福岡万葉散歩

街の様子や木々や草花を眺め乍ら、先人の俳句や和歌を織り込んで、今の季節を楽しみたい。たまには万葉散歩も楽しみたい。

2011.12.14(水) 二水会で天神へ出る

2011-12-31 | まち歩き

二水会で天神へ出た。今年最後の忘年会となるであろう。

2011_12_14_004

天神エルガーラ通りのクリスマス雪ダルマ

2011_12_14_005

天神 西鉄福岡駅中央口

2011_12_14_009

明治通りから天神交差点を見る

2011_12_14_010a

益正天神店にて

2011_12_14_011a

益正天神店にて

2011_12_14_017b

中洲 エステリオにて

2011_12_14_016a

中洲 エステリオにて

2011_12_14_015a

中洲 エステリオにて


2011.12.11(日) 福岡市・野芥に鳥料理を食す

2011-12-31 | まち歩き

福岡市西油山の麓にある野芥に、紅葉や桜、紫陽花で知られる

徳栄寺を訪ね、その近くにある料理屋で鳥料理に舌鼓をうった。

2011_12_11_055

徳栄寺参道  左側の植込みは紅葉したドウダンツツジ

福岡市早良区野芥の徳栄寺は西油山の麓に展開し、桜やモミジと共に

あじさい寺ともいわれているようだ。ドウダンツツジの下に紫陽花の植込

みがみえる。

2011_12_11_058

徳栄寺門前   門前に神社の結界が張られている

2011_12_11_062

日蓮宗妙見山徳栄寺

2011_12_11_059

徳栄寺境内にある水行場

2011_12_11_064

鳥料理屋   福岡市野芥

2011_12_11_066a

新聞に載った叔母さんの絵手紙

2011_12_11_068a

鳥料理屋に集う

2011_12_11_071a

鳥料理屋の玄関内より徳栄寺のある西油山を見る

2011_12_11_073a

福岡都市高速より西方に万葉集に詠われた大野山(四王寺山)

(大城山)(標高410m)を見る。その後方は宝満山のある三郡山系

   いちしろく時雨の雨は降らなくに

      大城(おおき)の山は色づきにけり

               作者不詳 万葉集巻十--2197


2011.11.30(水) 晩菊の咲くころ

2011-12-29 | 日記・エッセイ・コラム

晩菊は晩(おそ)く咲く菊の意である。今その晩菊である野路菊

(ノジギク)が咲いている。

2011_11_30_022

晩菊      品名 野路菊(ノジギク)

   晩菊や妻連れし旅いつならむ      大野林火(りんか)

2011_11_30_021

晩菊      品名 野路菊(ノジギク)

   晩菊は地に伏し易(やす)し起しけり      安住 敦(あつし)

2011_11_30_009

楓(カエデ)と花梨(カリン)と連翹(レンギョウ)の晩秋

2011_11_30_012

花梨(カリン)

   かりんの実天賦をとめの薫りの実      中村草田男

2011_11_30_015

楓(カエデ)の紅葉

   冬紅葉しづかに人を歩ましむ      富安風生

2011_11_30_018

黄葉の無患子(ムクロジ)と花水木(ハナミズキ)と栗(クリ)の木の晩秋

   からからとむくろじの鳴る梢かな      吉田ひで女

無患子(ムクロジ)の果実は球形をなし、径約2cmで黄褐色に熟す。

堅くて黒い種子が1個入っており、これを羽根つきの羽根の玉にする

のだが、今はどうだろうか。


2011.11.26(土) 博多 綱敷天満宮を訪ねる

2011-12-28 | まち歩き

菅原道真が博多に上陸した際、地元の漁民が綱を巻いて輪に

して腰掛けにと勧めたという故事にちなむ綱敷天満宮(福岡市

博多区綱場町)を訪ねた。

     自詠 (菅原道真)

 離家三四月   家を離れて三四月(みつよつき)

 落涙百千行   落つる涙は百千行(ももちつら)

 万事皆如夢   万事 皆 夢の如し

 時々仰彼蒼   時々 彼の蒼を仰ぐ

道真は901(昌泰四)年二月一日、京の家を離れているので、

この自詠は同年四月か五月の詠であろうといわれている。

2011_12_11_043

綱場町から店屋町、冷泉町へと続く通り   この道をすぐ左に折れる

2011_12_11_039

綱場町の通り   左の角を入る

2011_12_11_038

30~40メートルほど行くと左に綱敷天満宮が見える

2011_12_11_032

綱敷天満宮     福岡市博多区綱場町

 

2011_12_11_033

綱敷天満宮     福岡市博多区綱場町

2011_12_11_035

綱敷天満宮案内板

2011_12_11_036a

綱敷天満宮案内板 筑前国名所絵図に描かれた綱輪天神社と鏡天神社

左が綱輪天神社で今の綱敷天満宮(福岡市博多区綱場町)

右が鏡天神社で今の鏡天満宮(福岡市博多区下川端町)

2011_12_11_037

綱敷天満宮


2011.11.25(金) 博多駅で友人と会う

2011-12-24 | まち歩き

今夏タイの大洪水の時に滞在し、この程帰国した友人と博多駅で

会った。北のチェンマイから西のカンチャナプリまで車で行こうと

したが、アユタヤからバンコクの東を大きく迂回しながら海岸線

に出てカンチャナプリに着くという始末であったと。

王朝の名残りを今に伝えるアユタヤと天使の都と謳われる

バンコクの洪水からの復活を願わざるを得ない。

2011_12_11_020_3

博多駅筑紫口玄関

2011_12_11_019

博多駅筑紫口の博多デイトス食堂街入口

2011_12_11_023a

八仙閣博多駅店にて

2011_12_11_024

今年3月新築された博多駅ビルのアミュプラザにあるコーヒー店

2011_12_11_026

エスプレッサメンテイリー アミュプラザ博多店

2011_12_11_029

エスプレッサメンテイリー アミュプラザ博多店

JR博多駅の正面に掲げられた大時計をビルの5階の

内側から見る。窓の向こうは博多湾に続く大博通り。


2011.11.18(金) 西鉄グランドホテルに行く

2011-12-17 | まち歩き

会社の九州支社関係OB会に出席するために、福岡市・大名の

西鉄グランドホテルへ行った。この日は九州北西部各地に竜巻

警報が出るなど大荒れの天候が予想されたが、ここ福岡は雨が

降るだけで事なきを得た。

このOB・OG会は長老から若手までが参集し、大盛況のうちに

散会となった。

2011_12_11_003

西鉄グランドホテルの入口付近

2011_12_11_002

西鉄グランドホテルの対面に位置する大名カトリック教会

2011_12_11_005

西鉄グランドホテル正面玄関

2011_12_11_007

西鉄グランドホテルロビー

2011_12_11_009

西鉄グランドホテルの滝のある内庭

2011_12_11_014_2

OB会風景

2011_12_11_017

閉会後のクローク前風景


2011.11.10(木) 会社OB会で長崎に行く

2011-12-15 | 旅行記

長崎時代の会社OB会が長崎市銅座町の「はくしか銅座店」で

開かれ、一年ぶりに旧交を温めた。

2011_11_10_158

長崎市銅座町の「はくしか銅座店」

宴会はこの三階の座敷で行われた。この店は昔から上品な

おでんの味と銘酒「白鹿」で知られており、今回も宴の終わり

ごろに土鍋で、おでんが出て、そのおでんの汁でおじやが供

された。

2011_11_10_159

思案橋横町の入口付近にある、ぶたまんの店「桃太呂」

この店は昔からこの位置にあり、酔客の帰りのおみやげに

よく買われたものだ。小ぶりの天津包子で、帰宅して食っても

まだ温かく、うまかった。最近博多阪急にも出店した。

2011_11_10_162

長崎市浜の町観光通り   老舗岡政百貨店が閉店した

2011_11_10_163a

長崎市銅座町の「はくしか銅座店」にて

2011_11_10_166a

「はくしか銅座店」を出て街へ散って行く

この後、僕は四次会まで行き、帰り着いたのは午前二時を

過ぎていた。ここ10年来このようなことはほとんどなかったが

小雨降る長崎銅座の夜は楽しくも懐かしく更けていった。


2011.11.9(水) 二水会で天神へ出る

2011-12-13 | まち歩き

月例の二水会に出席するため、福岡市天神へ出かけた。

2011_11_10_149

西鉄福岡(天神)ターミナルから福岡市役所方向を見る

2011_11_10_151

西鉄福岡(天神)ターミナルから天神交差点方向を見る

2011_11_10_153

西鉄福岡(天神)駅プラットホーム

2011_11_10_155

天神交差点の天神ビル  午後5時半ごろ

2011_11_10_156b

天神益正店にて

何時ものように、時事問題を中心に議論沸騰すれど結論なし。

これが定例会の定めであろうか。いいことだと思うことしきり。

今日は伊勢海老のお造りとその殻を使った味噌汁が出ると

いう豪華版の肴もあったが、ホークスの優勝セールとかで

いつもの半額ということであった。


2011.11.3(木) 神戸・新長田に鉄人28号と会う

2011-12-09 | 旅行記

神戸・新長田に鉄人28号を訪ねた。

2011_11_10_127a

神戸・新長田の若松公園に建つ鉄人28号18mモニュメント

2011_11_10_128

神戸・新長田の鉄人ストリート

2011_11_10_130a

神戸・新長田、若松公園の鉄人28号18mモニュメント

2011_11_10_135

六甲の山並を見ながら灘方面へ向う

2011_11_10_137a

白鶴酒造資料館にて   神戸市東灘区住吉南町

  万葉集巻三ー338は大伴旅人の酒を誉める歌の冒頭にある

    大宰帥大伴卿、酒を讃(ほ)むる歌十三首

      驗(しるし)なき物を思はずは一坏(つき)の                     

        濁れる酒を飲むべくあるらし

    大意・・・甲斐もない物思いなどに耽らないで、

           一杯の濁り酒でも飲むべきであろう


2011.11.3(木) 神戸福原遷都の址を行く

2011-12-08 | 旅行記

福原遷都に関係深いといわれている神戸市兵庫区の能福寺、

平清盛塚などの地を巡った。

2011_11_10_108

天台宗宝積山・能福寺   神戸市兵庫区北逆瀬川町

延暦二十四年(805)、最澄(伝教大師)により能福護国密寺と

して創建された我国初の密教教化霊場と伝えられる。

境内に像高11m、台座を含めて18mの兵庫大仏がある。奈良、

鎌倉とともに日本三大仏とか。

治承四年(1180)の福原遷都に先立ち、平家一門の祈願所と

して大伽藍が創られ八棟寺と呼ばれたという。境内には平清盛

廟が創られているとのこと。

2011_11_10_111

清盛塚・十三重の塔  高さ約8.5m  神戸市兵庫区切戸町

兵庫運河に架かる清盛橋の袂に位置する。

承安二年(1172)三月、清盛、摂津和田で千僧持経者供養・

万燈会を催し、西行、清盛の招きで参加し作歌と。

   消えぬべき法(のり)の光のともし火を

      かかぐるわたのとまりなりけり      西行

この九年後の治承五年(1181)に清盛没。その四年後の

文治元年(1185)三月、平家壇ノ浦で滅亡と。

2011_11_10_112

福原宮伝承地   神戸市兵庫区中之島2丁目

兵庫運河に架かる清盛橋の袂に位置する。清盛塚はこの左側。

2011_11_10_114

兵庫港築地町から川重を望む

2011_11_10_117

兵庫港築地町から川重を望む

2011_11_10_116

兵庫港築地町からポートアイランドを望む

2011_11_10_120a

兵庫港築地町から神戸空港を望む

2011_11_10_123

川重の事務所前に並ぶ新旧こだま号

2011_11_10_125

新電車製造中

2011_11_10_126

新電車製造中


2011.11.3(木) 神戸を訪ねる

2011-12-07 | 旅行記

南紀・白浜、熊野古道の旅も終わり、会社生活の第一歩を踏んだ

神戸を観光した。

2011_11_10_087

神戸三ノ宮の宿から眼下のJR三ノ宮駅前の花壇を見る

2011_11_10_091

神戸元町アーケード

2011_11_10_096

市章山、錨山の裾近くの諏訪山展望台から神戸の西方を見る。

右奥が高取山。 中央左の緑地は大倉山公園で、その辺りから

海にかけての一帯が摂津国・和田といわれたところらしい。

(今の神戸市兵庫区南部から長田区にまたがる一帯)

また摂津国・福原は兵庫区北部で大倉山公園の辺りという。

2011_11_10_098

諏訪山展望台から神戸港を見る

万葉集に神戸港が詠まれた歌が載っている。

   濱淸く浦うるはしみ神代より

     千船(ちふね)の泊(は)つる大和田(おおわだ)の濱

          田邊福麿   万葉集巻六ー1062

岩波の日本古典文学大系によれば

大和田の浜ー神戸市兵庫区和田崎町付近の浜

大意ー浜の景色が清く、浦の風景が立派なので、神代から

多くの舟が停泊する大和田の浜である。

田辺福麿ー天平二十年(784)春、左大臣橘諸兄の使者として

越中守大伴家持のもとに行ったこと、当時造酒司の令使(大初

位上相当官)だったことのほかは不明。

2011_11_10_105

諏訪山展望台から三ノ宮方面を望む

2011_11_10_106

湊川神社


2011.11.2(水) 熊野古道中辺路を行く

2011-12-04 | 旅行記

会社OB会の2日目は熊野古道中辺路を実感しようと、

国道311号線をドライブした。

2011_11_10_061

道の駅熊野古道中辺路の前の熊野古道牛馬童子への道

2011_11_10_062

熊野古道牛馬童子への道から道の駅熊野古道中辺路を見る

2011_11_10_064

熊野古道箸折峠牛馬童子像への道

2011_11_10_071

滝尻王子前の熊野古道館から冨田川を見る

2011_11_10_075

瀧尻王子社

2011_11_10_077

瀧尻王子社の熊野参詣道・中辺路の案内板

2011_11_10_080

瀧尻王子社に建つ後鳥羽上皇歌碑

2011_11_10_082

瀧尻王子社に建つ後鳥羽上皇歌碑

   おもひやるかものうはげのいかならむ

     しもさへわたる山河の水

     (後鳥羽上皇 山河の水鳥の歌)

2011_11_10_084

後鳥羽上皇歌碑案内石板

   おもひやるかものうはげのいかならむ

     しもさへわたる山河の水

     (後鳥羽上皇 山河の水鳥の歌)

2011_11_10_086

瀧尻王子社から熊野古道館と冨田川に架かる滝尻橋を見る


2011.11.1(火) 南紀白浜に遊ぶ

2011-12-03 | 旅行記

会社OB会に出席するため、山陽新幹線新大阪を経由し、東海道

本線、梅田貨物線(大阪駅は通らない)、阪和本線、紀勢本線を通

りJR白浜駅に着いた。

2011_11_10_001_7

JR白浜駅の特急くろしお号(通称パンダ列車)

2011_11_10_005_2

JR白浜駅前   歓迎ゲートが見える

2011_11_10_014_2

平草原(へいそうげん)展望台から北の方角に白良浜方面を見る

白良浜の向こう側の崎山は御船山(みふねやま)と言われ、熊野

三所権現を勧請した熊野三所神社が森の中にある。

御船山の向こうに見える崎山は番所ガ鼻といい、黒船を見張る

紀州藩の監視所がここにあったからだという。この番所カ鼻には

南方熊楠(みなかたくまぐす)記念館が建っている。頂上に白く

見えるのが記念館である。番所ガ鼻のつけ根付近の平地に白く

見えるのは京大白浜水族館である。

また番所ガ鼻の手前に小さく見える島は白浜のシンボルである

円月島(えんげつとう)である。

中村憲吉の紀の湯に次の歌がある。

  常盤木(ときわぎ)の忌森(ゆもり)のおくは時すぎて

    紅葉たもてる木のしづかなる    (斉明帝の御船山) 

白良浜を囲むほぼ平地に密集しているのが白浜温泉で、

画面手前の崖の斜面に密集し、黒潮を見くだしているところが

湯崎温泉である。道後や有馬とともに記紀万葉のむかしから

紀の温泉とか牟漏の温湯とかいわれて知られていたのは、

この湯崎温泉の方であるという。

中村憲吉の紀の湯に次のような歌がある。

   海きよく磐湯(いはゆ)は霊(く)しもいにしへに

      櫛とり浴みし臣(おみ)をとめども

2011_11_10_030

白浜のシンボル 円月島   手前は瀬戸の港

2011_11_10_032

番所ガ鼻の番所の址の碑  南方熊楠記念館のすぐ傍に建つ 

2011_11_10_033

昭和天皇御製碑   南方熊楠記念館のすぐ傍に建つ

   雨にけふる神島を見て紀伊の国の

      生みし南方熊楠を思ふ

2011_11_10_039

番所ガ鼻の頂上に建つ南方熊楠(みなかたくまぐす)記念館

   南方熊楠

   1867.4.15~1941.12.29

   和歌山が生んだ博物学の巨星

2011_11_10_047

南方熊楠記念館から田辺湾と熊野古道中辺路が通る山並をみる

2011_11_10_048

南方熊楠記念館から北方を望む

2011_11_10_051

南方熊楠記念館から北方を望む

2011_11_10_022

三段壁(さんだんべき)

2011_11_10_026

三段壁   映画やテレビドラマで自殺の名所として使われる所

2011_11_10_053

宿から田辺湾に入る夕日を見る

2011_11_10_055

OB会の会食風景