散歩

街の様子や木々や草花を眺め乍ら、先人の俳句や和歌を織り込んで、今の季節を楽しみたい。たまには万葉散歩も楽しみたい。

2012.3.14(水) 二水会で天神へ出る

2012-03-16 | まち歩き

二水会で天神へ出た。会場は何時ものビルの地下1階にある

益正天神店である。今日は健康談義に花が咲いた。聞くべき、

参考になる話ばかりであった。自分の死を考えるための資料

も配布された。そうありたいと思いはするが、自分が死を意識

してから死後まで、生き残った人を律することはできないだろう

と思いながも、話は続いていった。

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明治通りから西へ天神交差点を望む

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益正天神店にて

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西中洲「すくーる」にて

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西中洲「すくーる」にて

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西中洲「すくーる」にて

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西中洲「りんご」にて


2012.2.8(水) 二水会で天神へ行く

2012-02-10 | まち歩き

2℃よりは上がらないという寒い日だったが、おもいきり着込んで

二水会の天神へ出た。

何時もの焼酎「黒霧島」のあとに、「佐藤・黒麹仕込」を味わった

が、これはうまいという声が上がった。

焼酎「黒霧島」は宮崎県都城市の霧島酒造のもの。

焼酎「佐藤・黒麹仕込」は鹿児島県霧島市の佐藤酒造のもの。

いろいろの焼酎の銘柄を楽しみながら、果てし無き議論が続く

この会が続くことを願うばかりだ。

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車内から渡辺通りの天神交差点をみる

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益正天神店にて

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終わりに近づいた蝋梅の花  「唐梅」、「南京梅」という異名もあるとか

   蝋梅や夢の山みな古墳型      澁谷 道


2012.1.25(水) 寒波襲来、椿咲く

2012-01-25 | まち歩き

外は雪が舞っている。外気温は4℃位か、風があるのですごく

冷たく感じる。この寒さは1週間位続くとTVはいっている。

この寒さの中でも椿は艶やかに咲いている。

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椿    大神楽

   わが門(かど)の片山椿まこと汝(なれ)

      わが手触れなな土に落ちもかも

         物部広足(もののべのひろたり) 万葉集巻二十--4418

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椿     

   ひとつ咲く酒中花はわが恋椿      石田波郷


2012.1.23(月) 水仙と山茶花の花が咲く

2012-01-23 | まち歩き

水仙の何ともいえぬ良い匂いが好い。山茶花(サザンカ)の花も

咲いて、いま冬を実感する。外気温も約4℃と下がってきた。

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水仙   別名「雪中花」

   其のにほひ桃より白し水仙花      芭蕉

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山茶花(サザンカ)

   山茶花のこゝを書斎と定めたり      正岡子規   

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山茶花(サザンカ)

   山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ      加藤楸邨


2012.1.17(火) 蝋梅の花が咲く

2012-01-19 | まち歩き

寒さの厳しい今日、この頃、蝋梅(ロウバイ)の花が開き始めた。

蜜蝋に似た黄色の花が、何ともいえない良い匂いを放っている。

私にはこの甘い芳香が読書でもしようかという気を引くようにも思

われたが、結局そうはしなかった。TVの録画を見たのだった。

   しらじらと障子を透す冬の日や

     部屋に人なく蝋梅の花        窪田空穂

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蝋梅(ロウバイ)   英名winter sweet

   蝋梅や雪うち透す枝のたけ      芥川龍之介

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蝋梅(ロウバイ)   英名winter sweet

   蝋梅や薄雪庭を刷きのこす      水原秋桜子

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蝋梅(ロウバイ)   英名winter sweet

   蝋梅の香の一歩づつありそめし      稲畑汀子


2012.1.11(水) 二水会で天神に出る

2012-01-12 | まち歩き

今日は強烈に冷え込んでおり、天神に着く頃には、体の具合が

沈み込むような嫌な感じになって来た。二水会の新年会が始り

薩摩焼酎黒霧島のお湯割りを飲んで、漸く気分も落ち着いて

来た。自分の墓はどうしようか?式はどうしようか?骨はどう

しようか?などという話の中で、つまるところそれは残された

者がすることだから、彼・彼女らの意思によるしかないという話

に、妙に納得した。

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渡辺通りの大丸前交差路から天神交差点の天神ビルを見る

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益正天神店での新年会

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帰路に車窓に見たホテルニューオオタニ博多  外は冷えているようだ


2011.12.14(水) 二水会で天神へ出る

2011-12-31 | まち歩き

二水会で天神へ出た。今年最後の忘年会となるであろう。

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天神エルガーラ通りのクリスマス雪ダルマ

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天神 西鉄福岡駅中央口

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明治通りから天神交差点を見る

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益正天神店にて

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益正天神店にて

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中洲 エステリオにて

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中洲 エステリオにて

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中洲 エステリオにて


2011.12.11(日) 福岡市・野芥に鳥料理を食す

2011-12-31 | まち歩き

福岡市西油山の麓にある野芥に、紅葉や桜、紫陽花で知られる

徳栄寺を訪ね、その近くにある料理屋で鳥料理に舌鼓をうった。

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徳栄寺参道  左側の植込みは紅葉したドウダンツツジ

福岡市早良区野芥の徳栄寺は西油山の麓に展開し、桜やモミジと共に

あじさい寺ともいわれているようだ。ドウダンツツジの下に紫陽花の植込

みがみえる。

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徳栄寺門前   門前に神社の結界が張られている

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日蓮宗妙見山徳栄寺

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徳栄寺境内にある水行場

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鳥料理屋   福岡市野芥

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新聞に載った叔母さんの絵手紙

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鳥料理屋に集う

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鳥料理屋の玄関内より徳栄寺のある西油山を見る

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福岡都市高速より西方に万葉集に詠われた大野山(四王寺山)

(大城山)(標高410m)を見る。その後方は宝満山のある三郡山系

   いちしろく時雨の雨は降らなくに

      大城(おおき)の山は色づきにけり

               作者不詳 万葉集巻十--2197


2011.11.26(土) 博多 綱敷天満宮を訪ねる

2011-12-28 | まち歩き

菅原道真が博多に上陸した際、地元の漁民が綱を巻いて輪に

して腰掛けにと勧めたという故事にちなむ綱敷天満宮(福岡市

博多区綱場町)を訪ねた。

     自詠 (菅原道真)

 離家三四月   家を離れて三四月(みつよつき)

 落涙百千行   落つる涙は百千行(ももちつら)

 万事皆如夢   万事 皆 夢の如し

 時々仰彼蒼   時々 彼の蒼を仰ぐ

道真は901(昌泰四)年二月一日、京の家を離れているので、

この自詠は同年四月か五月の詠であろうといわれている。

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綱場町から店屋町、冷泉町へと続く通り   この道をすぐ左に折れる

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綱場町の通り   左の角を入る

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30~40メートルほど行くと左に綱敷天満宮が見える

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綱敷天満宮     福岡市博多区綱場町

 

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綱敷天満宮     福岡市博多区綱場町

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綱敷天満宮案内板

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綱敷天満宮案内板 筑前国名所絵図に描かれた綱輪天神社と鏡天神社

左が綱輪天神社で今の綱敷天満宮(福岡市博多区綱場町)

右が鏡天神社で今の鏡天満宮(福岡市博多区下川端町)

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綱敷天満宮


2011.11.25(金) 博多駅で友人と会う

2011-12-24 | まち歩き

今夏タイの大洪水の時に滞在し、この程帰国した友人と博多駅で

会った。北のチェンマイから西のカンチャナプリまで車で行こうと

したが、アユタヤからバンコクの東を大きく迂回しながら海岸線

に出てカンチャナプリに着くという始末であったと。

王朝の名残りを今に伝えるアユタヤと天使の都と謳われる

バンコクの洪水からの復活を願わざるを得ない。

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博多駅筑紫口玄関

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博多駅筑紫口の博多デイトス食堂街入口

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八仙閣博多駅店にて

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今年3月新築された博多駅ビルのアミュプラザにあるコーヒー店

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エスプレッサメンテイリー アミュプラザ博多店

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エスプレッサメンテイリー アミュプラザ博多店

JR博多駅の正面に掲げられた大時計をビルの5階の

内側から見る。窓の向こうは博多湾に続く大博通り。


2011.11.18(金) 西鉄グランドホテルに行く

2011-12-17 | まち歩き

会社の九州支社関係OB会に出席するために、福岡市・大名の

西鉄グランドホテルへ行った。この日は九州北西部各地に竜巻

警報が出るなど大荒れの天候が予想されたが、ここ福岡は雨が

降るだけで事なきを得た。

このOB・OG会は長老から若手までが参集し、大盛況のうちに

散会となった。

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西鉄グランドホテルの入口付近

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西鉄グランドホテルの対面に位置する大名カトリック教会

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西鉄グランドホテル正面玄関

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西鉄グランドホテルロビー

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西鉄グランドホテルの滝のある内庭

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OB会風景

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閉会後のクローク前風景


2011.11.9(水) 二水会で天神へ出る

2011-12-13 | まち歩き

月例の二水会に出席するため、福岡市天神へ出かけた。

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西鉄福岡(天神)ターミナルから福岡市役所方向を見る

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西鉄福岡(天神)ターミナルから天神交差点方向を見る

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西鉄福岡(天神)駅プラットホーム

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天神交差点の天神ビル  午後5時半ごろ

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天神益正店にて

何時ものように、時事問題を中心に議論沸騰すれど結論なし。

これが定例会の定めであろうか。いいことだと思うことしきり。

今日は伊勢海老のお造りとその殻を使った味噌汁が出ると

いう豪華版の肴もあったが、ホークスの優勝セールとかで

いつもの半額ということであった。


2011.10.12(水) 西鉄福岡(天神)駅の辺り

2011-10-14 | まち歩き

今日は二水会の日で、久し振りに西鉄大牟田線で天神へ出た。

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西鉄福岡(天神)駅北口コンコース(2F)

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西鉄福岡(天神)駅北口1F

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西鉄福岡(天神)駅北口1Fから天神コアを見る

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旧岩田屋本館を大改修してオープンした「パルコ」

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「パルコ」前広場から新天町商店街を望む

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益正天神店で開いた二水会 8名全員参加だ

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天神交差点から「パルコ」と「天神ビル」を望む


2009.9.8(火) 阿修羅を太宰府に観る

2011-09-30 | まち歩き

今日は、太宰府の九州国立博物館にやって来た待望の興福寺の阿修羅像を

観た。興福寺は藤原氏の氏寺として、和銅3年(710)の平城京遷都とともに

建立されたという。

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太宰府天満宮の表参道を行く

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太宰府天満宮の表参道の突き当りの鳥居を入った右手にある菅原道真の歌碑

       東風(こち)ふかばにほひおこせよ梅の花

            あるじなしとて春なわすれそ

  この歌は昌泰四年(901)二月一日に道真が自邸を去るときの心境として

  御前の梅花をご覧じて詠まれたと「大鏡」は伝えているという。これに続けて

  無実の罪で大宰府に配流されていくことも「大鏡」は間接的に述べているという。

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太宰府天満宮の反橋(そりはし)の右を行く

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太宰府の九州国立博物館には入場を待つ人の長い列が幾重にも続いている

この日の待ち時間は2時間半と出ていた

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後どれ位で入れるのだろうか

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館内のエスカレーターで会場に向う。中央の飾りは博多祇園山笠の飾り山

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阿修羅展会場入り口

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阿修羅展会場入り口のパネルの前で

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阿修羅展会場入り口のパネルの前で

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天平彫刻の華  国宝  阿修羅像

  興福寺創建1300年記念特別展として太宰府の九州国立博物館に

  「阿修羅」を筆頭とする国宝の八部衆像8体のうち5体、十大弟子像

  (現存6体)のうち4体がやって来た。

  興福寺を発願した藤原不比等の娘、聖武天皇の后・光明皇后は天平六年

  (734)、母の供養のため、興福寺に西金堂を建てた。(焼失して現在は

  跡地が残るのみ)お堂の本尊(焼失して鎌倉時代に復興)を取り囲んだのが、

  阿修羅など八部衆像と十大弟子像だったという。

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九州国立博物館阿修羅展会場からトラベーターで帰路につく

トラベーター横の通路には阿修羅展会場に向う人々の行列ができている

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太宰府天満宮側の九州国立博物館入口エスカレーター付近

ここにも入場を待つ人の列ができている

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太宰府天満宮の菖蒲池脇の梅林に建つ万葉歌碑

     萬代(よろづよ)に年は來経(きふ)とも梅の花

        絶ゆることなく咲き渡るべし    筑前介佐氏子首(こびと)

                                 万葉集巻五-830

  天平二年正月十三日に、大宰府の帥・大伴旅人(当時66歳)宅にて

  開かれた宴会で詠まれた、梅花の歌三十二首のうちの一首である。

  当時筑前介は筑前守・山上憶良のすぐ下の役であったという。

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太宰府天満宮参道の「やす武」で具雑煮の昼食をとる