福岡県朝倉郡筑前町に大刀洗平和記念館を訪ねた。かってこの地は、東洋一と謳われた大刀洗飛行場のあった所である。大刀洗飛行場は第一次世界大戦が終結した翌年の大正8年(1919)に完成し、航空第四連隊が配備された。西日本の陸軍の航空拠点として次々と関連施設が開設された。関連施設も含めた総面積は約119万坪(約394万㎡)であったという。昭和15年(1940)に開校した大刀洗陸軍飛行学校は、全国の陸軍飛行士の3分の2を養成したといわれている。またこの飛行場は特攻隊の中継基地として数多くの若き特攻隊員たちの出撃を見送った場所でもある。しかし昭和20年(1945)3月の大空襲で壊滅的な被害を受け、終戦を迎えた。
かって東洋一と謳われた大刀洗飛行場の跡地 福岡県朝倉市馬田 キリンビール福岡工場のキリンビアパーク 5月には右手の耕やされた土地に色とりどりのポピーの花が咲き乱れる
福岡県朝倉郡筑前町の筑前町立大刀洗平和記念館 第五航空教育隊の正門の柱が平和記念館の入口門柱として移築されている
大刀洗平和記念館内のパネル「大刀洗飛行場が歩んだ道」
零式艦上戦闘機三二型 世界で唯一の現存機 三二型は343機しか製造されていない機種という 戦後太平洋マーシャル諸島タロア島のジャングルのなかに眠っていた機体を復元したものという
零戦三二型
零戦三二型操縦席
企画展「零戦と海軍搭乗員たちの軌跡」 手前左は零戦三二型の燃料タンク、右は主翼の一部
企画展「零戦と海軍搭乗員たちの軌跡」 一海軍搭乗員の展示パネル
一海軍搭乗員の遺品展示パネル
遺書第一頁巻頭の書き出し部分
遺書1/3 巻頭第一頁~第二頁
遺書2/3 第三頁~第四頁
遺書2/3・部分 第四頁の一部分
遺書3/3 巻末最終頁