福岡市西油山の麓にある野芥に、紅葉や桜、紫陽花で知られる
徳栄寺を訪ね、その近くにある料理屋で鳥料理に舌鼓をうった。
徳栄寺参道 左側の植込みは紅葉したドウダンツツジ
福岡市早良区野芥の徳栄寺は西油山の麓に展開し、桜やモミジと共に
あじさい寺ともいわれているようだ。ドウダンツツジの下に紫陽花の植込
みがみえる。
徳栄寺門前 門前に神社の結界が張られている
日蓮宗妙見山徳栄寺
徳栄寺境内にある水行場
鳥料理屋 福岡市野芥
新聞に載った叔母さんの絵手紙
鳥料理屋に集う
鳥料理屋の玄関内より徳栄寺のある西油山を見る
福岡都市高速より西方に万葉集に詠われた大野山(四王寺山)
(大城山)(標高410m)を見る。その後方は宝満山のある三郡山系
いちしろく時雨の雨は降らなくに
大城(おおき)の山は色づきにけり
作者不詳 万葉集巻十--2197
菅原道真が博多に上陸した際、地元の漁民が綱を巻いて輪に
して腰掛けにと勧めたという故事にちなむ綱敷天満宮(福岡市
博多区綱場町)を訪ねた。
自詠 (菅原道真)
離家三四月 家を離れて三四月(みつよつき)
落涙百千行 落つる涙は百千行(ももちつら)
万事皆如夢 万事 皆 夢の如し
時々仰彼蒼 時々 彼の蒼を仰ぐ
道真は901(昌泰四)年二月一日、京の家を離れているので、
この自詠は同年四月か五月の詠であろうといわれている。
綱場町から店屋町、冷泉町へと続く通り この道をすぐ左に折れる 綱場町の通り 左の角を入る 30~40メートルほど行くと左に綱敷天満宮が見える 綱敷天満宮 福岡市博多区綱場町
綱敷天満宮 福岡市博多区綱場町
綱敷天満宮案内板
綱敷天満宮案内板 筑前国名所絵図に描かれた綱輪天神社と鏡天神社
左が綱輪天神社で今の綱敷天満宮(福岡市博多区綱場町)
右が鏡天神社で今の鏡天満宮(福岡市博多区下川端町)
綱敷天満宮
今夏タイの大洪水の時に滞在し、この程帰国した友人と博多駅で
会った。北のチェンマイから西のカンチャナプリまで車で行こうと
したが、アユタヤからバンコクの東を大きく迂回しながら海岸線
に出てカンチャナプリに着くという始末であったと。
王朝の名残りを今に伝えるアユタヤと天使の都と謳われる
バンコクの洪水からの復活を願わざるを得ない。
博多駅筑紫口玄関
博多駅筑紫口の博多デイトス食堂街入口
八仙閣博多駅店にて
今年3月新築された博多駅ビルのアミュプラザにあるコーヒー店
エスプレッサメンテイリー アミュプラザ博多店
エスプレッサメンテイリー アミュプラザ博多店
JR博多駅の正面に掲げられた大時計をビルの5階の
内側から見る。窓の向こうは博多湾に続く大博通り。
今日は、太宰府の九州国立博物館にやって来た待望の興福寺の阿修羅像を
観た。興福寺は藤原氏の氏寺として、和銅3年(710)の平城京遷都とともに
建立されたという。
太宰府天満宮の表参道を行く
太宰府天満宮の表参道の突き当りの鳥居を入った右手にある菅原道真の歌碑
東風(こち)ふかばにほひおこせよ梅の花
あるじなしとて春なわすれそ
この歌は昌泰四年(901)二月一日に道真が自邸を去るときの心境として
御前の梅花をご覧じて詠まれたと「大鏡」は伝えているという。これに続けて
無実の罪で大宰府に配流されていくことも「大鏡」は間接的に述べているという。
太宰府天満宮の反橋(そりはし)の右を行く
太宰府の九州国立博物館には入場を待つ人の長い列が幾重にも続いている
この日の待ち時間は2時間半と出ていた
後どれ位で入れるのだろうか
館内のエスカレーターで会場に向う。中央の飾りは博多祇園山笠の飾り山
阿修羅展会場入り口
阿修羅展会場入り口のパネルの前で
阿修羅展会場入り口のパネルの前で
天平彫刻の華 国宝 阿修羅像
興福寺創建1300年記念特別展として太宰府の九州国立博物館に
「阿修羅」を筆頭とする国宝の八部衆像8体のうち5体、十大弟子像
(現存6体)のうち4体がやって来た。
興福寺を発願した藤原不比等の娘、聖武天皇の后・光明皇后は天平六年
(734)、母の供養のため、興福寺に西金堂を建てた。(焼失して現在は
跡地が残るのみ)お堂の本尊(焼失して鎌倉時代に復興)を取り囲んだのが、
阿修羅など八部衆像と十大弟子像だったという。
九州国立博物館阿修羅展会場からトラベーターで帰路につく
トラベーター横の通路には阿修羅展会場に向う人々の行列ができている
太宰府天満宮側の九州国立博物館入口エスカレーター付近
ここにも入場を待つ人の列ができている
太宰府天満宮の菖蒲池脇の梅林に建つ万葉歌碑
萬代(よろづよ)に年は來経(きふ)とも梅の花
絶ゆることなく咲き渡るべし 筑前介佐氏子首(こびと)
万葉集巻五-830
天平二年正月十三日に、大宰府の帥・大伴旅人(当時66歳)宅にて
開かれた宴会で詠まれた、梅花の歌三十二首のうちの一首である。
当時筑前介は筑前守・山上憶良のすぐ下の役であったという。
太宰府天満宮参道の「やす武」で具雑煮の昼食をとる