11月14日は夕方からOB会が長崎市の割烹「呑(どん)」(旧名、川勝)の3階で開かれ、20数名の方々と旧交を温めた。この会に出席する前に、長崎市立山にある長崎歴史文化博物館を訪ねた。重要文化財指定記念特別展「対馬藩と朝鮮通信使」を見るためである。
長崎歴史文化博物館の復元された旧長崎奉行所立山役所入口付近 上り階段の側面の茶色の石積は、発掘出土した石をそのまま用いて復元したもの。
長崎歴史文化博物館の復元された旧長崎奉行所立山役所正面玄関
長崎歴史文化博物館内のパネル 幕末の長崎港 中央右部の白壁の二階建て建物が並ぶところは出島であろう
博物館内に独立家屋としてオープンしているレストラン「銀嶺」の入口ホール 創業昭和5年(1930)の長崎の老舗西洋レストラン「銀嶺」が博物館内に復活したとのことだ かって旧店内を所狭しと飾っていたギヤマンやアールヌーボーなどの美術工芸品は店内にはなく、僅かに写真の旧店の外看板などが残っているだけだ。
長崎歴史文化博物館前の長崎駅方向へ通ずる通り 長崎名物・元祖栗饅頭の田中旭榮堂が見える 僕はここの栗饅頭が好きなのだ
次の日の11月15日(金)は佐世保を経由して帰路についた 写真は佐世保四ヶ町アーケードの昼下がりで活気に溢れていた シャッターを下ろした店舗は見当たらず、日本人形などの米国人向け日本土産店などもあって、四ヶ町商店街を中心とした佐世保の街はなかなかいいなあと思った。このアーケードの裏通りで天麩羅やにはいって昼食を摂ったのであるが、メニューは日英併記であり妙に納得したのだった。
長崎歴史文化博物館の復元された旧長崎奉行所立山役所入口付近 上り階段の側面の茶色の石積は、発掘出土した石をそのまま用いて復元したもの。
長崎歴史文化博物館の復元された旧長崎奉行所立山役所正面玄関
長崎歴史文化博物館内のパネル 幕末の長崎港 中央右部の白壁の二階建て建物が並ぶところは出島であろう
博物館内に独立家屋としてオープンしているレストラン「銀嶺」の入口ホール 創業昭和5年(1930)の長崎の老舗西洋レストラン「銀嶺」が博物館内に復活したとのことだ かって旧店内を所狭しと飾っていたギヤマンやアールヌーボーなどの美術工芸品は店内にはなく、僅かに写真の旧店の外看板などが残っているだけだ。
長崎歴史文化博物館前の長崎駅方向へ通ずる通り 長崎名物・元祖栗饅頭の田中旭榮堂が見える 僕はここの栗饅頭が好きなのだ
次の日の11月15日(金)は佐世保を経由して帰路についた 写真は佐世保四ヶ町アーケードの昼下がりで活気に溢れていた シャッターを下ろした店舗は見当たらず、日本人形などの米国人向け日本土産店などもあって、四ヶ町商店街を中心とした佐世保の街はなかなかいいなあと思った。このアーケードの裏通りで天麩羅やにはいって昼食を摂ったのであるが、メニューは日英併記であり妙に納得したのだった。
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