合歓(ねむ)は古名を「ねぶ」といい、昼間は開いていた葉が、夜になるとしぼんで、羽のような葉を閉じ合わせて眠ったように見えることから、「合歓」の名がついたといわれる。「ねむ」の字に当てられた「合歓」は、男女が共寝することを意味するという。
合歓(ねむ)の花 ねぶの花 合昏(ごうこん) ねむり木
紀郎女(きのいらつめ)の大伴宿祢家持に贈る歌二首(の内の一首)
昼は咲き夜は恋ひ寝(ぬ)る合歓木(ねぶ)の花
君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ 紀郎女 万葉集巻8-1461
訳:合歓の花は午後から夕方にかけて咲き夜は閉じてしまう。その花のように、昼ははなやかに咲き夜はひっそりと恋にこがれて寝るわたしーご主人さまであるわたしだけこんな目にあっていいんでしょうか。あなただって同じ目をみなさい。(「恋ひ寝る」は共寝の意ではなく、一緒でないから一人で「恋ひ寝る」のだという)
大伴家持の送り和(こた)ふる歌二首(の内の一首)
吾妹子(わぎもこ)が形見の合歓木(ねぶ)は花のみに
咲きてけだしく実にならじかも 大伴家持 万葉集巻8-1463
訳:あなたからもらった合歓木(ねぶ)は花が咲くばかりで、実にはならないかもしれません。(上に述べた、紀郎女と大伴家持の相聞歌が詠まれたころ、紀郎女は若くとも三十代後半で、大伴家持は二十代前半だったと思われます。若い家持は、年齢など意に介さないけれども、この恋心は成就しないのではないか、いや、必ず成就したいと答えているのだ。)
合歓(ねむ)の花 ねぶの花 合昏(ごうこん) ねむり木
象潟(きさがた)や雨に西施(せいし)がねぶの花 芭蕉
西施は紀元前5世紀の中国春秋時代の越の美女である。呉との戦いに敗れた越王が降伏の証として差し出したのが西施だという。その美貌に心を奪われた呉王はついに国を傾けたという。「傾国の美女」、「傾城」の言葉をうんだと。
この句は雨に濡れる象潟の、ねむの木の花と西施の美しさを想い描いた夢のような景色を詠んでいるんだろうけれど、私としてはもっともっとロマンチックな想いを込めたものと思いたい。
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